序 平泉陥落 2
頼朝の前に引き立てられたのは、泰衡侍従の女性が五人。中にはまだ年若い少女の姿もあるが、いずれも凛々しい戦装束に身を包み、屹と頼朝ら源氏の武将らを睨み据えていた。
侍女達の先頭に立つのは、二八の年頃と見える美しい女だった。
「庄司殿、気を付けられよ。蝦夷の女子は隠処に牙が生えていると申すぞ」
尋問の為、侍女達に歩み寄る重忠に武将の一人が野卑な冗談を飛ばすが、景時に睨みつけられ黙り込んだ。
「其許が五人の筆頭か。名は何と申すか」
敵の大将を前に臆する様子を見せぬ雑仕女達に感心しながら重忠が問いかける。
「……伽羅之御所雑仕頭、沙羅と申しまする」
じっと重忠を見つめていた沙羅が、やがて鋭い眼差しで源氏の武将達を見回した後、野次を飛ばした武将の方を物凄い形相で睨み据え叫んだ。
「源氏の侍よ、我が身に牙があると申したか。ならば裸に剥いてその牙を皆でとくと目の当たりにするがよい! 控えよ源氏の頭目よ、雑兵どもよ。貴様等が今踏み躙っているのは我が御君の尊き御殿じゃ!」
火のような双眸を重忠の背後に立つ頼朝に向ける。
「聞くがよい。貴様等に家を焼かれ、田畑を焼かれ、糧を奪われ、子や親を奪われ、
先程揶揄った武将が青ざめるほどの血の叫びだった。
「源氏の鬼共奴、今に思い知るがよい! そして我らが呪詛をその身に刻まれ悶えるがよい!」
喉が張り裂けんばかりの沙羅の絶叫が響く。
「己の所業に慄くがよい、己が生んだ亡霊に震えるがよい、そして己の流した血に溺れるがよいのだ――」
ぎり、と歯を軋らながら頼朝に向かって叫んだ。
「――貴様の弟のように!」
しん、と静まり返った。
ごくり、と喉を鳴らす音が聞こえた。
傍らの者がこわごわと頼朝の顔を伺ってみたが、まるで何も聞こえなかったかのような無表情で冷たい眼差しを沙羅に向けるばかりだった。
やがて、頼朝が口を開く。
「……重忠よ」
「は!」
ハッとしたように重忠が答えた。
「予は奥州の言葉はわからぬ」
「は……?」
「この娘が今何と言ったのか、説明してみよ」
重忠が困惑したように言葉を詰まらせる。周りの武将達も皆互いの顔を見合わせ押し黙った。
たった今娘の口から放たれた言葉は奥州のそれではない。流暢な宮廷言葉の抑揚である。おそらく過去に宮仕えの経験があるか、或いは京の貴族の出自なのだろう。源氏の棟梁たる頼朝に聴き取れぬはずはない。
「どうした、誰かわかるものはおらぬのか?」
配下達を見回す頼朝の無表情の視線に、何か言い知れぬ恐ろしさを感じ、皆一様に身を竦める中、
「――我らを歓迎する。と申しております」
そう答える景時の声に、皆がぎょっとして一斉に顔を向けた。
「そうか。歓迎する、か」
ふっと頼朝が表情を緩める。
「ならばこの娘らを、これ以上無体に縛めておくわけにはいかぬな。重忠よ、その者らを自由にしてやるがよい」
頼朝の言葉に、皆が揃えたようにほっと息を吐く。
「よいか、この娘らをはじめ、平泉市中において民らへの一切の狼藉を禁ずる。特に無量光院や観自在王院、その他仏閣については大小を問わず予が直接管轄し、勝手な出入りは許さぬ。肝に銘じよ!」
そう命じると、大将を先頭に、将兵たちはぞろぞろと伽羅之御所を去り、後には重忠とその従卒数名、そして沙羅たちのみが残された。
頼朝の背中を見送ると、力が抜けたようにその場にへたり込む沙羅の下にワッと娘たちが縋り付いた。
「まったく、大した娘じゃ。肝が冷えたぞ」
労うように重忠が助け起こす。
「何故、其許らは残った? 捕らえた相手が悪ければ、何をされていたか知れたものではないぞ」
重忠の問いかけに、くっく、と沙羅が笑って答えた。今までの般若面のような形相が嘘のような、飄々とした様子だった。
「この先どこで戦い、どこに逃げたって、どうせ最後には殺されるか、捕まって慰みものにされるかだ。ならば一門の皆と暮らした御所に残って、敵の玩具にされる前に一人でも源氏を道連れに死んでやるつもりだったんだ。それで、せめて最後の冥途の土産に憎たらしい源氏の大将を前に啖呵の一つでも打ってやろうと思ったのさ。迫真だったろう?」
心配そうに寄り添う雑仕女達を宥めながら自嘲するように笑った。
その潔き豪胆さに胸を打たれたか、従卒達も主に命じられるより先に娘達に駆け寄り、労いの声を掛けながら縄を解いていく。
「あなたは源氏の侍にしては、確かな人らしい」
従卒達に縛めを解かれた沙羅が重忠を見上げ目を細める。
「それで、私達はこの後どうなるのかな?」
「どうもこうも、佐殿が仰せられた通り其許らは自由の身。後は好きにするがよい」
「そうか」
にっこりと沙羅が笑い、娘たちを見渡す。
その微笑は、重忠がはっと息を呑むほどに儚いものだった。不吉な予感が過った。
娘たちも、覚悟を決めたようにこくりと頷いた。
「――じゃあ、先に逝くね」
そう言い残すと、素早く懐から短剣を抜き放ち、切っ先を喉元に突き立てた。
「待たれよ!」
慌てて沙羅の手首を掴み押し止める。
「何故其許らの主が御所を焼いたと思う? 何故山のような財宝を手付かずに敵である我らの前に残していったと思う?」
身を捩って逃れようとする沙羅を必死に説き伏せる。
「其許らに生きてほしいからではないのか?」
暴れた弾みで沙羅の手から短剣が離れ落ちた。
膝をつき、肩を落とす沙羅の両目から、ぽろぽろと涙が零れた。
「のう、景時よ」
傍らに馬を並べる寵臣に頼朝が問いかける。
「もし我らがあの娘らにあの場で危害を加えようとしていたら、どうなっていたと思う?」
「血の海となっていたでしょう」
景時が即答する。
「やはりおぬしも気づいておったか」
頼朝が頷いた。
「おそらく、娘たちに触れた途端、そこらじゅうの民達が皆得物を手に戸口を蹴破り現れ、一斉に我らに斬りかかってきたであろう。あの雑仕女の見事な覚悟といい、我らは思いの外恐ろしい相手と戦っているのかもしれぬ」
主の言葉に景時も首肯する。
「民の信頼、忠誠をこれ程得る難しさは、加茂河や比叡山の坊主共をあしらう比ではございませぬ。これが百歳の繁栄を謳った秀衡公の御人徳、藤原一門の底力か。あの黄金の山など飾りにすぎぬ。今更ながら油断ならぬ相手にござる。悠長に勅令を待っていたら、この戦、果たして勝てたかどうか」
そう言いながら、何か思いついたように景時が苦笑する。
「彼奴等にしてみれば、我らは家族の団欒の最中に土足で上がり込んだ盗人ですな」
景時の冗談に、頼朝もクスリと笑う。お互い、寂しげな遣り取りだった。
一行は毛越寺へと近づきつつあった。
やがて、頼朝が口を開いた。
「景時よ。泰衡は必ず生かして予の下へ捕らえてまいれ。これ程の洗練された文化を築き、見事に人心を掌握した藤原の末裔、是非一度話をしてみたい。何より、今後の奥州の統治に藤原一門の力は不可欠と見た。よいな」
「仰せのままに」
金鶏山に、晩夏の夕日が沈もうとしていた。
その一月後、泰衡は逃亡先の出羽国肥内郡にて郎党河田次郎の裏切りにより非業の死を遂げた。泰衡の首を持参し源氏への帰順を示した河田に頼朝は激怒し、その場で手討にしたという。
奥州合戦が終結し、再び平泉に逗留した頼朝は各仏閣の荘厳さに改めて感銘を受け、鎌倉に戻った後に合戦の戦没者を弔うため二階堂の地に中尊寺、毛越寺を模した永福寺を建立した。その雅やかさは鎌倉一の名勝と謳われ、評判を呼んだという。
この永福寺、そして平泉の無量光院や観自在王院、毛越寺は頼朝の意向もあり鎌倉幕府により手厚く保護されたが、大部分は後世の災難により焼失し、現在はその名残を僅かに留めるのみである。
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