第5章 衣川の戦い 2

二、


 炎を上げているのは館の外周のみで、今のところ屋敷の内部にまで火勢は迫ってはいないが、この炎の勢いでは直に建屋にも燃え移るだろう。

 煙を立て始めている屋敷の中を探っていると、どうやら先ほどまで義経主従は最後の宴を開いていたらしい。空の膳や土器かわらけが散乱しており、雑仕の者らは慌てて逃げたと思われる。

 まさかそれに紛れて義経も逃亡を図ったのではあるまいな? と不安に駆られる皆鶴は、奥の間で足を止めた。

 布団の上で、二人の遺骸が横たわっていた。恐らく義経の妻子とみられる。

 自害したか、或いは主人か郎党の手に掛けられたか。

 遺骸を改めるに忍びなく、皆鶴は二人に手を合わせ、捜索を続けた。



 やがて、館の奥に立つ仏堂に辿り着いた。

 中に入ると、薄暗い堂の奥に壁に凭れ片膝立に座りこちらを睨みつける男と目が合った。

「誰じゃ?」

 男の鋭い問い掛けの声に、皆鶴は無言で顔を伏せた。

「誰かと聞いておる!」

 苛立たし気に再度問いかける。

「――鞍馬の天狗にございます」

 フン、と義経が鼻で笑った。

「法眼様の手の者か。今頃何用で参った?」

「『鞍馬六韜』を返していただきたく参りました」

 義経は暫し考えこんだ末、ああ、と声を上げた。

「あの武芸書か。あれはもう僕の手元にはないぞ。京を追われた時、兄者の配下の者の手に渡るのも癪なので、他の私物と一緒に庭の焚火にくべて焼いてしまったからのう」

 事も無げに言う義経に対し、皆鶴は初めて顔を上げる。

「……では貴方様の御首を頂戴するまで」

 頭巾の中でじっと見つめる皆鶴の視線に、義経は哀しげに微笑んだ後、両手で顔を覆った。

「本当なら、兄者の援軍が駆け付けるはずだったのじゃ。兄者は僕を許すと言ってくれた。この企てが危うくなったら奥州に潜ませてある鎌倉の精鋭が僕を助けに来る手筈だったはず。何故に兄者は兵を出してくれぬ」

「貴方様の騙った宋の水軍と同じ、絵空事でしょう。貴方様の兄上は、端から救うつもりなどなかったのです」

「兄者は、僕を許してくれたのではなかったのか。僕を最初から見捨てるつもりだったというのか……!」

 慟哭する義経に、皆鶴が静かに語り掛ける。

「因果応報でございましょう。貴方様は泰衡様ご兄弟の仲を裂き、忠衡様や通衡様を死に追いやった」

 きっと顔を上げ、皆鶴を睨みつける。

「この僕が平気で手を下したと思うか? 父のように慕っていた秀衡様を裏切り、兄弟同様にこの平泉で過ごした三郎や五郎を陥れることが、どんなに断腸の思いであったか、お前などに判って堪るものか!」

 そこで、初めて気づいたように義経は目を丸くする。

「そなた、女人か?」

 皆鶴は黙ったまま、じっと義経を見つめる。

「もし僕が、この場から上手く逃れた後は夷狄島から宋に渡り、今一度再起を図るつもりだとしたら、そなた、どうする。僕を見逃し共に来ぬか? そなたの身分、誓って良きに計らうぞ?」

 義経の申し出に、皆鶴は頭巾の奥でク、と笑う。

「……喜んで、御伴致しまする」

 すう、と太刀を引き抜いた。

「貴方様の首級を頂戴した後には、地獄なりとも、何処へでも――」


 たん、と義経の姿が掻き消え、刹那皆鶴の顔面に白刃が振り下ろされた。


「っ!」

 辛くも太刀で受けきるも、一瞬も置かず左から迅速の速さで短刀が繰り出される。

 これも素早く腰から抜き放った黒鞘で受け止めたが、両手を塞がれた形で身動きを奪われた皆鶴に顔を近づけ嘲るように義経が笑う。

「僕の縮地を受け切るとは、流石は鞍馬の使いよ」

 両手の自由を奪われた皆鶴を、義経は蹴り飛ばし、皆鶴の身体は堂の壁まで転がった。

「くぅ……っ!」

 苦痛に顔を歪めながら態勢を立て直そうとする皆鶴の手から太刀が叩き落され、顔先に白刃を突き付けられる。

「観念せよ、鞍馬の女武者よ。大人しく言うとおりに従えば悪いようにはせぬ。只の女人なら足手まといになるが、其方ほどの手練れなら便女として使ってやろう。どのみちこれからの長い道中で女人は必要になる」

 冷たい目で見降ろしながら義経が言葉を続ける。

「つい先ほど、我が妻と娘をこの手で殺めたばかりじゃ。これ以上女人を殺めとうはない」

 じっとその目を見つめていた皆鶴が、がくりと顔を伏せた。

 やがて、頭巾の下から忍び笑いが漏れる。

「ふ……ふふ、」

「何が可笑しい?」

 怪訝そうな顔をする義経に、皆鶴はぎり、と顔を上げ笑顔を向けた。

「そのお顔。貴方様の得意そうに勝ち誇るお顔。我ら天狗も顔負けの高飛車なそのお顔! 鞍馬を出てからこの十余年夢にまで見ておりました。ようやっと間近で眺めて見ておりましたら、なんと可笑しなお顔ではございませぬか」

「……なに?」


「――その天狗のような鼻持ちならぬお顔を、一度でいいから引っ叩いてやりたかったのじゃ!」

 

 言うが早いか、突き付けられていた太刀の刃を掴むと、自分の右腹に突き立てた。

「なっ!?」

 慌てて太刀を放そうとする義経の腕を、皆鶴はしっかりと掴み離さない。

「ようやく捕まえましたぞ」

 そして、頭巾に手を掛け素顔を晒した皆鶴の顔を見た義経は驚愕に目を見開いた。

「お前は――!」

「鞍馬鬼一法眼の娘、皆鶴。……お久しゅうございます、遮那王様」

「は、離せ、離せ!」

 死に物狂いで振り解こうとするが、皆鶴の手は固く掴んだままびくともしない。

「おのれ、離さぬか!」

 引こうとしていた刀を逆に押し込み、腹に捻じり込む。皆鶴が血反吐を吐いた。

「父上の命により、貴方様に引導を渡し仕る。お覚悟を」

 鞘に突き刺さったままの短刀を引き抜き、義経の腹に突き刺した。

「ぎゃあっ!」

 絶叫を上げて俯せに倒れる義経にのしかかる。

「その御首頂戴致しまする。観念なされよ」

 義経の髷を掴み、顔を近づけ皆鶴は囁くように告げた。

「ま、待て、皆鶴」

 苦し気に顔を歪ませながら義経が呻く。

「よく聞け、皆鶴よ。今ここで僕を殺せば、兄者は問答無用で平泉を攻めるぞ。僕を匿っていたことが鎌倉に露見すれば、もう言い逃れはできぬ。民は悉く嬲り者にされ、藤原一門は皆骸を晒しものにされることになるぞ。それでも僕を斬るつもりか!?」

 組み敷かれ血の泡を吐きながらも睨みつける義経の言葉に、皆鶴は一瞬手を止める。

「のう、忘れたのか。……お互い、初めて睦み合うた仲ではないか」

 それは懇願にも似た呻きだった。

 皆鶴はつう、と唇端を釣り上げる。

「……先ほど、地獄まで御伴をと申しましたが、どうぞお一人でお行きなさいませ」

 凄まじいまでの笑みに顔を歪ませながら義経の髷を引き上げ、首筋に刃を押し当てた。

「せいぜい、あの世で忠衡様らにお詫びなさるとよい!」


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