序 最後の抗戦
文治六年(一一九〇)如月一二日、奥州栗原郡一迫。
雪を纏った森林――そう見紛うような光景だった。
彼方一面を覆い尽くし、雪原の上を風に靡き翻るのは全て源氏の傘下を示す無数の白幟。幾千幾万とも知れぬ馬の嘶きや騎兵徒兵らの鎧甲冑の鳴り合う音が幾町も離れたこちらまで絶え間なく聞こえてくる程。これらがもし全騎一斉に蹄を踏み鳴らせば大地が地鳴りの如く轟くことだろう。
奥州蜂起の報を受け、足利義兼を筆頭として反乱軍鎮圧に赴き来たる鎌倉軍。その総数は見渡す限りにおいても一万とも、二万ともつかない。
「我が弟らも、あの中に加わっておるかもしれぬ……」
小高い丘から真っ白な雪原を挟み、大軍を正面に見下ろしながら、騎乗の武将――故藤原泰衡郎従大河次郎兼任が忸怩たる思いで呟く。
兼任の弟、二藤次忠季、新田三郎らの二人は既に鎌倉の御家人として頼朝に忠誠を誓っていた。
時折冷たく頬を聳やかす冬の風が、真っ白に凍った吐息を攫っていく。
如月半ばの風には冬曇りの小雪が混じり、日が昇ってもなお冷たい。
「一体幾人の一門の者らが源氏に帰順したことでしょうな」
傍らの副将が憮然とした様子で言った。
その言葉に兼任が不敵に笑う。二人とも目前の大軍に怯んだ様子は微塵も感じられない。
「……だが、皆は我らが蒼旗の下に再びついてきてくれた」
そう言って振り返る兼任の後ろには、一面に広がる蒼天の波――対面に構える源氏の大軍勢に勝るとも劣らぬ数の藤原蒼旗が真冬の曇天にも青鱗のように眩しく翻っていた。
前年九月、北方の覇者、藤原泰衡の討死により奥州は源頼朝の手に落ち、百年に及ぶ奥州の独立政権は幕を閉じた。
しかし、比較的戦火を免れていた出羽の藤原家残党らは奥州合戦の後も撹乱戦による源氏への抵抗を続け、翌くる文治六年睦月、兼任を筆頭とした旧家臣ら七千騎が蜂起。出羽の由利維平や津軽の宇佐美実政ら鎌倉の追討軍を次々と討ち取り、同月中には遂に平泉を奪還した。この戦果を聞き、鎌倉に降り、或いは野に下っていた旧藤原一門郎党や、同調した反鎌倉の坂東勢も次々と馳せ加わり、鎌倉攻略を目指し栗原郡に至る頃には兼任率いる軍勢は一万を凌ぐものとなった。
この勢いに驚いた鎌倉は遂に精鋭東海道軍の動員を下令し、両軍はこの日、一迫にて対峙することとなった。
(……御館様、ご覧あれ。我らが蒼旗、天に数多翻るこの様を。我が一門、一敗地に塗れたとはいえ、未だ滅んではおりませぬぞ!)
亡き主君に思いを致し、込み上げるものを堪えながら兼任は軍勢を見渡した。
「同輩皆々、よくぞ再び集ってくれた。感謝に堪えぬ!」
厳かに告げる兼任の言葉を、一同は静かに拝聴する。
「これより、我らが主君の仇を討つ――あれを見よ」
兼任が指し示す彼方には、依然と不気味に布陣を広げる白幟の大軍。無論、武者震いこそすれど今更慄くものは誰一人として見当たらない。
「朝廷の御諫めを無視し天子様を蔑ろにし、勅命無きまま無法にも我らが
一同が無言で頷く。中には涙を流し、感極まり顔を覆って咽び泣く者もある。
「今こそ、我ら奥州の蒼き戦旗の下、偽官軍共に我らの手で天誅を下す。彼奴等の軍勢の中にはかつての同輩も降っていよう。それを恨むな。だが情けもかけるな。只斬れ。斬り進め! 彼奴ら鎌倉の犬畜生共を白河の関から外へ叩き出せ! そして勝鬨の暁には我らが主君の菩提に頼朝の首を供えるのじゃ! 皆々、備えはよいか!」
応おおおおおおおおっ! と雪原を轟かさんばかりの一斉の鬨の声に、今まで不動に構えていた鎌倉方の布陣が俄かに騒めき始めた。
「鏑矢を用意せよ! 陣太鼓を打ち鳴らせ!」
傍らの副将――由利八郎が兜の緒を引き締め、合戦の用意を指示した。
兼任が太刀を抜き放って叫ぶ。
「これより、正面に陣取る敵本隊を潰し、一気に鎌倉へ攻め進む。坂東の
真っ白な雪原に地吹雪が舞い上がると同時に、奥州における平安末期最後の激戦、一迫の合戦の幕は切って落とされた。
この日本史上初の主君の仇討合戦とされる大河兼任の乱、その最大の激戦は、結果として鎌倉軍の勝利に終わり、兼任は生き残った小勢を率いて衣川、多宇末井と奥州各地で転戦を続けるが、同年三月、遂に栗原の地で斬殺され、二ヶ月に及ぶ反乱は終結した。
この反乱により藤原家残党勢力はほぼ一掃され、鎌倉幕府による奥州支配体制が一層確立していくことになる。
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