第3章 狩りの会 3

「まったく、助平な無作法者共奴。これだから坂東武者は好かん!」

 頭から湯気を立てながら現れた角が高衡の姿を認めるなり一転、破顔して手を振ってくる。今し方まで鷹のような鋭い眼差しで獲物を追い詰めていた女武将とはまるで別人のようである。

「見てたもれ。妾の狩りの収穫じゃ」

「これは……大漁じゃのう。誰も助けてやらぬのか?」

 鹿の下敷きにされた侍達を指さして笑う角に高衡はウンウンと頷く。

「高衡よ、其許の首尾はどうじゃ?」

 長茂を伴い歩み寄ってきた景時に問われた高衡が畏まって答える。

「恥ずかしながら、前日に弓を損ねてしまい、本日は皆様の御首尾を観戦致しておりました」

 答える高衡を長茂が叱った。

「情けない。武士たるものがそれでどうするのだ」

「まあ待て。高衡よ、儂の弓を貸して進ぜよう。皆の前で奥州侍たる其許の腕を披露してみせよ。少々年季はきておるが、儂も源氏一党の端くれじゃ、武具の手入れは怠っておらぬ。さあ、皆を驚かせてみせるがよい」

「景時様!」

 驚いて長茂が声を上げる。そんな勿体ないことを、と言いかけるが、まさか天下の五指に入る大侍の意向に口出しできるはずもない。

 それは高衡も同様で、驚いて辞退しようと思わず口を開いたものの、結局言葉を飲み込み困ったように景時から弓を受け取った。

 周りの者達も面白そうに集まってくる。

「何。弓? 高衡殿の弓の披露とな!」

 角が目を輝かせて最前列に身を乗り出す。

「弓の披露と聞いては黙ってはおれぬ!」

「何。弓? 弓の披露だと?」

 今まで不愛想を決め込んでいた義遠がキラリと目を光らせ、義盛らを置いて角に負けじと身を乗り出す。

「弓の披露と聞いては黙ってはおれぬ!」

 ……このある意味似た者同士の二人に、この数年後、思いもよらぬ運命が待ち受けているのだが、それはこの物語とはまた別の話である。



(やれやれ、困ったことになったぞ) 

 高衡は心中で頭を抱えた。

「こうなっては是非もなし。藤原の、景時様に恥をかかせてはならぬぞ。必ず一番の獲物を仕留めよ!」

 長茂の叱咤が両肩に重い。

(とはいえ、もう手頃な獣も鳥も粗方狩りつくしてしまっただろうな)

 狩りの会を催すにあたり、前以て獲物を狩場に放しておくのだが、大体数は知れている。元から住み着いている野生の獣は警戒心が強く、弓矢に覚えのある武士だとしても見つけ出して仕留めるのは至難の業である。

「殿、あれなど如何でしょう?」

 察した雪丸がはるか東の空を指さして見せる。

 皆がその方向に目を遣るが、何も見当たらず首を捻る。

「成程。……少し可哀そうだが」

 雪丸の意図を理解した高衡は頷き、景時より拝借した弓の弦を二度三度弾いてみる。

(これが源氏の弓か。これなら十分届く。しかし、あの御老体でこんな強弓を引かれるとは、改めて源氏とは恐ろしい一門じゃ)

 満足気に頷くと、作法に則るように矢を番え、虚空に狙いを定める。矢の長さも途轍もなく長い。

 その姿勢のまま動きを止める高衡を、ある者は固唾を飲み、ある者は困惑顔でじっと見守る中、


(……今だ!)


 パアァァンと快い弾音を余韻に、放たれた矢が空に吸い込まれていった。


 全員が戸惑ったように首を傾げる。

「何だ、何を狙ったのだ」

「待て、何かに当たったぞ」

「貴公、よく見えるな。おい、誰か改めて参れ」

 遥か彼方で矢が何かを射止め落ちていくのが辛うじて見え、一同はがやがやと騒ぎ始める。

「おい、藤原の。貴公一体何を射たのだ?」

 残心を終えた高衡に、長茂が詰め寄った。

「雀にございます」

「雀だと⁉」

「奥州の里山で生まれ育ち、海辺の本吉を治めておりました故、目だけは鍛えておりました」

 事も無げに答える高衡に長茂は耳を疑い、彼方を見やった。十町(ざっくり約1㎞)以上の距離である。そもそも雀が視界に届かない。

 

 やがて、矢を拾いに行った景時の侍従が息を切らせながら戻ってきた。その手には雀を串刺しにした矢が握られていた。

 信じられぬ面持ちで侍従が叫んだ。

「見事射貫かれておりまする!」

 ドッと歓声が起こる。初対面の角と義遠が思わず手を叩き合って喜び、面白さの余り舞を披露する平家出身の武者もいる。まさかこの舞手を射よとか言い出さねえよな、と不安がる八島帰りの武将もいる。

 ちなみに、後に戦術の発達した戦国時代においても実戦における弓の最大射程は100m程度、有効射程においては60m未満であることを考えれば一同の驚き様は察せられよう。

「見事じゃ。流石は文武に秀でた秀衡公の子息。見事奥州武者の面目を我ら源氏の前で躍如してみせた。亡き其許の一門もきっと誇りに思うことだろう」

「恐悦の至りにございます。お褒めの言葉、末の代までの誉となりましょう」

 言葉を極め賞賛する景時の前に平伏するも、

「しかし雀には気の毒な事をしました。この度の身に余る栄誉もこの小さき雀のお蔭。手厚く供養致しまする」

 そう言いながら恭しく拝借した弓矢を返そうとするのを景時が止めた。

「褒美じゃ。其許にとらせる」

 驚いて思わず長茂の方を見る。

 当然の褒美じゃ、丁重に納めよ。とばかりに頷くが、何処か複雑な表情である。

 傍らで角が揶揄った。

「何じゃ、兄上。羨ましいか?」

「言うな!」



「親爺殿、あの男が藤原国衡殿の弟君でござるか?」

 重忠の横に胡坐で座り、白湯を啜りながら一部始終を眺めていた侍が訊いた。

 癖の強い豊かな髪を箒のように結い上げ、やや色は浅黒いが恐ろしく端正な顔立ちの美青年である。

「左様。鎮守府将軍殿の子息、藤原四郎高衡殿じゃ。今は景時殿の仕事を手伝っておると聞いたが。おお、そういえばおぬしとも因縁のある男であったな」

 青年は椀の白湯をぐいと飲み干し口元を拭うと、長年の友を見つけたようにニッと笑った。


「高衡か。……その顔と名、確かに覚えたぞ!」

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