第4章 景時の変 1

 同年(改元・正治元年)葉月、鎌倉殿側近達を騒然とさせる事件が起こった。

 合議に名を連ねる側近、安達盛長と頼家は以前から不仲であったが、盛長の子息、景盛の留守中に、頼家は若い家臣らに命じその愛妾を拉致させ、その挙句殺害しようと企てたのである。

 頼家の母、安養院政子により辛くも未然に防がれたものの、これに激怒した盛長と、同調した側近らや御家人達が頼家と彼を擁護する者達と激しく対立することとなり、やがてその矛先は梶原景時はじめ頼家側に着く側近達に向けられることとなった。


 

 同年霜月十二日、鎌倉、大倉御所。


「すまぬ。某にはもう、貴公を庇い切れぬ」

 頼家御前に出頭を命じられた景時は、広間に頼家と広元の二人しか姿がないのを見て全てを察した。

 手をついて詫びる広元に、景時は何も言葉を返さなかった。

「景時よ、何か申し開きはあるか」

 いつになく峻厳な面持ちの頼家の問いかけに対し、景時は一言「何も」と答えたのみだった。

「……お前は本当にそれでよいのか?」

 縋るような口調で頼家は問い返した。

「これが某の、鎌倉殿の御恩に報いる最後の御奉公と心得ました故」

 そう言って、景時は深々と額づいた。

「長い間、お世話になり申した」

 その様子に、頼家は深い溜息を吐いた。

 忸怩たる思いを堪えながら、広元は景時を見つめた。

 いつもと変わらぬ様子に見えるが、その内はどのような心境か。

(誰かが犠牲にならねば事は収まらぬとはいえ、よりによって景時が標的とされるとは。これで頼家様は丸裸になったも同じじゃ)

「六十余名の連判状じゃ。しばらく国に下がるがよい」

 手渡された書状を恭しく受け取り、無言で目を通した。

 ふと景時の目が止まる。

名を連ねているのは、景時と敵対していた者達の他、合議の側近達やその親族の名も見受けられた。

 その中には、比企能員の名もあった。

 

 

 これより少し前。

 景時は、幕府重鎮結城朝光の些細な発言を謀叛に当たるとして頼家に讒言。これに猛反発した多くの側近、御家人達が集い、景時を糾弾する連判状が広元の下に提出された。いわゆる「六十六人の連判状」である。



 御所の門の手前に、能員が立っていた。

「許せ。和田や三浦が御家人の大半を味方につけた。抑えることが出来なかった」

「つい先程も広元殿に詫びられたが、儂は何も貴公らに謝られるようなことはされておらぬよ」

 頭を下げる能員に景時は笑って答えた。

「暫く国で謹慎するよう申し付けられた。明後日にでも発つことになろう」

「そうか、随分早いな」

「こうなることは薄々予感しておった。既に身の回りは粗方片付けてある。むしろまだかまだかと待ちかねていたくらいじゃ」

「できる限り手は尽くす。必ず鎌倉に戻ってまいれ」

 門を出る間際で景時はふと立ち止まり、門番に人払いをさせた。

「貴公、北条の動きをどう見るか?」

 景時の問いに、能員は嫌な顔を浮かべる。

「例の上様の騒動以来、鳴りを潜めているように思うが、やはり千幡様を持ち上げて何かよからぬ企てを為そうとしているのは確実と見ている」

「そうか」

 頷いた後、更に問うた。

「今は鳴りを潜めていると貴公は言うたが、果たして和田や三浦らがあれだけの御家人を動かせると思うか?」

「北条が噛んでいると? しかし北条は佐殿が御隠れになって以来嘗ての求心力は失われているが――」

 そこまで言いかけた能員がハッと息を呑んだ。

「尼御台か!」

「おそらく。あの一件でとうとう見限ったのだろう」

 景時が頷く。

「あれだけ重鎮が名を連ねた連判状に北条の名が見られないのを不思議に思っておった。加えて、あれほど慎重な重忠が勢いに任せて一晩で仕上げたような連判状に名を記すのも解せぬことじゃ。おそらく結城朝光に恩のある重忠に時政が付け込んだか。いずれにせよ余程周到に事を運んでいるものと見える。和田如きは北条に上手く転がされておるに過ぎぬ」

「では、まさか」

「まずは一番御家人衆から恨みを買っておる儂から片付けることにしたのだ。今はまだよい。だがいずれそれだけでは済まなくなるぞ。儂の次は貴公か、或いは重忠、どちらが先か。まずは上様の側近から崩してくるだろうが、和田も最後には切り捨てられるだろう。元々北条は源氏とは縁の薄い一族、邪魔になる古参の鎌倉側近を除くことを何ら躊躇うまい。丸裸にされた上様を北条はどうすると思う? 最後に用済みとなった千幡様は?」

 能員の顔色がみるみる蒼白になる。

「心せよ、北条が実権を握ろうものなら、源平戦以来の忠臣は一人残らず謀殺されるぞ。決して北条の思惑通りにさせてはならぬ。さもなくば、最悪の場合、佐殿の御血脈は三代で絶えることにやるやもしれん。心せよ、比企殿」

 ここまで伝えると、フ、と息を吐いた景時が寂しそうに微笑んだ。

「ああ、言いたいことは皆言うた。……これで儂はいつでも死ねる」

「景時殿」

「よいか、上様のこと、くれぐれも頼むぞ。もはやお助けできるのはその方らのみじゃ」

 そう言って、景時は立ち尽くす能員に背を向け、御所を去った。

 ふと、景時の脳裏にいつか聞いた或る娘の言葉が過った。


 ――己の流した血に溺れるがよいのだ!


(……成程、あの娘の言葉の通りになるかもしれぬな)



 翌月九日、再び鎌倉に戻ることが叶った景時だったが、既に彼の居場所は鎌倉のどこにも残されていなかった。

 同月一八日、景時へ鎌倉追放令が下され、彼の家屋敷は取り壊された。


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