第2章 蓮華の宴 1
一、
文治四年(一一八八)如月、柳之御所(平泉館鎮守府)。
「……また鎌倉より九郎殿を引き渡すよう朝廷の院旨が届いたとのことでござるが」
一同を見渡しながら高衡が告げた。
奥州の政を司る平泉館の大広間に居並ぶのは、出羽陸奥押領使である藤原家当主泰衡と、その腹違いの兄であり腹心でもある国衡、並びに彼らの兄弟たちをはじめとした一門の主だった者達である。
「もう、このまま隠し通すのも潮時にございましょう。今こそ父上秀衡公の御遺言を果たす頃合いと思われます」
語気を強めながら高衡が続ける。
「頼朝の出方次第では、予てから進言しておりました通り、九郎義経殿を総大将とし、用意が整い次第鎌倉に宣戦致すべきかと具申致します」
「某も高衡と同じ所存に御座いまする」
そう賛同の意を示したのは、傍らに並ぶ彼の兄、泉三郎忠衡である。勝気な高衡とは対照的に一見温和な秀才然とした忠衡は、普段ならこの向こう見ずな弟とは反りが合わないが、故郷の行く末に関する憂いについては二人の意見は一致していた。
「壇ノ浦の合戦より二年余、我ら奥州に対する源氏共の増上慢は目に余りまする。そもそも、我らは源平に並ぶ出羽陸奥国の一大勢力。頼朝が平家一門を降すことが出来たというのも、我ら奥州十七万騎が最後まで中立を保っていたからでございまする。それを頼朝奴、我らを下賤な俘囚と侮り、剰え我らの朝廷への貢馬貢金に介入するなど、我らを虚仮にするにも程がございまする」
穏やかなままの白眉の表情に幾筋もの青筋が浮かび上がる。
「兄上の憤りは、まさしく我ら陸奥の民全ての憤りにござる。再び無理難題を持ち掛けてきた際には、直ちに兵を整え、鎌倉の源氏共に一矢報いましょうぞ」
「ですが、兄上」
立ち上がらんばかりに息巻く高衡の隣で出羽五郎通衡が口を挟んだ。
「某も無論、気持ちは兄上達と同じにござる。しかし万が一、この平泉をはじめ奥羽の地が戦場となった際、源氏の兵共が民達にどんな狼藉を働くか知れたものではございませぬ。かつて我ら藤原が父祖清衡公の時代に、八幡太郎義家が戦場で行った酸鼻極まりない残虐、御一同も伝え聞いておりましょう」
忠衡が頷く。
「左様。かつて後三年合戦にて金沢柵兵糧攻めの際に、糧尽きて落ち延びようとした家衡方の女子供を源氏の兵達は情け容赦なく皆殺しにしおった。母親に抱かれた乳飲み子すら、子を庇おうとする母諸共串刺しにしてな。友軍とはいえ、当時その場に居合わせた我が清衡方の兵達は余りの惨たらしさに皆反吐を催したという。奴らは血も涙もない鬼畜よ」
「そのような輩をこの奥州の地に一歩たりとも踏み入らせるわけにはいきませぬ。その気持ちは通衡も同じ。しかし、だからこそ、事はもっと慎重に運ぶべきと考えまする」
「通衡の言う通りにおじゃる。そもそも忠衡よ、そなたの懇意にしておる九郎殿からして、そなたが心底毛嫌いしておる源氏の棟梁の弟君ぞ」
反対側から諌めるように口を挟んだのは平泉の政治顧問にして元陸奥守、民部少輔藤原基成である。泰衡の母方の祖父にあたり京の名門藤原北家の出身であった。
「そなたら若輩者は矢鱈血気に走らんとするきらいがある。武家の子なれば或いはそれも良き哉。しかしそなたらはいずれこの奥州の地を統べる立場にあることを忘れてはならぬ。駆け引きを知らねばならぬ。思慮分別を弁えねばならぬ。徒に戦に走れば源氏よりもそなたらの浅慮の為に民達が苦しみことになろうぞ」
老公家の諌言に忠衡は押し黙った。
成り行きを黙って見ていた国衡が上座に座る泰衡に顔を向けた。
「さて、御館様は如何にお考えでござるか」
公の場では国衡は弟のことを
「……頼朝は啄木鳥、我らは虫けらじゃ」
厳かに泰衡が口を開いた。
「外側から散々に苛み、洞の中から自ずと這い出すのを囀りながら待ち構えておる。今動けば、それこそ鎌倉の思う壺」
臣下一同を見渡しながら泰衡は告げた。
「『悪気なきこと故、今暫し猶予を頂きたい』。鎌倉にはそう伝えよ。在不在の明言は避けるのじゃ。但し返答は迅速にな。下手に間を置いては、父上急逝により平泉は混乱しておるなどと勘繰られ、鎌倉に付け入る隙を与えることにもなりかねぬ」
「それでは今までと何も変わりがないではないか!」
兄の言葉に噛みつかんばかりの勢いで高衡が詰め寄った。
その時、すっくと忠衡が立ち上がった。
「忠衡殿、如何なされた?」
「ここで議論を続けても今までと同様堂々巡り。時間の無駄にございまする。これにてお暇いたす」
そう告げると、忠衡は居並ぶ一同には目もくれず部屋を出て行った。
結局忠衡の言う通り、協議は堂々巡りの議論のまま終始し泰衡が伽羅之御所に帰宅した頃には夕刻に近かった。
「御館様、お帰りあそばせ」
泰衡の妻、北の方里御前がニコニコと出迎える。
「子供達の様子はどうじゃ?」
「只今皆鶴に仮名の手習いを教わっていたところでございます」
子供たちの居室を覗いてみると、父の帰宅に泰衡の三人の子らが歓声を上げて駆け寄ってきた。
「父上、見て!」
一番年少の子、万寿丸が只今書いたばかりの習字を得意げに父に掲げて見せる。
「ほう、上手いもんじゃの」
三つ子の頭を撫でながら文机を脇にやり額付く皆鶴に目を遣る。
男装束に毛皮の襤褸を纏い黒頭巾まで被っていた初対面時のキイチ青年の面影はもう見当たらず、きちんと身形を整えた今の皆鶴には内裏の命婦然とした風情が感じられる。当初貴種流離の類と疑った印象はあながち間違いではなかったらしい。もっとも、改まった場では座右に大振りの太刀を常に携える姿を見る限り、宮廷女房というよりもさしずめ姫大夫といったところか。
「子供達もよく懐いて、皆鶴には本当に助けられていますわ」
この御所に迎えられて三月余り、すっかり打ち解けた北の方が親し気に皆鶴に微笑みかける。
「大変利発な御子方でございます。康高様など既に真名も諳んじるようになられました」
「当然だろう。この子らはいずれこの平泉を支え導く宿命を負っているのだからな」
皆鶴の言葉に笑顔で答え、子らを抱き上げながら泰衡は思う。
(この子らの為にも、平泉百歳の平穏は守らねばならぬ)
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