第5章 衣川の戦い 4
四、
己の流した血の海に溺れるように俯せに転がった義経を見つめ、皆鶴は崩れるようにその場に座り込んだ。
(……やっと、終わった)
炎は、この仏堂にまで燃え移ったらしく、あちこちで火の粉が舞い、火炎の爆ぜる音が聞こえてくる。
(結局、……私はどんな結末を望んでいたのだろう)
長い溜息を吐きながら、ふと、皆鶴にそんな思いが過った。
いつか奥大道で義経一行とすれ違った時。
あの時、自分は何かを考えるよりも先に刀に手を掛けていた。
見極めも何もない。最初から、義経を斬るつもりで十余年もの間放浪を続けていたのだ。
自嘲の吐息が零れる。
高衡に賢しら顔で言えた義理ではない。最後まで業に呑まれ、惑いに溺れていたのは自分自身だったのだから。
(疲れた……な)
けほ、と咳き込みながら皆鶴は血を吐いた。己の腹を突き刺す際に急所を外したつもりだったが、その後義経に抉り込まれたせいで思いの外深手となり、傷は臓腑をずたずたに引き裂いていた。明らかに致命傷だった。
最早苦痛すらも朧気にしか感じなくなりつつある皆鶴が、ふ、と静かに微笑む。
(父上。……皆鶴は御役目を全う致しました)
目を閉じる。最後に過るのは、長く辛い旅の記憶ではなく、平泉で過ごした束の間の思い出。
(……楽しかったな)
つう、と皆鶴の頬を涙が伝う。
(泰衡様、お先に逝きます。どうか奥州の平和が
そう祈りながら、思わず懐をぎゅっと握りしめる。
その胸中から、ぽろりと何かが零れ落ちた。
「……?」
拾い上げると、それは小さな蓮の実だった。刀を刺したときに袋の一部も切れてしまったのか、取り出した途端にぱらぱらと御堂の床に零れていく。
「あ……」
――死なないでおくれ、必ず帰ってきておくれ!
「……帰ら……ない、と」
小袋を握り締め、壁伝いによろよろ身を起こし、戸口へと足を踏み出す。
――身共を鞍馬山に案内してくれぬか?
「約束……したんだ」
だが幾らも進まぬうちに、崩れ落ちるように音を立てて倒れ込んだ。
堂の床に、じわじわと血溜りが広がっていく。
「ああ……」
死の気配が、すぐ目の前に迫っているのを感じた。
「……う、うああ、……嫌だ、嫌だ!」
苦しげに息を荒げながら、皆鶴は慟哭した。
――我らとともに生きよ
「死にたく……ない、よ」
這いずりながら、戸口を目指す。
「生きて……いたいよ」
ぽろぽろと皆鶴の両目から涙が零れ落ちる。
しかし、最早指の先にすら力が入らない。
自分が何処に向かって這い進んでいるのかすら判らなくなっていた。
火の勢いが、すぐそばまで迫っている。
――いつまでも平泉にいておくれ。妾の可愛い妹よ
「せめて……今一度、だけ」
――其許の生まれ育った故郷を、是非一度訪ねてみたい
――君の反応、素直で好きだよ
「今……一度、だけ……皆に」
――其許だけ徒をさせるのでは具合が悪い。某の馬に乗られよ
――そなた、人を斬ったことはあるか?
「み、んな……に、逢い……た」
――千歳の彼方まで我らと共に見護り、我らとともに……
……やがて、うっすらと白みゆく皆鶴の目の前に浮かび上がるのは、いつか見た金色の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩。
そして見渡す限りに咲き誇る美しい蓮の花々。
力尽きた皆鶴の掌から、幾粒もの蓮の実が零れ落ちていった。
皆鶴が最後に見たものは、千歳の後の世に花開く一面の蓮華だった。
文治五年(一一八九)、閏四月三十日。
藤原泰衡。父秀衡の遺言を破り衣川高館を襲撃。
源義経。妻子を殺害の後、自刃。
正史にはそう記されている。
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