第1章 鞍馬より 3



 同日 夜半、伽羅之御所(藤原泰衡居所)。


 青年が通された広間には、仄明るい灯火に既に幾人かの人影が待ち受けているのが見えた。

 正面に座すのはつい先刻まで青年と道中を共にしていた次郎と呼ばれていた強面の男。

 その傍らに控えるのは次郎が兄と呼んでいた大柄の男。二人とも既に旅装から装束を改め、厳しい面持ちで青年を見据えている。

 その隣で、同じく峻厳な、というよりも不機嫌を露わにした年若い侍が、その対面には武者然とした三人とは異なり、見るからに商人風の優男が、実に居心地の悪そうな様子でキイチと上座の武者の間に視線を彷徨わせている。

 旅装を解き、小袖袿に冬衣を羽織り、黒い頭巾も取り払った青年の顔が、歩みを進める毎に鯨油の灯火に次第に露わに照らされるにつれ、上座の男の瞳に驚きの色が浮かんだ。

「鞍馬鬼一法眼の娘、皆鶴と申します」

 青年――否、年若い女人が四人の視線の前で額付いた。ふわり、と鴉色の長い髪が冷たい板の間に拡がった。

「恐れながら、陸奥守藤原秀衡様の御子息、伊達次郎泰衡様、信寿太郎国衡様とお見受けいたします。道中数々の御無礼、何卒御容赦くださいませ」

「……面を上げられよ、皆鶴殿」

 上座の強面の男――泰衡が口を開く。

「いつから、我らの素性に気づいておった?」

「最初から。観音寺に至る前に本吉でお二人の御姿を遠目から拝見いたしました。ですが昨夜折壁の空屋で御逢いしたのは全くの偶然でございます」

「鞍馬の鬼一法眼……聞いたことがございます」

 商人風の男がおずおずと声を上げた。

「ほう、吉次は皆鶴殿の御父上を知っておるのか」

「私の父、先代の吉次から噂を耳にした程度でございます。嘗て京の一条小路で陰陽師として市井で名を馳せていたらしいのですが、やがて平家の増上慢に厭世し鞍馬の山に籠ったとか。その博識、武術の腕前は上方に比類なく、巷では鞍馬の天狗と呼ばれていたとか。また――」

 皆鶴の方をちらりと一瞥して吉次が続ける。

「九郎殿幼少の頃に鞍馬山で剣術を授けた天狗というのが、その鬼一法眼だとか」

「ふむ」

 難しい顔で考え込む泰衡に代わり、大柄の男――国衡が問いかける。

「それで、其許は何故九郎義経を探しておるのか? 返答によっては、この平泉に暫く留まってもらうことになるが」

「もとより、そのつもりでお二人のお供を乞うたのでございます」

 じっと国衡の目を見つめた後、正面の泰衡に視線を向ける。

「今そちらの御方が申されました通り、かつて九郎様が鞍馬山に居られた折、私の不覚により我らが一党の奥義を記した秘伝の書物を九郎殿に持ち去られてしまったのです」

「秘伝書?」

 興味を引かれたように吉治が尋ねる。先ほどからずっとソッポを向いて不貞腐れた態の若者も初めて視線を向ける。

「あれは余人の目に触れさせては必ず世が乱れる書物として内弟子たちですら閲覧を禁じられていたもの。父は大層怒り私を放逐致しました。九郎殿を見つけ出しあの書を取り戻さなければ鞍馬に戻ることが許されません」

 皆鶴は再び面を伏せた。

「泰衡様、国衡様。どうか九郎様に御目通りを願いたく存じます」

 一同、暫し沈黙があった。

 仄明るい広間の中で娘を囲み、視線の囁きが交わされる。

 やがて、

「九郎義経は、この平泉には居らぬ」

「そんな!」

 泰衡の言葉に驚いて皆鶴が顔を上げた。

「ここに居られるというのは確かなはずでございます!」

 縋るような表情には悲痛の色さえ伺えた。

「……実はな、皆鶴殿」

 慰めるように国衡が言葉を継いだ。

「其許も遥々この地まで赴いたくらいだから大まかの事情は存じておろう? 昨今、鎌倉より朝廷を通して九郎殿を差し出すよう立て続けに院旨が届いておる。だが、我らも九郎殿の行方を知らぬ。或いは嘗ての伝手を頼りに出羽の辺りに隠れ潜んでおるのかもしれぬが、我らとて鎌倉や何よりも朝廷と事を構える気は毛頭ない。無論四方に手を尽くして行方を追っておる。いくらこの地に縁ある者とはいえ今や九郎殿は天下の逆賊、隠し立てはできぬからの。とはいえ、このまま其許を追い返したのでは余りに気の毒。……そこで、じゃ」

 泰衡の方に向き直る。

「どうじゃ、次郎よ? 九郎殿の行方が判るまで皆鶴殿にはしばらくこの地に留まってもらっては?」

 どこか含みを感じる兄の目配せに気づいてか、泰衡も頷く。

「……確かに、女人一人で尋ね回るよりは我らの元に身を寄せていた方が都合良かろう。皆鶴殿、お嫌でなければこの屋敷に暫く留まられよ。九郎殿の動向が知れれば、そなたに逐一伝えよう」

 思わぬ親切な申し出に当惑する皆鶴に、泰衡は僅かに表情を緩める。

「遠慮は無用じゃ。我らを藤原の一門と知った上でここまでついてこられたのだろう? ならば其許は当家の客人も同じ。いずれにせよ長旅の上このような詮議にまで遭うてさぞ疲れておることだろう。只今部屋を用意させる故、今宵はゆっくり休まれるがよい」

 泰衡の言葉に、皆鶴は一同をぐるりと見まわし、やがて涙を浮かべながら深く額付いた。

「有難う存じます。このご恩は決して忘れませぬ!」




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