第2章 蓮華の宴 4

 小袖袿の普段着から男物の狩衣に着替えた皆鶴が高衡と対峙する。流石に真剣で立ち会うわけにはいかないので二人とも手頃な棒切れを木刀として携えている。

「はっは、これは見ものぞ!」

 中庭にて対峙する二人を御所の縁側からはらはらしながら見守る北の方を余所に呵々大笑する忠衡。その横でひそひそと囁き合う兄二人。

「四郎奴、軽率にも程がある」

 苦虫噛み潰したような顔で泰衡が呟く。

「当人の希望で里の側仕えを担ってもらっているが、曲がりなりにも皆鶴殿は食客待遇。昨日の宴の来賓もまだ平泉に留まっているというに、藤原一門に連なる者が婦女子をいたぶるような真似をしたとあっては天下の大顰蹙ぞ」

 その横で同じような難しい顔をしている国衡だが、こちらは泰衡の懸念とは別のことを案じている様子だった。

「確かに四郎は腕が立つ。この国衡を除けば奥州に並ぶもののない武士ではある。しかし……」

 観衆の思惑を他所に、高衡が構えをとる。日頃対騎馬戦を想定した徒戦訓練を積み重ねているのだろうか、腰を落として相手の馬の脚を狙い、甲冑の防御を前に出す、今でいう霞の構えに近い姿勢である。

 対する皆鶴は現在の剣道における中段の構えにほぼ近い姿勢で高衡に対峙する。

「皆鶴殿、いつでもこられよ」

「はい。……では、いざ!」


 結局、三度の打ち合いで三度とも高衡の勝ちとなった。

「恐れ入りましてございます」

 深々と礼をする皆鶴。

「四郎、もう気が済んだであろう。あまり女人相手に気を立てるでない」

 忠衡の言葉に、高衡はわなわなと肩を震わせた。

「四郎?」

「……おぬし、身共を愚弄するつもりか?」

 それは兄達の揶揄いにではなく、只今の立ち合いで負かした相手、皆鶴に対する怒りであった。

「本気で闘えっ!」

 吠え猛りながら大上段に木刀を振り上げる。

 それを見た国衡が「やはりな」と呟いた。「あの娘最初から手を抜いておった」

 高衡の気迫に、皆鶴も再び構えをとった――否、構えを解いた。

 しかし高衡は直感で相手がこれから攻めに踏み込むものと判断した。

「うおおおっ!」

 気合一迫、一足飛びで皆鶴に斬りかかる。

「あっ!」

 北の方が顔を覆った。

 高衡の木刀があと一歩というところまで皆鶴の面に迫る。


 次の一瞬。

 高衡のすぐ眼前に皆鶴の顔があった。

 お互いの唇が触れるほど、鴉色の髪が高衡の頬に触れるほどに皆鶴の凛々しい顔が目の前一杯に迫った。

 皆鶴の吐息が、高衡の鼻先に触れる。

「な――!?」


えいっ!」


 パアアンっ! と高い音を立てて高衡の木刀が宙を舞った。

 一瞬の静寂と沈黙。それにどよめきが続いた。

「何が起こったのだ?」

「……判りませぬ。皆鶴殿が刀を振り上げた一瞬後には四郎の刀が叩き落されておったとしか俺には見えませなんだ」

「はっは、様ァないな四郎よ!」

 唖然とする兄達の横で忠衡は腹を抱えて大笑いしていた。その後ろでは両掌で顔を覆ったままぶるぶると北の方が蹲っている。

「……参った」

 そう呟くと、その場に高衡はへたり込んだ。未だに自分の見たものが信じられぬという表情だった。

「失礼を致しました」

 一礼し、皆の元へ踵を返そうとする皆鶴を「待て」と呼び止める。

「頼む。明日、もう一勝負手合わせを願いたい。今の其許の一太刀、見極めてみとうなった。……いや、身共はそなたにどうしても勝ちたいのじゃ!」

 彼が初めて皆鶴に向ける真摯な眼差しに、皆鶴はにっこりと笑い答えた。

「勿論、いつでも喜んでお相手いたします」




「皆鶴殿。先ほどは愚弟が失礼仕った」

 皆が三々五々に散った後、自室に戻る途中の皆鶴を泰衡が呼び止め、詫びた。

「ところで、其許が披露したあの秘剣。あれは鞍馬仕込みの業か?」

「左様にございます。秘剣というほど大層なものではございませぬが」

「いや、御見それ申した。鞍馬仕込みということは、ひょっとして九郎義経殿もあの剣筋を?」

「勿論。前に吉次様が話されていた通り、九郎様と私は鞍馬で共に父達から剣術を仕込まれたのでございます」

 そう言って皆鶴は、何とも困ったような微笑を浮かべ携えていた太刀を泰衡の前に示して見せた。

「私などが、今の九郎様に敵いますかどうか……」

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