第3章 泉之館の乱 1

 一、


 文治五年(一一八九)睦月、柳之御所。


 評議の場は、今までになく重苦しい空気に満たされていた。

「いったい……一体どうしたことじゃこれは!」

 手元に回ってきた書状を思わず床に投げつけそうな勢いで基成が叫んだ。

 それは昨日平泉に届いた義経捕縛の院宣。最早見慣れた文言である。

 しかし――

「前回は父上が入滅されて三月と経たず、今回は祖母様が亡くなられて一月と経たず。あまりに時期が揃い過ぎておりませぬか?」

 皆の不可解を高衡が代弁する。

「平泉から鎌倉を経て京まで、どんなに馬を急がせても一月は掛かる。たまたま時期が符合しただけであろう」

「左様。皆昨年の大法会の一件を懸念されておられるようだが、例えそうだとしたところで、五十余もの間者を遣って鎌倉の犬共がしでかすこととは、結局いつもの通り朝廷の後ろに隠れての遠吠え程度か。ならばこれまでと何ら変わりなき事。恐れるに足りませぬぞ」

 主君の言葉に、出羽より弔問に訪れていた若侍、大河兼任も勇ましく同意する。

「しかし、先日の祖母様の件、あれはどうお考えか。検分方の実検によると、祖母様は」

 言葉を切り、躊躇しながら高衡は続ける。

「何者かに殺められた後で、離れに運ばれ火を点けられたというではないか。これが予め火付けの日取りを定め、それに合わせて院宣を発する企てだとしたら」

「もし鎌倉の仕業であるとすれば、何故この泰衡の首をまず狙わないのか」

「御館様」

 流石に国衡が窘める。

「いずれ先日の一件は取り調べ中である。徒に鎌倉に結び付けては却って頼朝の目論見通りとなりかねぬ。無暗な憶測立てで皆の動揺に拍車をかけるな」

 国衡の言葉に、一瞬座は静まりかけるが、

「実は、御館様」

 おずおずと由利八郎が口を開く。

「それについて、あまり愉快な風聞ではございませぬが、御耳に入れたきことがございます」

「申してみよ」

「その尼様のことについて、巷では御館様が手を下し、院に火を放ったとの噂が流れております」

 一同、一斉に上座の主君に視線を向け、一拍の後皆口々に毒づいた。

「何を戯けたことを」

「御館様はあの日夕刻から日が沈むまでずっと阿弥陀堂に籠って居った。皆鶴殿や最初院の坊主達もそう申しておったではないか」

「確かに、かつて兄上と祖母様は九郎殿の遇し方について随分揉めたことはあったし、年度末の度に院の修繕費の予算案について身共相手に散々兄上への愚痴を零しておられたが、その程度の仲違いで院に火を点けるくらいなら身共などとっくに伽羅之御所を灰にしておるわ」

「まて、八郎」

 泰衡の思わぬ厳しい口調に一同口を閉ざす。

「噂の出所は押さえておるのか?」

「は。それが……」

 恐縮しながら八郎が答える。

「どうやら、忠衡様らしいのです」

 一同、静まり返る。

「……忠衡は、忠衡はどこに居るか!」

 堪忍袋の緒が切れた様子で基成が立ち上がる。

「これまで散々評議の場を掻き回し、藤原家を二分するような所作をしおった挙句、戯けた風聞で一門を辱めおって。今度という今度はこの基成が灸を据えてくれる。忠衡を連れてまいれ!」

「忠衡と通衡は側近共々今日は欠席してござる。基成殿、落ち着かれよ」

 泰衡らに宥められ基成は漸く落ち着きを取り戻す。しかし怒りは未だ収まらぬ様子。

「大方二人とも九郎殿の屋敷にいるのでしょう。近頃随分入り浸っているとのことですからな。基成殿の屋敷の垣根一つ向こうなのだから朝出るときに気づきませなんだか?」

「いや、それが九郎殿は今朝から郎党幾人かを連れて出かけたようでな、今高館には奥方とご息女、それに二三の供回りの者しかおらぬはずじゃ」

 青筋を浮かべ息を荒げたままの基成が答える。


 結局この日の評議も明確な進展が何もないままに終わった。

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