第4章 景時の変 2

 正治二年(一二〇〇)睦月、相模国一ノ宮、景時寓居。景時追放前夜


 この夜、景時の仮住まいの屋敷に彼の知人ら数名が宴に招かれ、景時との最後の別れを惜しんだ。

 招かれたのは藤原高衡や城長茂といった、かつて景時によって命を救われ鎌倉に居所を与えられた景時の側近達、言うなれば景時一党とでもいうべき者達である。


「……さて、名残惜しいが、宵もだいぶ深い。そろそろお開きとしよう」

 景時が杯を伏せると、今まで一様に陽気に談笑していた者達が、しんと静まり返った。

 屹っと長茂が顔を上げ、景時と向き合った。

「景時様。我ら皆、御身の為にいつでも身を捨てる覚悟にござる。すぐにでも鎌倉殿に働きかけ、一日も早く鎌倉に復帰頂けるよう取り計らいまする!」

 皆揃って平伏した。景時が上機嫌に笑う。

「大げさなことを言う。鬼界ヶ島に流されるわけではないぞ。何、ほとぼりが冷めればお許しも出るだろう。それまで皆が息災であることを儂は何より願っておる。再び鎌倉へ戻ることが叶った暁には、再びこうして皆で飲み明かそうではないか」

 長茂達は涙に暮れながら頷いた。


「高衡よ。済まぬが少々話がある故、其許は少しここに残っていてはくれぬか?」

 皆が退出する際、一人だけ呼び止められた高衡は、怪訝に思いながらも再び座り直した。長茂が何だか不服そうにチラリと一瞥したが、何も言わず宴席を後にする。

 後には、高衡と景時だけが残された。



 皆が去ったのを見届けて暫しの後、景時が口を開いた。

「高衡よ。其許にどうしても詫びなければならぬことがある」

 戸惑う高衡の前で、景時は膝に手をつき低頭した。


「――其許の祖母上を殺めさせたのは、この儂じゃ」


 高衡が目を見開く。

「奥州に間者を差し向け、義経を誑かし、其許の兄弟達を仲違いさせたのも全て儂が謀った。その結果、其許の一族は滅びることとなった。今更詫びたところで、決して許されるものではないが、どうしても最後に其許に詫びておきたかったのじゃ」

 高衡はじっと景時を見つめた後、顔を伏せた。

「……そうでしたか」


――不気味なのは我らを傀儡のように操る目に見えぬ紐が何処に通じておるのか、皆目見当が付かぬということじゃ


 ぽつりと呟く。

「鎌倉の紐は、あなたが操っていたか」

 やがて顔を上げた景時に、高衡が問う。

「なぜ、そのようなことを? 我らを内側から砕くためか」

「それもある。佐殿はそれを第一の目的として儂の提案に乗られた。だが、儂の目的はもう一つあった」

 真直ぐに高衡の目を見つめながら、景時が答えた。

「義経を完全に亡きものとするためじゃ」

 ぎり、と膝の上の高衡の拳が握られる。

「義経……」

 呟くその顔には、かつて狩りの会で雪丸が垣間見た、奇妙な微笑が浮かんでいた。

 燃え上がる仏堂、抱き上げた華奢な身体。最後に笑顔を見せながら腕の中で永久の眠りに就いた愛しい女性。慟哭。憎悪。堪えがたい激しい感情。振り下ろした白刃。その後の何も残らぬ空虚――

 その名を耳にし、様々なものが胸の内を過った。

 景時が続ける。

「奥州の名君秀衡公御存命の頃は、義経はその庇護の下におり我ら鎌倉には手の出しようがなかった。秀衡公が亡くなられた後も、その遺言による固い結束と十七万騎の大軍、国衡をはじめとした智勇優れし武将達と、それを率いる慎重極まる泰衡に護られておった。迂闊なことをして義経を先頭に先に戦を仕掛けられたとしたら、未だ源平戦の余韻の深い情勢、どれだけの平家木曽方の残党がこれに追従するか計り知れなかった。よしんば勝利したとしても、海外交易を営む藤原一門の力で我らの手の届かぬ所に義経を逃がされてしまうわけにもいかぬ。勅命を何度も発し圧力を加えたところで、偽首を送り付けられ匿い続けられる可能性もあった。思案の末、其許ら兄弟が義経を憎み、進んで我らの下に差し出すよう仕向けることにした」

「……何故そこまで義経に拘ったのですか?」

 静かに景時の言葉を聞いていた高衡が疑問を口にする。

 フ、と溜息を吐いた後に景時が答えた。

「……あの男は、生きていれば、いずれ天下を滅ぼしていただろう」

 その言葉に、高衡は心当たりがあった。

 ――その教えに溺れる余り己に自惚れが生じれば、やがて戦に溺れ業に溺れ、いずれ天下の平安は乱されよう。

「源平合戦における義経の戦い振りは、それまでの戦の定石を覆すものであった。一の谷然り、壇之浦然り。共に戦った儂ら源氏や、敵である平家の兵達の中にさえ、戦上手と誉めそやす者もいた。しかし、我らが戦ってきた合戦は無分別の殺戮などでは断じてない。それを義経は変えてしまった」

 景時の語気に力がこもる。

「壇ノ浦の合戦にて、奴の本性が露わになった。義経は真っ先に、敵の漕ぎ手、船頭を狙うよう兵達に命じた。彼らは近隣の浜にて漁を営んでいた只の民。平家軍に徴用され船を任されているだけの漁夫に過ぎぬ。儂は耳を疑った。彼らは平家どころか兵でもない。だが平家を海に追い詰め目の前の勝利、戦功に狂った義経兵らは躊躇うことなく次々と矢を放った。もうあれは戦などではない、虐殺じゃ。矢に討たれ泣き叫び死んでいく者の悲鳴、船に乗り付けた義経兵に闇雲に斬られ血塗れでのた打ち回る者の呻き、自分に向け次々と放たれる矢に怯え海に飛び込み船に挟まれ潰される者の断末魔、未だに耳に残り忘れられぬ。彼らには浜で帰りを待つ家族、市井の生活があったのじゃ。常在戦場を旨とする我ら武士の覚悟など無縁の民。それを義経らは敢えて弓矢の的とした。こんな虐殺が、士道を尊ぶ我ら坂東武者の戦で行われて良いはずがない」

 在りし日の合戦の様が蘇ったか、ぶるぶると景時の肩が震える。

「そして義経はあろうことか、天子様のおわす御船に矢を射かけようとした。

弓矢で脅せば船足を止められるとでも思ったのか、文字通り天に弓を引いたわけじゃ。それを見た平家の武将たちが仰天し、「やめろ!」と叫んで義経を止めようと迫ったが、奴はまるで妖術のような身の軽さで次々と船を飛び越え退いた。幸いにも、これを目撃した源氏の武将は儂一人じゃった。もし佐殿にこれが露見すれば、神器の剣を見失うどころの話では済まなかったであろう」

 ジリリ、と灯の芯の燃える音が、宵深い部屋の中に揺らいだ。

「合戦を終えた後に、儂は義経の陣を訪れ、叱責した。そうしたら奴は軽薄に笑いながら、こう答えおった。戦などたかが殺し合いであろう。邪魔と思えば何者を殺しても良いではないか。人の数だけ首を取れば良いではないか。首の数だけ功となるのだから何の不都合があるのじゃ、と。畏れ多くも、続けて奴はこう言った。天子様? どのみち海の藻屑となったであろう、とな。ああ、戦に奢り果てた者とは、こういう薄ら笑いを浮かべるものかと儂は心底戦慄を覚えた。もしこのような男がこの後も大軍を指揮し戦にあたることとなれば我ら武士の誉は地に落ちるであろう。武士の矜持も何もない、只剣や弓を手にしただけの雑兵崩れの者が好き勝手に殺し合い、虐げ合うだけの殺戮が世にあふれ、天下は地獄と化すであろう。この男を生かしておいてはならぬ。そう思ったのじゃ」

 そこまで語り終えると、景時は改めて高衡を見つめた。

「義経が奥州に逃れたと聞いた時、儂には懸念があった。もし義経を滅ぼそうと兵を動かしたならば、奥州も諸共に滅ぼしてしまうのではないか、とな。

だから、可能な限り思案し、最小限の犠牲で済むよう、策をめぐらしたつもりじゃったが、結果として、其許の祖母上、兄弟、一門を巻き込んだばかりか、一族を破滅に追いやってしまった。これはどんなに釈明し、詫びたところで許されるものではないだろう」

 そう言って立ち上がると、景時は座敷の奥に掛けられた太刀を持ち出すと、高衡の前に差し出した。

 驚いた高衡が顔を上げる。

「何を――」


「――儂を斬れ、高衡よ。儂を斬って、一門の無念を晴らすがよい」


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