第2章 蓮華の宴 8
同年 師走、伽羅之御所中庭
「……まだまだ、もう一本」
「では、いざ」
青痣をこさえながら尚も果敢に木刀を構える高衡と、今日もこれで幾度目か知れぬ打ち合いに息一つ乱さず相対する皆鶴。
「もういい加減諦めよ四郎よ。そこの鞍馬の姫君は我ら奥州の男衆が束になっても太刀打ちできぬ女傑ぞ」
連日面白がって見に来ているが、一方的に転がされる弟の様にいい加減飽きてきた忠衡が欠伸を噛み殺しながら野次を飛ばす。北の方も流石に慣れたらしくホホホと笑いながら振り下ろした木刀が掠りもせず逆に転ばされる高衡の様子を微笑ましく眺めている。
「なんだ今日もやっておるのか」
呆れたように呟きながら泰衡が現れる。
「よくもまあ、毎日毎日。皆鶴殿もよく嫌な顔一つせず付き合うているものじゃ」
「いえ、皆鶴も何やら楽しそうに見えますわ」
「そうか?」
「それに、近頃は高衡殿も随分丸くなったように見えますもの」
確かに、最近の弟が何処か一皮剥けたようには泰衡も感じていた。鬱屈の捌け口が出来た為か。
泰衡の姿を認めると、忠衡は踵を返し退出していった。
「……」
泰衡は黙って弟の背中を見送る。先の義経の一件以来、兄弟たちの間には言いようのない確執が見え始めていた。
「高衡様。今日までの間に随分上達なされました」
再び木刀を構える高衡に皆鶴が語りかける。
「何を言うか。まだ其許から只の一本も取っておらぬ」
肩で息しながら高衡が返す。
「高衡様は何のために剣を振るわれますか?」
「……?」
「もう三月もの間、一日も欠かさず私に勝負を挑まれます。それは何故? その剣の切っ先は何処に向けられますか?」
「頼朝から平泉を守るためじゃ。……――っ!?」
二間近く距離のあった皆鶴の顔がすぐ目の前にあった。
はっとした時には耳元を掠める木刀の呻りに堪らず地面に転がった。
今までにない本気の打ち込みだった。
すぐさま立ち上がる高衡に皆鶴は重ねて問うた。
「では高衡様、その剣の切っ先は頼朝に向かうのですか?」
「無論じゃ。奥六郡
言い終わるか否かのうちに凄まじい一撃が襲い掛かる。
辛うじて受けきるも、両手が軋むほどの痺れが走る。娘のか細い腕から繰り出されたものとは思えない。
競り合いを振りほどき再び間合いを取る。
「では高衡様の剣は頼朝のみに向けられるのですか?」
「頼朝を討たぬ限り奥州に平穏はない!」
「では、奥州は何処へ?」
「なに?」
す、と皆鶴が腰を落とす。今でいう平正眼の構えをとる。高衡も思わず構え直す。
「では高衡様は何処におられますか?」
「其許が何を問うているのかわからぬ。身共がどうしたと」
次は牙突が来るものと構えていた相手の姿が掻き消えた。
反射的に前にのめると今まで頭のあった場所を相手の木刀が鎌鼬の空を切った。
「あなたは目の前に頼朝を見ておられるか。ならば平泉は何処に、高衡様ご自身は何処におられますか?」
地面を転がりながら起き上がりざまに構える。しかし相手の姿がどこにも見えぬ。
「あなたは切っ先を見ておられる。でも、あなた自身はどこにおられるか。平泉は? 高衡様が見ておられるのは切っ先か、切っ先のそのまた先か? 次は外しませぬ」
「……!」
やっと相手の姿を捉えた。そして高衡は――刀を降ろした。
「――見えたぞ」
その顔は、まるで憑き物が落ちたかのように涼やかだった。
「お見事でございます」
そう言って、刀を納めた皆鶴が頭を下げる。最初と同じ、二間と離れていない真正面に佇んでいた。
そしてものも言わず疾風の勢いで高衡に抜き打ちに斬りかかる。
「――
パアアンっ! と高い音を立てて皆鶴の木刀が宙を舞った。
表情一つ変えずに高衡は刀の切っ先を皆鶴に向けた後、再び刀を降ろした。
「九郎様はここに至るまで三年を要しました」
にっこりと皆鶴が笑いかける。
「剣は只人を斬るための物ではございませぬ。然れども、剣は所詮、剣。攻むも守るも剣を手にする人の業。業に走れば惑いが生まれ、惑いに任せて徒に剣を振るえば人を損ない、己も損ない、更に迷いに溺れます。剣は只己を知り、人を知り、悟りを得るための道具にすぎませぬ。剣に驕り、切っ先に執着してはなりませぬ。驕りと執着の心が生じれば、またそこから惑いが生まれ、結局は無間の惑いに苦しむことになりまする。それを解すれば、何と身の軽いことでしょう。理を解し、百間を一歩に縮す。これが我ら鞍馬一党の「縮地」の奥義。三月の立ち合いで見事見切られるとは、御見それいたしました」
深々と首を垂れる皆鶴を前に、高衡は未だ夢でも見ているような顔で皆鶴を見つめる。
「身共は其許に勝ったのか?」
自分の成果が信じられぬ生徒にそうするように、皆鶴は破顔する。
「はい。私の完敗でございます」
「おお、……うおおおお!」
皆鶴に抱き着かんばかりの勢いで高衡は歓喜に噎んだ。
「まあ、すごい」
端から観戦していた北の方は手を叩いた。
「皆鶴、とうとう高衡殿に負けてしまいましたわね」
隣の泰衡も思わず呻る。
その二人の視線に気づき、皆鶴はぺこりと会釈をした。
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