第2章 蓮華の宴 6

 同日、柳之御所。


「……もう一度、皆の前で申してみよ」

 いつになく険しい面持ちの泰衡が、報告のため参上した武者に問い質す。

「はっ。三月前の大法会に参集され、翌々日にかけて平泉を発たれた客人のうち、五十余名が未だ白河関を越えておりませぬ。帰路の途中で行方をくらましたものと思われまする」

 一同、信じられぬという面持ちで騒めき立った。

「……つまり、五十人を超える坊主や公家に化けた鎌倉の間者共がぬけぬけと毛越寺まで侵入し、政所周辺を好き勝手にうろつき回った挙句、この奥州中に四方八方散ったということか?」

 驚愕に震えながら高衡が呟く。

「これは既に鎌倉の一線を越えた所業。頼朝のあからさまな挑発じゃ!」

 普段は飄々とした表情を崩さぬ忠衡の顔色が、この時ばかりは蒼白となっていた。

「兄上、最早猶予はございませぬぞ。ここまでこれ見よがしに鎌倉が動きを見せた以上、彼奴等は必ず次の一手を打ってきまする。恐らく次は武力行使。既に国中に敵の手勢が放たれたとあっては最悪内側から火の手が上がりますぞ。そうなっては、我が民が巻き込まれ犠牲となるは必至。何としても先手を打っておかねば」

 そこまで進言した忠衡が、はっとして下座に控える由利八郎に問いかける。

「八郎よ。疑いたくはないが饗宴の席での皆鶴殿の動向は如何であったか?」

「は。某、片時も目を離さず監視しておりましたが、客人はもとより、北の方様をはじめ女房衆の他は誰とも接触しておりませなんだ。ただ、随分客人たちの顔ぶれを気にしていた様子ではございましたが」

「それは九郎殿を探していたからでござろう」

 高衡が横から口を挟む。先日の一件以来、皆鶴に対する彼の態度は随分変わったように見える。

「いずれにせよ、既に一刻の予断も許されておりませぬ。直ちに先手を打ち、鎌倉に我らの矜持を見せつけてやるべきかと存じまする」

「兄上の仰る通り。今こそ九郎殿を総大将に頂き、我ら兄弟結束のもと鎌倉を誅せよとの父上の御遺言を果たすべき時にございます。まずは間者共を悉く捕縛し、彼奴等の首を頼朝の元へ送り付け、朝廷へ院旨を求めた上で鎌倉に攻め入りましょうぞ。これまで莫大な朝貢を献じてきた我らの上申、院も決して無碍には致しますまい。そうなれば鎌倉は朝敵、この戦の大義は我ら奥州にありますぞ!」

「無分別に逸るな戯け者め。それに秀衡公の御遺言は、九郎殿のもと兄弟力を合わせて政を図れというものじゃ。通衡まで何を血迷ったことを申しておるか」

 血気に盛る二人を諌めようとする基成の言も、最早忠衡らは聞く耳持たない。

「兄上、どうかご決断を」

 詰め寄られる泰衡は相変わらず険しい表情のまま。

「兄上、何を迷っておられまするか!」

「……今、迂闊に間者を捜索、捕縛するような真似をすればこちらに後ろ暗きことありと鎌倉に喧伝しているようなものじゃ。今はただ静観せよ」

「この上何を悠長なことを!」

「止さぬか五郎よ!」

 激高し掴みかからんばかりの通衡を高衡が必死に宥める。いつぞやの協議の場とはまるで真逆の様相に居並ぶ一同はただはらはらと狼狽するばかり。

「……兄上よ」

 不意に語調を改めた忠衡の言葉に、一瞬で座の喧騒が静まり返った。

 それほどまでに冷たい語調だった。

「よもや兄上はこうお考えか」

「申してみよ」

 まるで氷のように冷たい忠衡の眼差しを、厳しい表情のまま真正面から受ける。

「父上秀衡公のご遺言など、兄上は果たす気など毛頭ない。義経の首さえ鎌倉に送ってしまえば奥州は安泰じゃ、と」

「な……!」

 流石の高衡も絶句した。それは誰もが思いそして誰もが口にするのを避けていた選択肢だったからである。

「血迷ったか忠衡ァっ!!」

 今までに見せたことのない形相で国衡が叫んだ。

「忠衡、貴様の今の妄言、父上の前で言えるのか、父上の菩提の前でもう一度同じことが言えるのか? 答えよ忠衡っ!」

「父上の菩提にまず誓いを立てるべきは兄上の方ではござらぬか!」

 忠衡もまた怒鳴り返した。

 泰衡は無言のまま、二人の遣り取りを見つめている。

「……兄上。いまの話、誠にそうお考えでござるか?」

 動揺を隠せない様子で通衡が問う。まるで縋りつかんばかりの様子だった。

「兄上。まさか本当に……」


「――なんと、久しく日の目を見ておらぬ故、様子を見に来てみれば、随分と騒がしいのう」

 

 一同、一斉に声の主を振り返る。

「僕の首についての詮議か? ならばほれ、我が首を持参したれば、皆でこの首囲んで存分に詮議すると良い」

 僧形の従者を伴い現れた飄々とした声の主に、一同がどよめいた。

「九郎殿!」

 憤怒の形相から一転して、喜びを隠せない様子で忠衡が立ち上がる。

「久しいのう三郎殿。先ほどから聞き耳を立てておれば、今日は随分ご機嫌が悪いと見受けるが」


 にこやかに手を上げて見せる若武者――源九郎義経と、その従者、武蔵坊弁慶。秀衡公入滅以来、実に一年振りの公の場への登場であった。

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