第2章 蓮華の宴 5
同年 神無月、早朝の郊外。
朝風が北上川の川面を流れ、葦の茂みを揺らし夏草の香りを薫らせるのが夏衣に涼しい。
奥大道を少し東に逸れた川沿いの小道を朝夕に散策するのが皆鶴の最近の日課だった。朝日に河畔が煌めくのを眺め、夕に静かに流れ来る夜の帳の裾を感じながら漫ろ歩くのは一日の内で最も好ましいひと時だった。
いつしか顔見知りとなっていた朝市に瓜を運ぶ途中の若い百姓夫婦と行き会い、暫し親しく言葉を交わす。最初は耳慣れぬ庶民の奥州言葉に戸惑ったものの、商いの絡みで各地の言葉に通じる吉次の教授と、日頃気さくに話しかけてくれる雑仕女衆らとの遣り取りのうちに既に一端の市井の平泉人となりつつあった。
不意に、傍らの葦の茂みががさがさと揺れる。
歩みを止めると、土手の草藪から釣り竿と魚籠を手にした吉次と、顔に蜘蛛の巣を張り付けた通衡が姿を現した。
「おや、皆鶴殿。これは奇遇」
驚いたように吉次が目を丸くする。
「おはようございます」
皆鶴の姿を認めた通衡が慌てて蜘蛛の巣を払う。歳の頃数え十五、六の如何にも元服を済ませたばかりと見える幼さの残る顔を赤らめる。
「お二人はこれから釣りでございますか?」
「いや、実は昨夜から粘っての朝帰りでございます。鰻は昼間塒に籠って居ります故宵が更けてから釣るのですよ」
そう言って小脇に抱えた大きな魚籠を見せる。優顔の吉次の吐息から微かに酒の匂いが漂う。成程、魚籠を覗くと籠から尻尾がはみ出そうなほど大きな鰻がのたくっている。
「こいつ一匹を釣り挙げるのに丸一晩掛かりました。明け方になって漸く一匹だけの釣果とはいえ、夜風に揺れる水月を前に竿先を眺めながら静かにチビリチビリと酒杯を傾けるのはなかなか乙なもの。通衡様が忠衡様の奥方に何か滋養のあるものを差し上げたいと仰せられたので、聊か心得のある某が己の遊興半分お誘いしたのですよ」
細い目を線のようにして笑いながら吉次は通衡を振り返る。
「兄上の奥方、紘子様は先日三人目の御子をお産みになったばかり。何か自分が兄上達のお役に立てればと思ったのです」
恥ずかし気に話す通衡に、皆鶴はほう、と感心する。
「きっとお兄様や紘子様も喜ばれますわ」
皆鶴に褒められ、照れたようにますます顔を赤くする。
余談になるが、泰衡の妻、里御前と忠衡の妻、紘子は姉妹同士であり、忠衡の母、倫子は姉妹の叔母であるとされている。
「さて、この鰻、どう料理してやりましょうか。味噌で焙って串焼きも良いし、肝吸いも良い。但し、いくら精をつけていただくとはいえ、生き血はいけない。鰻の血には毒がありますからな」
今にも自分が調理を承ろうと言い出さんばかりに吉次が腕を捲って見せる。
「いずれにせよ、腕によりをかけた御馳走を召し上がって頂かないといけませんな。うっかり生きたまま御覧に入れると、あの忠衡様のこと、すぐに情が沸いて泉之館の池で飼いたいと言い出しかねませぬが」
「兄上はお優しいからのう」
三人は笑いながら帰路を辿る。
既に市中からは朝の賑わいが聞こえ始めていた。
この数刻の後、今の三人には思いもよらぬ大きな騒動が巻き起こることになる。
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