水色の傘

流々(るる)

通学路

 わたしが通っていた小学校では地域ごとにこどもたちが班を作って、みんなでそろって登校していました。一年生から六年生まで、だいたい十二、三人くらいが集まって、二列になって学校へ向かいます。

 六年生が班長、五年生が副班長になるのが決まりでした。

 この班では五年生がわたしだけなので四月から副班長になりました。副班長は列の一番後ろを歩いてみんなが遅れないように注意します。特に一年生や二年生は歩きながら遊んだり、おしゃべりに夢中になることがあるので、そういう時は声をかけるようにしていました。


 特に大変なのは雨の日です。

 傘をさしているので幅の狭い歩道を二列では歩けません。長靴をはいていると早く歩けないし、一列になっていつもより時間をかけて学校へ行きます。


 秋になって台風がやってきたときのことでした。

 登校するときは雨が降っていなかったけれど、四時間目のころに降り出して、給食のときには大雨になっていました。でも風は強くなかったのでわたしは安心していました。風が強いと長い髪がぼさぼさになってしまうからです。

 だけど雨はどんどん強くなっていきます。

 教室の窓から校庭を見ると、大きな水たまりがあちこちにできていました。


 六時間目が終わったあと、帰りの会で担任の金子先生から「今日は班でまとまって帰ることになりました」と聞きました。

 帰る支度をして一階の玄関ホールに降りると、もう四年生、五年生が来ていて班ごとにまとまっています。

 そうか、低学年は五時間目で帰っているんだ、と初めてこのときに気づきました。

 各班に先生が一人付き添って校門を出ました。


 先生が先頭でいつもより少ない五人、わたしはいつも通り一番後ろを歩いていきます。

 長靴をはいてこなかったので、すぐに靴の中まで雨が入ってきました。

 一歩踏み出すたびにぐちゅっ、ぐちゅっと音を立てています。

 はじめは少し気持ち悪かったけれど、何だかだんだん楽しくなってきました。

 雨はずっと強く降ってきています。

 夏の夕立のように大粒の雨じゃなくって、細かい雨が勢いよく傘を刺すみたい。


 赤信号で止まると、傘に当たる雨音が耳のまわりで響いてきました。

 わたしはランドセルが濡れるのが嫌だから、いつもよりも低く傘をさしました。

 信号が青に変わって歩き出しても、誰も、何も話しません。

 きっと雨の音がうるさくてみんな黙っていたんだと思います。

 雨のしみこんだ靴をぐちゅっ、ぐちゅっと音をさせて、低くした傘の下で、前を歩く四年生のランドセルだけを見ながら歩きました。

 急に前の子が止まったのでびっくりして顔を上げると、また赤信号でした。

 先生が振り返って何か言ったけれど、雨の音でわたしには聞こえません。


 しばらくすると、また歩き始めました。

 わたしが住んでいるマンションに着くまで、もう信号はありません。

 誰もしゃべらないので、雨の音に混じってぐちゅっ、ぐちゅっという音だけが響いている気がします。

 足が濡れているせいなのか、少し寒くなってきました。

 でももうすぐおうちです。


 早くシャワーを浴びたいなと考えていたら、突然、後ろから右肩をつかまれた気がしました。

 えっ!? と思って振り返ろうとしたその時、「みのり!」と呼ぶ声が聞こえました。お母さんの声です。

 ぱっと顔を上げるとお母さんがマンションの入り口まで迎えに来てくれていました。先生にあいさつをして班と別れました。

 わたしが抜けたので残っていたのはやっぱり四人。ほかには誰もいませんでした。


 わたしが住んでいる部屋は二階にあって、リビングの窓から通学路が見えます。

 お母さんはそこから覗いていて、わたしたちが帰ってくるのが見えたので降りて来てくれたみたいです。

 お母さんは六人で帰ってきたのかと聞きます。

 先生を入れて六人だと答えると、こどもの傘が六つ並んでいたと言います。

 わたしは、雨が強かったし見間違えたんじゃないのと答えてシャワーを浴びに行きました。

 服を脱いでからなんとなく洗面所の鏡に背中を映しました。


 わたしの右肩には手の形をしたようなが残っていました。


 とても驚いたけれどお母さんには言ってはいけないような気がして、そのままシャワーを浴びました。


 その日、寝る前にあの時のことをもう一度考えてみました。

 一緒に帰ってきたのはわたしをいれて五人。大人も先生だけです。もちろん、いつもの通りわたしが一番後ろでした。

 それに傘を低くさしていたから、後ろから肩をつかむには傘がじゃまで出来なかったはず。

 なんだか怖くなってしまってなかなか眠れませんでした。


 次の日の朝、雨はまだ降っていました。

 長い一列になって学校へ向かいます。

 わたしは途中で何度もふりかえり、後ろに誰かついてきていないか確かめました。

 雨が止んだ次の日も、また次の日も後ろを気にしながら登校しました。

 でも誰かがついてくることはありません。

 ただ、右肩のはなかなか消えずに残っていました。



 あれから二週間が過ぎ、いつの間にかも気がつかないほど薄くなっていました。後ろを気にすることもなくなったのに、明日はまた台風が近づくというニュースを晩ごはんのときに聞いて、少しだけ不安になりました。


 その日は朝からやわらかい雨が降っていました。

 ミストみたいに軽くって傘をさしていても濡れてしまいます。

 二年生の男の子は傘もささずに歩いていました。


 今度は三時間目のころから雨が強くなってきました。雨だけじゃなく風も強く吹き始めて、校庭の木がばさばさと音を立てて揺れています。

 先生たちが思っていたよりも早く、台風がやって来たようです。

 四時間目が始まる前に、金子先生が「今日は六時間目を取り止めて、五時間目が終わったら班下校をします」と言いました。

 授業が少なくなったので、男子たちが喜んで大きな声をあげています。

 一年生から三年生は、給食が終わったら先に班下校するそうです。


(またこの前と同じ、五人で帰るんだ)


 わたしはとっても不安になってきました。


 五時間目が終わっても雨も風も強いままです。

 玄関ホールには、四年生、五年生が並んで待っていました。

 この前と同じです。

 思い切って、先生にわたしの並ぶ順番を変えて欲しいと頼んでみましたが「だいじょうぶ。先生も一緒に行くから」と言われてしまいました。


 五人で校門を出ました。付き添いの先生は先頭を歩いています。

 せっかく長靴をはいてきたのに、風が強くて雨が足を伝わって長靴の中まで入ってきます。

 一つ目の信号に着くまでには、ぐちゅっ、ぐちゅっと音を立てるようになりました。

 なにもかもがこの前の台風のときと同じような気がしてきました。

 ちがうのは風が強いこと。

 傘が飛ばされそうになるので、両手でしっかりと持って帽子にぴったりとくっつけてさしていました。こうすれば長い髪もぼさぼさになりません。

 この日も四年生の足元だけを見ながら歩きました。

 雨の音でみんなには聞こえないのかもしれないけれど、ぐちゅっ、ぐちゅっという長靴の中の音がわたしには大きく聞こえています。


 二つ目の信号を渡り終わってすぐでした。

 誰かがわたしの後ろを歩いている気がします。

 信号を渡るときには先生とわたしたち五人しかいなかったのに。

 後ろからも、ぐちゅっ、ぐちゅっという音が聞こえてきます。

 ふりかえって確かめることは怖くてできませんでした。

 両手で強く傘を握って下に引っ張って、ランドセルに押し付けるようにしました。

 こうすれば後ろからわたしの肩には絶対さわれません。


 早くお家に帰りたいと思いながら歩きました。

 わたしの長靴のぐちゅっ、ぐちゅっという音と、後ろから聞こえてくるぐちゅっ、ぐちゅっという音がだんだんと近づいてきた気がします。

(お母さん、また迎えに来てくれてるといいな)

 そのときでした。


 いきなり右肩をつかまれました。

 傘は低くさしたままなのに。

 怖くて声も出せずにいると、肩をつかんだ手に力が入るのが分かります。

 目をつぶって、その手を振りほどこうと体をひねりました。

 けれど、手は離れません。

 反対にものすごい力で無理やり後ろを向かされてしまいました。


 驚いて目を開けると、そこにはわたしと同じくらいの背の高さの長い髪の女の子が、白いレインコートを着て水色の傘をさして立っています。

 でも、その子の顔は血だらけで頭から右耳の辺りまでざっくりと割れて目玉が落ちかかっていました。

 大きな声で叫んだことは覚えているけれど、その後のことは分かりません。




 台風で班下校をしたときに副班長の女の子が死んでしまったことを聞きました。強風で落ちてきた看板が頭に当たったそうです。

 それはいつのことだったか……あれ、誰に聞いたんだっけ……。


 白いレインコートを着たわたしは、自分が握っている水色の傘を一つだけ残った左目で見つめました。 




               ― 了 ― 

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