第6章 建仁の義戦 5

 同年(改元・建仁元年)、二月二十二日、大和国吉野山。


 霧白く霞む早朝の山裾を、鎌倉の兵達が埋め尽くしていた。

 木漏れ日にそよぐ吉野颪にさやけき靡く無数の白幟は、麓から見上げる者には幽谷たる吉野の山が根雪を抱いているように錯覚させた。

 しかし、度重なる敗走の末に奥深い吉野の山中へと追い詰められ、最後の砦と定めた杉林の木々の隙間からそれを見下ろす者達からすれば、そのような抒情侘しき風情を洒落にも重ねられるような光景ではない。

 界下に刀甲冑の鳴り合う剣呑な物音犇めく数多の武者勢が、我が元に迫る有様を目の当たりにすれば猶の事。


「……数え切れませぬ」

 敵の兵数を抑えようと木陰から顔を覗かせていた武者が、諦めたように首を引っ込めた。

 山に籠る長茂勢は徒兵を含めても百に満たない。

「それがどうした、怖気づいたか?」

 じろり、と睨みつける長茂に、「まさか」と武者は晴れがましく笑いながら掌に拳を打つ。

「気持ちの良い眺めにござった!」

「快なる哉、良く言うた!」

 満足げに頷くと、長茂は配下の者らに吠えるような大声で伝えた。

「皆、聞いたか! 我らは今、数え切れぬほどの鎌倉勢に一寸の隙もなく囲まれておるそうじゃ!」

 どっ、と歓声が上がる。

「それは勝ち甲斐があるというものでござる!」

「食い逸れる心配は無用という事か、これは思う存分に太刀を振るえるというもの!」

「如何なる相手が攻め寄せようとも、我ら越後猛者が掲げるは迫力の二文字のみじゃ、叩き潰してくれましょうぞ!」

 此処が今生最後の場所と見極め、口々に勇ましく吠えて止まぬ剛なる越後武者達を見渡しながら、長茂が麓を指し、続けて言った。

「この通り、何処を指さそうと、敵兵ばかりじゃ。もはや我らに賢しらな戦術など無用。我ら越後侍の大なる迫力を以て鎌倉を慄かしめん!」

 皆が一斉に声の限りの鬨の声を上げる。

 その声を聞きつけた鎌倉勢が、長茂達の方へ向かって一気に押し寄せた。

「諸共よ、まずはあの死に急ぎの雑兵共を血祭りに挙げるぞ」

かっ、と目を見開いた長茂が太刀を振りかざす。

「此れぞ我ら越後人の生き様よ、死に様よ、いずれ後の世に我ら城一門の栄えある勲高く語り継がれんことを! 強兵達よ、いざかかれっ!」


(――さらばじゃ、角よ、越後よ。我が故郷に永久とこしえの幸いあれ!)


 長茂を先頭に、波涛に転げ落ちる岩雪崩の勢いで両者は激しくぶつかり合った。

 戦意も高らかに我武者羅に得物を振り回す長茂達を、無数の鎌倉兵達があっという間に飲み込んでいった――。



 城四郎平長茂、吉野山の戦いで討死。享年五十歳。

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