第3章 狩りの会 2
「おや、高衡殿は狩りはお嫌いか?」
雉や野兎といった得物を手に得意顔で陣へと戻ってくる武者達を眺めていた高衡と雪丸に話しかけてくる者達がいた。
人の好さそうな初老の侍だった。年季が感じられながらも名品とわかる弓を携え、質素ながらも趣味の良い上等な狩衣を身に着けているあたり相当な大侍と見えた。
「貴殿は……」
「お目に掛るのは初めてかもしれぬが、某は其許のことを良く知っておる。和田義盛と申す」
「和田――!」
高衡はハッとした。その後ろに控えていた雪丸の気配がサッと変わるのが判った。
「思い出されたか。奥州征伐では其許の兄上や奥羽の猛将秀綱と直接刃を交えたこともあるのだぞ」
奥州「征伐」という謂いに含みを感じたが、義盛は気安げにニコニコと笑っているばかり。しかし高衡は内心穏やかではない。今目の前で言葉を交わす相手は兄国衡を討った敵の一人。
「……これは失礼仕った。奥州「合戦」についてはお互い過去のことと水に流し、今後は何卒貴殿と誼を深めたく存じまする」
高衡の慇懃な言葉に込めた軽い意趣返しに気づいたのかどうか、義盛は声を上げて笑い、背後に控える侍達を紹介した。
「手前は三浦義村と申しまする。高衡殿の御噂はかねがね伺っておりまする。どうぞ何卒何卒、お見知りおきを」
自分よりも遥かに格下の者に対して卑屈に過ぎる態度に高衡は内心不快感を覚えたが、反対にもう一人の男はひどく不愛想だった。
「浅利義遠と申す」
と名乗ったきりプイとそっぽを向いた。
「この男は天下無双の弓の名手でしてな、我らは八島の英雄に肖って「与一」と呼んでいるくらいじゃ」
義村が代わりに紹介する。
高衡は困惑していた。
(この浅利という男は知らぬが、後の二人は景時様と犬猿の仲ではないか。そんな連中がなぜわざわざ身共に言い寄ってくるのだ?)
特に和田義盛については景時と深い確執があり、かつて景時の秀でた事務能力に目を留めた頼朝が義盛に代わり彼を侍所別当に任命したことがあったが、それまでその職に就いていた義盛はその処遇に反発し、景時が卑劣な手を用いて自分の役職を取り上げたものだと深く恨みに思っていると聞いたことがあった。
その他にも景時は頼朝に代わり進んで憎まれ役を買って出ていた節があり、御家人達からは恨みを買いやすい人柄でもあった。
「ところで先ほども問うたが、其許は狩りはされぬのか」
「は、身共は余り殺生を好みませぬ故、実は本日も弓の支度をしておりませぬ」
「ほほう。やはり合戦の心傷からかな?」
さも気の毒そうに義盛が顔を顰める。
「いや、何も恥じることではない。あの戦ではわが将兵達にも心を病み廃物と化した者が大勢おった。特に阿津賀志山の戦いでは其許ら奥州の軍勢にとんでもない奴がおってな、遭遇し生き残った将兵の殆どが正気を失ってしまいおった」
ぽんぽん、と高衡の肩を叩きながら義盛が顔を寄せる。
「それはまさしく陸の上で壇之浦を見ているようであったよ。八艘跳びもかくやという身のこなしで次々と我が兵達が血飛沫を上げて倒れていく。後にはバラバラになった無数の骸が残り、血煙が真っ赤に漂うばかり。信じられるか、たった一人の敵将にじゃぞ? 我ら源氏があれを見紛うはずがない。あれはまさしく九郎判官殿が鞍馬で会得したという術じゃ」
す、と義盛の顔から笑みが消える。
「高衡殿よ、平泉から義経の首を鎌倉に持参したのは、たしか其許であったよな?」
「……身共が携えた首が偽物だとでも?」
耳元で囁く義盛に、高衡が問い返す。今まで雪丸も見たことのない、奇妙な微笑を浮かべていた。
いつの間にか義村、義遠の二人も距離を詰めていた。主を庇うように雪丸が二人の前に割って入る。
「――正直に答えよ。義経は生きておるのだろう?」
ドスーン! という大きな地響きと共に、幾人かの悲鳴が聞こえた。
「な何事じゃ⁉」
驚いて皆が振り向くと、大きな鹿の死骸に潰され、武者が数名目を回して伸びているのが見えた。
「はっはっ、どうやら本日は空から鹿が降ってくる日和のようじゃ。これなら合戦の最中に判官殿が墓から這い出てひと暴れしたとしても何ら不思議ではござらぬな」
大笑いしながら、呆気にとられる義盛達に高衡が会釈する。
「なかなか面白い考察でござった。その鞍馬者とやらに生首がついていたかどうか、次の機会に身共に教えてくだされ。失礼致す」
ふと、高衡は気づいて周囲を見回し、今更ながら驚いた。この狩場、奥州合戦で我らと刃を交えた者達しかおらぬ。
しかし、すぐに首を振って思い直した。なに、驚くには当たらないこと。それほどあの合戦は大きなものであり、その分勝鬨を上げた者の武功は大きかったのだ。現に平家方からの帰順者も古参の源氏を相手に大きな顔をして弓矢自慢に興じているではないか。
言い換えれば、武勇の優れた者であれば昨日の敵であろうと平等に取り立てる、頼朝という男の懐が大きかったのだろう。それが垣間見える一場面である。
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