第2章 蓮華の宴 7
「……軽率ですぞ。何処に鎌倉の手の者が潜んでいるか判らぬというに」
「なに、どうせ兄者にはとっくに僕の居所は割れておる。間者など泳がせておくがよい」
冷たく睨みを効かせる泰衡に義経はひらひらと手を振って見せる。
「とはいえ、僕もただ黙って泰衡殿に首を取られるのは本意ではない。いやなに、戯言よ。僕も忠衡殿の申される通り、先んじて手を打つのが最も得策だと考えている。但し、入念にな」
「おお、では何か妙策がおありか?」
忠衡と通衡、その追従者らは我が意を得たりとばかりに顔を輝かせる。
そんな弟たちを牽制するように二人の兄が口を開く。
「九郎殿。この場を弁えて宣わられよ。この評議の結論如何によっては、奥州の
「それに、先程愚弟らが九郎殿を総大将にと申しておりましたが、まさか貴公もそのおつもりではありますまいな? 今の貴公は朝廷より捕縛の令を受けた謂わば逆賊。匿っていることが公に露見すれば我らも只では済みませぬ。その九郎殿を総大将に仰ぎ事を起こせばわが奥州軍も朝敵と見做されることになる。そういったご自分の立場を判った上での発言か?」
「だから事は入念にと申して居ろう。泰衡殿の御懸念もこれから順を追って説明しよう。ときに忠衡殿よ。もし鎌倉と事を構えるとなれば、そなたはどう仕掛けるつもりじゃ? 具体的に申してみよ」
「は。まずは鎌倉軍を白河より内に誘い入れ、多賀に本陣を構えた上で伊達の郡と刈田の郡の境、阿津賀志山にて迎え撃ち、決着を付けようと目論みまする」
国衡もこれには内心同意した。もし鎌倉と事を構えることになったら如何に動くか、とは彼ならずとも幾度となく思い描いていたことだった。
「ふむ……それでは、負けるな」
「なんと!」
通衡が目を剥いた。
「白河を越えさせたら奥州は負ける。たとえ阿武隈川を堀に引き込もうとも、敵は瞬く間に川を埋め、その上を騎馬隊が踏み込み、思わぬ奇襲を仕掛けてこよう。源氏の僕が言うのも何だが、あの知盛や教経をも圧倒した源氏の機動力、努々侮ってはならぬ」
「ではこちらから坂東へ攻め入れというのか?」
泰衡が問う。「虎穴に飛び込むようなものですぞ」
「まさしく。如何に清盛が一目置いていた奥州十七万騎とて、真正面から十万余の歴戦を経た東海道軍を相手に鎌倉七口を越えることは出来ぬだろうよ」
不敵に笑いながら問いかける。
「だが海からは、どうじゃ?」
一同、唖然とする。
「水軍を率いて相模湾から兵を揚陸させるのじゃ。それならば坂東平野の伏兵や七口の切通に遮られることなく直接兄者の居る大倉御所を叩くことが出来るであろう」
好意的にどよめいたのは忠衡らの取り巻き達である。他は顔を見合わせ、或いは何とも言えぬ困惑顔で首を傾げる。
「奇抜な提案だが、九郎殿」
悩ましい表情で国衡が疑問を口にする。
「要の水軍はどこから連れてくるつもりか? 我が奥州は八島や壇ノ浦ではございませぬぞ」
「勿論ここは讃岐でもなければ長門でもない。だが国衡殿よ。鎌倉の棟梁には真似できぬ、奥州を統べる貴公たちにしか使えぬ切り札があるのじゃ」
息を呑む一同を見渡し、最後に泰衡に向かって進言した。
「泰衡殿、宋軍の力を借りられよ」
思いもよらぬ提案に騒然となった。
「何を馬鹿なことを!」
基成が声を荒げて立ち上がる、
「古今東西、戦に唐土の手を借りた例なぞ聞いたこともないわい」
「お言葉ですが基成殿、かつて白村江にて百済軍と共闘し、唐新羅と戦った故事もあるではござらぬか」
「それは中大兄皇子の御代、五百年以上も古のことじゃ。それに負け戦だったではないか」
「たしかに、ここは太宰府でもござらぬしな」
笑いながら老公家をいなし、義経は話を戻す。
「泰衡殿、この奥州は恵まれておる。我が愛馬太夫黒をはじめ優れた駿馬の産地であり、採り尽くせぬほどの黄金や砂鉄も埋もれておる。そして平家が滅んだ今、博多や西国の商人や豪族は別として、宋と強い繋がりを持つ巨大な一門は奥州を置いて他にあるまい。宋と縁を結ぼうなど坂東の野山しか知らぬ兄者には及びもつかぬこと」
「しかし九郎殿、宋との交易はあくまで通商上の私貿易。それに、宋との桟橋である外ヶ浜十三湊からぐるりと東へ回り、三陸から房総へ南下する航路などこれまで試みた例すらありませぬぞ」
険しい表情を崩さぬ泰衡の質問にも動じる素振りさえ見せず義経は不敵に答える。
「何も海路だけが水軍の領分ではない。この御所の傍らに誂え向きの水路が走っておろう?」
「北上川か!」
通衡が膝を打つ。
「左様。十三湊から北上川を下り、石巻より海路に出でる。気仙の郡一帯は優秀な木材の産地じゃ。そこで船団を整え、一路相模湾を目指す。途中の陸路では馬の助けがいるが、屈強な奥州の馬であれば陸の水軍にも負担は少ない」
「そして一気に鎌倉を討つというわけですな」
喜色を浮かべて忠衡が言葉を継ぐ。
「異国の兵の出現に天下は大いに動転するはずじゃ。朝廷も宋軍と結託した奥州に慌てふためくことであろう。さてその現状目の当たりにされた後白河院はどう御聖断あそばされるか?」
「元々、頼朝と院は険悪の仲にございまする。この度の九郎殿追捕の院宣も頼朝の無理強いのようなもの。語るまでもなきことにござる」
愉快でたまらぬといった風情で忠衡が肩を揺らす。
「加えて院は亡き清盛と共に日宋貿易を大層重んじておった。交易には奥州の莫大な黄金が不可欠。この二つが二つとも己の目の前に転がってくるとしたら、天下の大天狗殿、鎌倉の威圧もご自分で出された院宣も秤の外に弾き飛ばしてしまわれるだろうよ」
ここまで言い終えると、義経は立ち上がり、ざっと一同を見渡した。
「この企てには皆のお力添えが不可欠じゃ。僕に力を貸してくれるか?」
応! と威勢よく応ずる者達あり。
その他の者は、何とも言いかねる様子で主君の顔を伺った。
しかし泰衡は難しい顔で押し黙り、結局最後まで彼と義経の間で好意的な視線が交わされることはなかった。
義経独壇場の詮議が幕締めとなった後、大広間に残っていたのは泰衡、国衡、高衡、そして吉次の四人だった。
「まったく、夢のような話じゃ」
詮議の間終始険しい顔を崩さなかった泰衡が初めて微笑を見せる。ひどく乾いた笑いだった。
「馬鹿者共めが、九郎殿の口車にまんまと乗せられおって」
国衡が毒吐くなど滅多にないことである。
「吉次殿、宋との交易を担っている其許から見て、先程の九郎殿の企てをどうお考えか?」
高衡の問いかけに吉次は暫し思案した後に口を開いた。
「宋の商人から伝手を辿れば、官軍との交渉の場を持つことは不可能ではないでしょう。しかし相当時間が掛かるものと存じます。それに宋の軍制は本邦のものとは全く異なるうえに兵士の規律も我が国と比べ規模が大きい分著しく緩いと聞く。水軍も編成されてはいますが洗練されているとは言い難い。何よりも現在の宋軍の動向は西方に傾いています。その最中にいくら金を積まれたからとて、一歩間違えれば宋とわが日の本との全面戦争に繋がりかねぬ要請に対し、そう易々と我らに船団を預けてくれるものか、あまり期待は出来ぬと思われます。……あれほど大きな計画を練られたのなら、九郎様もこの程度の情勢は存じておられるはずなのだが」
吉次は首を傾げる。
「たしかに、外つ国の武力介入を招くことがどれほどの懸念を孕むものか、わからぬ九郎殿ではないはずだが。正直、まるで意図が読めん」
「いずれにせよ、九郎殿の御高説の御蔭で我が藤原一門が二つに割れてしまった態となったな」
「全く。後々面倒なことにならぬと良いが」
……この二人の懸念が、やがて現実のものとして奥州と彼ら兄弟に残酷な悲劇をもたらすことになろうとは、この場にいた誰もがまだ想像さえしていなかったのである。
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