第5章 衣川の戦い 3

 三、


「御前様。あれをご覧あそばせ」

 痛まし気な面持ちで沙羅が外を指さして見せる。

 伽羅之御所にて一心に祈り続けていた北の方が沙羅の指さす方へ目を向け、息を呑んだ。

「衣川が燃えておりまする」

 もう間もなく正午を迎えようとしている北東の山岸に、蒼天から炎を上げて夕陽が落ちてきたかのような凄まじい光景が浮かんでいた。衣川の丘と、麓の北上川の水面を地獄絵図のように轟々と染める紅蓮の色と、悪夢のような黒煙の入道雲に、ふっと北の方は気が遠くなった。

「御前様!」

 慌てて駆け寄った沙羅に抱き起されながら、北の方はぎゅう、と両目を瞑り、一刻も早くこの悪夢のような炎が収まり、皆の無事な帰還とこの平泉に平穏な日々が戻ることを強く願った。



「ぐうぅ……!」

 左胸に深々と刃を突き刺され、長崎が断末魔の呻き声を漏らした。

「藤原の将よ。この爺と刺し違えるとは、褒めて遣わすぞ」

 獰猛に笑う兼房の腹も、長崎の太刀に刺し貫かれていた。

「太夫之介と申したか。儂と共に御君の冥府までの道案内をするがよい」

 そう言って老将は長崎を抱えたまま、燃え盛る高館の炎の中へと身を躍らせた。


 荒い息を吐きながら、満身創痍の八郎が薙刀を下ろした。

「……こやつ、死んでおるのか?」

 皆鶴が行った後、鬼気迫る気迫で以て八郎を追い詰めていた大男は、高館に到着した泰衡本隊の一斉掃射を浴びた後も、身体中に矢を負ったまま八郎に斬りかかり、最早これまでと観念したところで突然ぴたりと動きを止めた。

「立往生とは……敵ながらまことに天晴な男であった」

 鬼のような形相のままこと切れた僧兵、武蔵坊弁慶の前で、八郎は好敵手に畏敬の念を込め合掌した。


「長崎は、討たれたか」

 無念さを滲ませながら泰衡が呟く。

「十人足らずの義経勢に我が方の先陣五十余名がほぼ全滅とは……もし鎌倉と事を構えることにでもなれば、容易ならぬ戦いになるぞ」

 怪我人の介抱と館の火消しに奔走する兵たちを見回しながら国衡が溜息を吐く。

「鎌倉との戦は、何としても避けねばならぬ。それが、三郎の最後の願いじゃった」

 御所で皆に見せる時よりも一層厳めしい面持ちで泰衡が頷いた。

「兄上、皆鶴殿は無事でござるか!」

 あちこち探しまわったが見つからぬと、息を切らしながら高衡が駆け込んで来た。

「皆鶴は……皆鶴は何処に居るか?」

 泰衡が周囲に呼び掛ける。

「皆鶴殿は」

 傷の手当てを受けていた八郎が、屋敷全体に炎の回った高館を指さした。

「……まだあの中から戻りませぬ」

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