第2章 北条兄弟

建久一〇年(一一九九)卯月、鎌倉、大倉御所。


 側近たちを前に、頼家は憤怒に肩をわなわなと震わせていた。

「どういう料簡じゃ、これは。……説明せよ!」

「はっ」

 手渡された稟議状を握り締めながら、辛うじて怒りを堪えている年若い棟梁に問い詰められ、畏まって広元が口を開く。

「上様が家督を継がれて早二月。愈々本格的に鎌倉殿としてのご職務に服していただく事になると存じ上げまする。しかし、上様は未だお若い身でおられる。ついては、我ら御先代頼朝様以来の側近が中心となり、上様のお力添えをさせて頂くことを、改めて文言として――」

「能書きはよいっ!」

 とうとう頼家が怒りを爆発させた。


 頼家を激怒させた書状の内容。それは幕府の政策や訴訟の采配といった重要な決裁権の大半を今後鎌倉殿に代わり側近達が行使するというものであった。つまり、頼家は鎌倉殿としての特権をこの書状一枚で取り上げられることになる。

 いわゆる「十三人の合議制」である。


「僕が父上より引き継いだのはただ名ばかりの鎌倉殿か、僕は高座の上のお飾りに過ぎぬと申すか!」

 立ち上がり、居並ぶ側近達を見回しながら激昂する。頼家の怒りは予想していたのだろう。側近達の殆どは無言で顔を伏せている。

「僕では鎌倉殿の役目を務め上げるに不足があると申すか、それほど僕が不甲斐ないか? 僕はこれでも、生まれてよりずっと父上からの厳しい薫陶を一身に受け、この座に上っているのだぞ? そんなに僕が頼りないか!」

 頼家の顔が悲壮にくしゃりと歪む。とても見ていられず、「上様」と能員が声を挙げようとしたところ、


「上様がご自分で仰せになっておる通りじゃ。頼りにならぬ」


 皆が低頭する中、悠然と顔を上げていた北条時政が口を開く。その傍らには弟の義時がいた。

「なんじゃ貴様その口の効き方はっ!」

 カッとなった能員が時政に食って掛かろうとするのを慌てて周りの者達が押し留める。

「控えられよ、上様の御前であるぞ。貴公こそご自身の立場、よく弁えられるがよい」

「何をっ!」

 澄まし顔でこちらを見やる義時を歯軋りして睨みつける能員だったが、周りに宥めすかされ顔中に青筋を浮かべたまま一先ず座に戻った。

 何事もなかったかのように時政が話を続ける。

「確かに上様は鎌倉殿の御役目を引き継がれまだ日が浅い。政に不慣れなのも已むを得ぬところもあろう。しかし今まで佐殿以来根本としていた慣習を顧みず、専横気ままな采配を振るわれては、ようやく天下の武士団を纏めることが叶った我らの成果が台無しにされてしまうやもしれん」

 頼家が怒りに声を震わせる。

「無礼な……僕に諌言をしようというのか」

「その御態度が専横だというのじゃ。お分かりにならぬか?」

 舌打ちせんばかりに時政が鼻を鳴らす。

 時政に続いて、義時が話を継ぐ。

「加えて、上様が就任されて以来、我ら鎌倉に対する苦情、陳情が相次いでおりますが、これらの多くは上様の恣意的に過ぎる裁可や専横な御振舞いに対するもの。只今の御自身の言動を振り返られるがよい」

 皆、はらはらとしながら頼家と北条家二人との遣り取りを見守っていたが、中には時政らの言い分に首肯するように頷きながら頼家の回答を待つ様子の者もいた。

 がくり、と頼家は肩を落とし、高座に腰を下ろす。

(言葉は辛辣だが、時政殿の主張は尤もではある。しかし……)

 最前列に控えていた幕府文官中原親能は痛ましそうに頼家の様子を見つめる。

(……これでは、あまりに上様が気の毒じゃ)

 顔を伏せていた頼家は、やがて嗚咽を漏らしながら掌の中でくしゃくしゃになった稟議状を開き、改めて目を落とす。

「上様、どうか今暫しの間は御辛抱なさいませ」

 慰めるように景時が言う。

「先日、上様は朝廷より左近衛中将に昇任されておられます。いずれ先代様と同じように征夷大将軍となられる日も遠くはございますまい。その日まで政は我らにお預け頂き、今は天下の号令者として御力を磨かれるときと御心得くださいませ」

 景時の言葉に頼家は鼻を啜りながら頷く。その様子に、「胡麻摺り爺め!」と義時が小声で吐き捨てた。

 ふと、書状を読んでいた頼家が、目を見開いた。

「……何じゃ、お前の名前も載っているではないか」

 ぼそりと呟き、泣き笑いのような顔を上げ、景時の前で書状を広げて見せる。

「それは……」

 景時が口籠った。別に後ろ暗いことではなかったが、自分を見下ろす主君の表情を見て、思わず一瞬、言い淀んだ。それを頼家は景時の真意と真逆の意味に受け取った。

 よろよろと腰を上げ、皆に書状を突き出しながら声を上げる。

「大江広元……中原親能……ひ、比企能員……義父殿まで、僕を陥れるつもりだったのか?」

 ぽろぽろと涙を流しながら、ヒィ、と頼家がしゃくり上げる。

「お前達だけは僕を裏切らぬと信じておったのに……」

 主君の只ならぬ様子に居並ぶ者達がざわつき出す。

「上様、それは違いますぞ!」

 屹と能員が立ち上がり、厳しい声で言い放った。

「その書状に名を連ねておりますのは、先代より源氏に仕え、幕府成立に身を捨てて力を尽くした選りすぐりの忠臣。鎌倉に七生の忠誠を誓った者達ばかりですぞ。陥れるなど以ての外にございまする!」

 能員の言葉も、若き主君にはもはや聞こえなかった。

「もう誰も、僕の味方をしてはくれぬのかっ!」

 声を放って慟哭する頼家と、動揺と混乱に騒めく一同の様子を静観していた北条兄弟は、誰にも悟られぬように心の中で小さくほくそ笑んでいた。

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