第6章 建仁の義戦 2 


「――まだ起きておられるか?」


 その夜、高衡が就寝の支度をしていた所に、角が訪ねてきた。

「こんな夜更けに、どうされたのか? また兄上に叱られてしまうぞ」

 驚いて部屋の外を見回してみるが、幸い誰にも見咎められてはいない。

「兄上は皆と酒盛りじゃ。ああなると朝はえらいことになっておる」

 部屋に入れると、角は高衡に背を向けたまま座り込んだ。

「……眠れぬのか?」

「そうじゃ。……怖くて眠れぬ」

 見ると、角の肩が小さく震えている。

 その傍に、腰を下ろす。

 角がちらりとこちらを見る。

「高衡殿は、勿論人を斬ったことがあるのじゃろうな?」

「……また答え辛いことを問われるのう」

 苦笑しながら膝を掻くが、それに答えようとすると、自然と表情が曇った。

「数えきれぬくらいじゃ。あまり威張れることでもない」

「やはり……それだけ斬れば慣れるものか? 相手は顔も知らぬ敵の兵じゃ、戦だもの。貴公ほどの手練れなら、例えば相手が知古の者でも躊躇わぬものか? 或いは友、もしくは――妾でも?」

 高衡は一瞬、躊躇いを滲ませた後、口を開いた。

「……幼馴染の、首を刎ねたことがある。きっと、生涯忘れられぬだろう」

 角は息を飲み、それきり暫く黙り込んだ。

「……のう、高衡殿?」

 やがて、今まで背を向けていた角がこちらに向き直る。

「今まで、ずっと黙っておった。これを貴公に知られてしまっては、今までのように気安く付き合うてくれなくなるのではないかと」

 意を決して、角は告げた。

「妾も、あの合戦に――阿津賀志山の戦いに加わっていたのじゃ。貴公の郎党らを、それこそ数え切れぬくらい討ち取った。弓を引くことに、何も躊躇いはなかった。初陣に酔いしれておった」

 ぎゅう、と膝を抱え、俯く。

「貴公と出会って、いつの間にか仲良くなり、ある日ふと恐ろしくなったのじゃ。もしあの合戦で自分の引いた弓の先に貴公がいたとしたら、今のように貴公や雪丸らと楽しく語り合うこともできなかった。ひょっとしたら、あの時自分が弓を躊躇っていたら、今頃その者も貴公の傍らで妾とともに仲良く語り合っていたかもしれぬと。それを思ったら、今になって戦が急に怖くなってしまったのじゃ」

 語る間、角はずっと肩を震わせていた。

「角殿」

 高衡は、優しく笑いかける。

「その気持ちを、決して忘れてはならぬぞ」

 角が顔を上げる。

「その気持ち、今角殿が感じている悔恨、それは何よりも尊いものじゃ。忘れてはならぬ。それさえ肝に銘じておけば、これから先何が起ころうと其許が再び後悔することは決してないだろう。安心されよ」

 角は、じっと高衡を見つめて問う。

「妾を責めぬのか、妾は貴公の郎党を沢山殺したのだぞ?」

「それを言うなら、身共はもっと沢山の城一門の郎党を殺したかもしれぬ。戦とはそういうものじゃ。あの戦で命を落とした多くの我が同胞、その殆どの顔を覚えておる。死の間際まで親しく言葉を交わした者も居る。笑いながら振り向いた時には矢に討たれていた者もいた。それは敵方も同じであったろう。だから刃を交える者同士いつまでも憎み合うのだ。殺し合うのだ。戦は戦を生む。いつまでも憎しみは留まらぬ。今の角殿のように、それを悔いる者が現れぬ限り、いつまでも人の憎しみは終わらぬ。こんな言うに容易いことでも、憎しみに目が眩む者には、これ程難儀なことはないのだ。なんと虚しいことだ。……それが、戦じゃ」

 真摯な眼差しで見つめる角に、真剣な面持ちで語りかける。

「だから、戦などしないに越したことはないのだ。我らの戦は、この度で終いにしなければならぬ」

 角がこくりと頷く。高衡が笑う。

「では、もう休まれよ。明日は早い出立なのであろう?」

 ぽんぽん、と角の肩を叩く。

 角はまだ震えていた。

「……もう一つだけ」

 うっすらと頬を染めた角が、高衡を見つめていた視線をふと伏せる。


「――貴公ともう逢えなくなる気がする。……それが、怖い」


 いつしか角の眼差しに別の色が加わりつつあることに気づいた。

 自分の肩に触れていた高衡の掌に、角がそっと手を伸ばす。

 角が次に高衡から求めているのは言葉か、言葉以上のものか。察せぬほど高衡も木石ではない。

 だから高衡は聞こえないふりをすることにした。

 おもむろに立ち上がると、「あ……」と何やら悩ましい声をあげ濡れた眼差しで見上げてくるのも見えない聞こえない振りをして、傍らに掛けてあった自分の太刀を手に取る。

(……今まで共に戦ってくれたこと、まことから感謝申し上げる。――どうか、これから戦場へ赴かんとする我が友を、身共の分まで守護し給え!)

 暫し太刀を拝し黙祷を捧げた後に、角に差し出した。

 角の目つきが変わる。

「あなゃ!」

 その様子に安堵した高衡が笑いかける。ようやく肩の震えも解かれたか。

「武運長久の餞別じゃ。身共の片身と思い、傍におかれよ」

「た、大切なものではないのか?」

 高衡は首を振る。

「もう充分、身共を守ってくれた。これからは其許を守ってくれるだろう」

「で、では、妾の大切なものをもらってくりゃれ」

 そう言ってどこから引っ張り出してきたのか、自分の太刀を高衡に差し出した。

 一目で名刀とわかる業物だった。

「ようやく兄上から賜ることが出来たのだが……貴公にならば、差し上げても悔いはない」

「これは……!」

 刀身を目の当たりにし目を見張る。

 二尺六寸程の刀身には地風の小板目肌に杢目が美しく浮かび、まるで星空に翳したようにキラキラと刀身が輝いて見えるよう。まさに名刀の名に恥じぬ逸品である。

「素晴らしい……」

 高衡は思わず息を飲んだ。

「あんまりじっくり見られると、照れるのう」

 恥ずかしそうに頬を染める角が、照れ隠しに笑う。

「のう、貴公の業物、さっそく触ってみても良いかのう?」

「勿論。今宵からもうそれは其許のものじゃ」

「ひゃあ、長いのう。なかなか一人では抜けぬぞや!」

「どれ。ああ、途中でつっかえておる。一旦入れ直そう」

「痛っ!」

「おい大丈夫か、血が出ておるではないか!」

「ああん、こんな長物は初めてじゃからなかなか扱い慣れぬ」


「――失礼いたすっ!」


 戸口から、顔を真っ赤にした雪丸がわなわなと肩を怒らせながら怒鳴り込んできた。

「お二人で一体何をされているのかっ!」

 危ないところだった。



 翌早朝、角は郎党達を率いて京を出立した。



 

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