第6章 建仁の義戦 3

 

 翌くる正治三年(一二〇一)、睦月二十三日夜、三条大路。


 大路付近は騒然としていた。

 この日未明、長茂勢は突如小山朝政邸を襲撃し、屋敷を警護していた朝政勢と激しい戦闘になり、遂に屋敷に火の手が上がるに及び、逃げ惑う民衆や野次馬の群れに三条大路、東洞院大路は大混乱に陥った。


「早まったことをしてくれたなっ!」

 報せを受け、血相を変え駆け付けた高衡が怒りを込めて叫んだ。

「未だ勅旨を得ぬうちに何故仕掛けた⁉」

 家財を抱え右往左往する人の群れや群がる野次馬達を掻き分けながら、ようやく兵を指揮していた長茂に辿り着くと掴みかかるような勢いで詰め寄った。

「朝政奴が隠れて怪しい動きをしていたと報せがあったのじゃ!」

 戦の興奮の為頭に血が上った長茂が怒鳴り返した。

「怪しい動きとはどういうことじゃ、碌に裏も取らずに動いたのではあるまいなっ⁉」

「朝政を捕らえてからゆっくり吐かせればよい! それより貴公はこの邪魔な弥次馬共を何とか致せ。これでは戦にならぬ!」

 高衡を突き飛ばすような勢いで撥ね退けると、長茂は鼻息荒く炎立つ矢の中へと突き進んでいった。

「……馬鹿者奴、目先の怒りに我を見失いおって」

 混乱を極める人の波の中で、高衡は呆然と燃え上がる家屋敷の炎を見上げた。

「洛中でこんな狼藉を働くような義軍になど、朝廷が勅旨を下すものか……!」

 まるで遠い昔に見た在りし日の落日の光景を重ねるような思いで、高衡は呟いた。


「――この戦は、負けじゃ……」


「殿、御無事か!」

 馬上で息を弾ませながら雪丸が追いついた。

「此処には朝政はおりませぬぞ。恐らくこの敵兵らは囮と見られます」

「義村や義盛奴にまんまと一杯食わされたわけじゃな。この分だと朝廷にももう手が回っていよう。……のう、雪丸よ。懐かしい光景とは思わぬか?」

 屋敷から現れた資家に、朝政見当たらずと伝えられ、狼狽える長茂の様子が他人事のように映る。

 雪丸が、燃え落ちていく朝政邸を暫し見つめ、静かに頷いた。

「……まるで伽羅之御所が燃えているようでございます」




 ――脳裏に蘇るは、文治五年葉月未明のこと。


 平泉脱出前夜、藤原泰衡は自分の居所である伽羅之御所に自ら火を放った。

 北方の王者と称えられた先代秀衡より一族当主の居館としてその権威を知らしめていた繁栄の象徴が、そして慣れ親しんだ住まいが焼け落ちていく様を、郎党侍従達、そして市中の民達が皆涙を流して見つめていた。

「……この焼け跡を目の当たりにすれば、さすがの頼朝も民達の家屋や仏閣にまで火を放とうとは思うまい」

 一同と共に自身の生まれ育った屋敷の最期を見守る泰衡が、自らに言い聞かせるように呟いた。

「さすがに蔵の宝までは燃え尽きぬだろう。あれだけの黄金を残しておけば、それ以上の欲をかいて民達へ略奪を働こうとは思うまい」

 ク、と自嘲とも呻きともつかぬ声を上げ、泰衡は目を閉じる。

「全てはこの泰衡の読み誤りが招いたもの。我が姓名、そして我が一門に末の世まで付いてまわる事になるであろうあらゆる汚名、嘲笑、甘んじて一身に受けよう。最早、この身死すれども父祖と同じ墳墓に弔われようなどとは思わぬ」

 泰衡は目を開くと、周りに集う一門の者を見渡した。

「皆、よく最後までこの俺についてきてくれた。後は皆、各々で生きる道を求めよ。野に下る者は、今後の糧として御所や鎮守府に残る財を抱えられるだけ持っていくがよい。頼朝に下る者は、それを咎めぬ。武士としてこれからも大いに功を立てるがよい。皆よ――」

 堪え切れず、泰衡は声を震わせながら涙を流して言った。

「――済まなかった。俺は皆のこれまでの精一杯の奉公に、たったこれだけのことでしか報いられぬ!」

 主の慟哭に、郎党達はまた声を上げて涙に暮れ、民達は地に伏して号泣した。


 この夜、四代に亘った奥州藤原氏の栄華は歴史上、その幕を閉じた。


「……御館様は、これからどうなさるおつもりか?」

 家臣の問いに、泰衡は涙を拭いながら答える。

「俺は、逃げるよ」

「え?」

 今までさめざめと泣いていた全員が一瞬呆気に取られて顔を上げる。

 その様子に、泰衡は泣きながら笑う。

「逃げて、逃げ続けて、命の続く限り最後の最後まで鎌倉に和睦を求める。皆が今日まで命を顧みず護ってきた奥州の平和じゃ。それを俺が途中で無責任に自刃して一人だけ楽になるわけにはいくまい。どうせ俺は、奥州百歳の繁栄を破滅に追いやった痴れ者と後世に語り伝えられることになるだろう。ならば最後までとことん生き汚く生きて、どんなみっともない無様を晒してでも生き抜いて、例えその果てに何処ぞの僻地で一人野垂れ死のうとも、きっと奥州の安寧を取り戻すまで鎌倉と渡り合ってやるつもりさ」

 泰衡の微笑みが優しいものになる。

「だから、俺の後を追って死のうなどと思うな。生きることを考えよ。何なら鎌倉に下り頼朝らと共に俺を討ち取りに来るがよい。そうしたら、俺はまた尻に帆張って逃げ去るのみじゃ」

 黙って聞いていた沙羅が、くっ、くっ、と忍び笑いを漏らす。

「やっと、久々にウチを洛中で拾ってくれた頃の泰衡はんの顔が見れたわ。御館様になられてから、ずっと眉間のお皴が張り付いて取れなかったものね」

 フ、と覚悟を決めた表情で、泰衡を見つめて言った。

「私は此処に残ることに決めました。家屋敷は焼かれぬように、略奪には遭わぬように手は打たれた。ならば市中の女達が敵兵から辻取に遭わぬよう手を打っておくべきでしょう? 大丈夫、これでも御館様にお仕えする前は手練れの白拍子。いざとなったら坂東侍共の隠処を臥所で食い千切って御覧に入れましょう」

「沙羅よ、今の俺の話を聞いていなかったかっ⁉」

 目を剥く泰衡に、沙羅は哀しそうに微笑む。

「要は、平泉で死にたいのですよ。ここ以外、何処にも行きたくはないのです」

 沙羅の覚悟に、他の雑仕女達も次々と同調する。

「我らも共に戦いまする!」

 堪え切れずに民達が叫んだ。

「儂ら町民とはいえ、二君には仕えられねえ。我らが領主様は藤原様しかおられませぬ! 女達だけを矢面に晒すわけにはいかねえ!」

「ならぬ、断じて許さぬぞ!」

 屹と民達や沙羅達を睨みつけて、泰衡は雑仕女達に語気を強めて言った。

「そなたらの覚悟はわかった。留まることは許す。だが必ず生きる道を探せ。これだけは忘れてはならぬぞ! 決して源氏と刃を交えようなどと無茶なことを考えてはならぬ」

 沙羅は頷くと、北の方の前に進み、跪いた。

「御前様。何卒、御無事であられますよう」

「おまえも、皆鶴も、妾を置いて行ってしまう」

 両目を真っ赤に泣き腫らしながら沙羅を抱き寄せる。

「我が子を、万寿を何卒よろしくお願いいたしまする」

 北の方の胸に顔を埋め、沙羅も声を殺して涙を流した。

「……四郎よ、お前に頼みがある」

 傍に控えていた高衡に、泰衡が声を掛ける。

「お前は郎党達を率いて、脱出する者達を胆沢の陣まで護衛せよ。その地まで皆を逃した後、金ヶ崎より北の各陣地に泰衡の名で鎌倉への投降を命じて回れ」

「……仰せの通りに」

 暫し沈黙の後、高衡は低頭した。

「済まぬ。俺の代わりにお前に皆の恨みを負わせることになる」

「兄上の命令とあれば是非もなし。必ずや全う致しまする」

 高衡の返答に満足そうに頷く泰衡の下へ、「御館様」と駆け寄る少女がいた。

「泉之館の小雪か。まだ留まっていたか。早く逃れよ」

「私も高衡様の任に加えていただきとう存じます」

 泰衡の顔が険しくなる。

「死に場所を求めてのことであれば認められぬ」

「滅相もございませぬ。私は忍びの出故、間諜や撹乱にてお役に立てるものかと存じます。武芸にも些か心得がございます」

 じっと小雪を見下ろしていた泰衡が溜息を吐く。

「……武具一式を授ける。くれぐれも早まった真似はするな。皆と共に生き延びよ!」

「ありがとう存じます!」

 礼を述べると、驚いた顔で自分を見つめる高衡の前に跪いた。

「これからは女を捨て、男武者として殿にお仕えいたしまする。拙者のことは……雪丸とお呼びくださいませ」

「雪丸よ、心強い申し出じゃ。頼りにしておるぞ」

 高衡も力強く頷いて答えた。

 泰衡が再び口を開く。

「それと、もう一つだけ頼みを聞いてくれ」

「はっ」

 畏まる高衡の頭上で兄が微笑む気配が聞こえる。

「お前は最後まで見届けてくれ」

「は……?」

 訝しんで顔を上げる高衡は兄の表情に目を見開いた。

「兄上が阿津賀志山で死に、残る兄弟は俺とお前の二人きりになってしまった。一族最後の者として、この合戦を生き延びた我が一門の行く末を、俺の代わりに見届けてほしいのじゃ」

 にっこりと、童のように笑いかける兄の顔は、かつて泉之館にて忠衡陣へ単騎挑む間際に見せたものと同じ。


「我ら奥州藤原氏百歳ももとせの結末を、お前に託す。どうか、お前はこの不肖の兄の分まで、最後まで生き延びよ」


 年の離れた弟の顔を、最後に目に焼き付けようとするような、生涯忘れられない兄の眼差しだった――。




「……まるで、随分昔のことのようじゃ。のう、小雪よ?」

 憮然と肩を落とす、初めて見る主の憔悴しきった姿を、雪丸は哀しそうに見つめていた。

「高衡殿、まずいことになったぞ。朝政に逃げられた!」

 血相を変えた資正が二人の下へ駆け寄ってきた。

 そんなこと、見ればわかるわ、と投げやりに高衡は返した。

 兵を撤収させながら、長茂がこちらに呼びかける。

「急ぎ勅旨を賜ろう。鎌倉に先を越されぬうちに御所に赴かねばならぬ!」



 その後、長茂一行は仙洞御所へ押し掛け、土御門帝に討幕の勅旨を迫ったが、高衡が懸念した通りの結果となった。



 後に建仁の乱と呼ばれる城氏一族の鎌倉幕府打倒の目論見は、ここに致命的な破綻をきたすことになるのである。


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