#48 奇愛

 いつも通り登校して、昇降口へと向かう。

 靴箱の小さな扉を開けて、僕はいつも通り溜め息をついた。


「靴箱はポストじゃないっての」


 本日も1通、お便りあり。

 “蓮くんへ”と表にデカデカと書いてあるくせに、封筒のどこを見たって差出人の名前が書かれていないのは不親切だと思わないんだろうか。

 捨てられても仕方ないよこんなの、と思うけれど、「女性には優しくしなければ」という概念が先行して、僕はそっと封を切った。そして僕はいつも通りまた溜め息をつこうとしたのに、そのルーティンを止められてしまう。


「誰なの……」


 手紙本文にも差出人の名前がないって、どこまで抜けてるんだ。

 まぁ呼び出されちゃったもんは仕方ない。行くしかない。こちらだって、相手が分からないのは気味が悪いから。


 ◇


 学生が誰かに告白をする、その行為が僕にはうまく理解できない。

 昔は理解できていたのだが、今はどうしようもない違和感を覚える。


 どれだけの責任を以て、想いを打ち明けているの?

 その想いは、永遠に続くと約束できるの?


 僕は1人の女性を愛している。

 心の奥底から、愛している。

 この人とならどこへ行くことになっても、世界を敵に回しても良いと思えるくらいに、彼女を愛している。永遠に。


 愛って、還元されるのが正解なんじゃないだろうか。


 彼女は、僕に精一杯の愛を、溢れんばかりの愛をくれた。

 命をかけて僕を守り、愛した。

 なら僕は、その想いに答えるべきだと思う。


 僕の周りの人間は、愛の本当の意味を知らない。

 ただの一目惚れとか、自分のステータスを上げたいとか、本当に笑ってしまうくらいの軽い気持ちで薄っぺらな愛情を語って、それを相手も本気にして受け入れてしまって、お遊びの恋愛ごっこが量産されていく。程なくして彼らは薄っぺらな愛情だけじゃうまくいかないこともあるんだと分かって、「愛してるよ」なんて言葉が丸っきりの嘘であったかのように、関係を絶っていく。片方は怒り、片方は泣く。


 そんな薄っぺらいものに心ごと振り回されて、バカみたいだ。

 そんなことで心が壊れるくらいなら、最初から本気の愛を知ればいい。


 まぁ今では僕だってこんな偉そうなことを言えるけれど、この大事なことに気づかせてくれたのは、紛れもなく彼女だった。

 僕が周りに流されて、薄っぺらな関係を作ってしまった時。彼女は目の色を変えて言ったんだ。


「ママと彼女、どっちが大事?」って。


 彼女ママの目は、少しだけ潤んでいた。下唇を噛んで、悔しそうだった。

 あぁ、ごめんね、ママ。


 あなたが僕を産んでくれたことへの恩を、僕はすっかり忘れていた。


 そりゃあ、対価がないと困るよね。愛が一方通行じゃ、困るよね。


 今度は、僕があなたを愛する番だ。


 僕は見て見ぬフリをしていた。

 彼女がパートナーを捨て、僕に最大限の愛情を注いでいた事実を無視していた。とんだ親不孝者だ、と深く反省した。

 僕は「ママ」と即答した。そうしたら彼女は本当に嬉しそうに、愛おしそうに僕を見た。美しい彼女。心の奥底から、僕を愛してくれている瞳。

 安心して。僕は一生、母親あなたの傍にいるよ。


 ◇


 あっという間に放課後になって、僕は正体不明の差出人と対峙たいじする。

 さっきの終礼の時にいた人に似ているな、とぼんやり思って、ギョッとする。


「先生、どうして」

「……あの手紙、書いたの私だから」


 指定された場所がいつものような屋上ではなくて、別棟にある小さな教室だったことは少し引っかかってはいたけれど、まさか担任からラブレターをもらうとは。


「呼び出した理由、もう分かるよね」

「……からかわないでください」

「本気よ。自分でも驚いたけど」


 そう言って、先生は教卓に腰掛ける。


「私は、蓮くんをもっと知りたい」

「ごめんなさい。それは無理です、先生」

「……蓮くんって、正義感が強い生徒だから。私は知ってる。でももっと深い部分を、私は知りたい」


 僕は何も答えない。

 正義感、なんだろうか。彼女ママへの愛は、互いの全てを通して伝え合う愛は、子としての正義感?

 いや、きっと違う。僕は彼女の美貌と深い愛に心を奪われて、本気の——


 いつの間にか先生は教卓から離れていて、僕の目の前にいた。

 僕は成す術がない。……それは、僕が弱者だから? 相手が教師で、格上の人だから?


「私があなたを精一杯大事にして、育てていくと言ったら、あなたは私に対価をくれる?」

「それは」

「あなたの正義感は、そんなもんなの?」

「僕の正義感を、利用するんですか?」


 すると先生は、不敵に笑った。夕日が先生の横顔を照らしていて、いつもと違う人に見えた。


「私は、あなたを守ったことがある。……だから、利用する権利があるはず」


 ハッとした。

 1ヶ月前、僕にフラれた腹いせでストーカーになり、僕を殺しかけた女子生徒から、僕を守ってくれたことを先生は言っていた。その生徒の父親はお偉いさんだったけれど、先生は揉み消さずにちゃんと向き合ってくれたのだ。

 僕を命がけで守ってくれた人の数だけ、僕は人を愛さないといけないのかもしれない。多分昔はこうしたことが多かったから、お殿様もたくさんの女性をめとったのかもしれない。


 僕は先生を見つめる。「権利、ありますね」と言って。

 「やっぱり最高の教え子」と、先生は僕に体を預けた。僕の体は否応なく熱くなる。分かったよ、先生。


 今度は、僕がであなたを愛する番だ。


 ◇


 18になって、僕は密かに結婚した。

 相手は、パートナーと別れてまで、僕を選んだ彼女元ママ

 共に生きていこうと誓って、僕は初めて彼女の下の名前を呼んだ。


 彼女には悪いと思いつつ、先生とも続いている。僕は先生も愛すると誓ってしまったから。

 先生の下の名前を呼んだ日は、彼女元ママよりも随分と早かった。



 そして僕は、社会人になった。

 僕は彼女譲りの顔のせいで、何もしていなくても男性社員に嫌がらせをされる。


「私の部下に、嫌がらせをしないで。僻みや嫉妬は醜いわ」


 僕はその言葉を聞いて、心の中でそっと謝罪する。


 ごめんね。



 僕には、愛するべき人ができてしまったようだ。

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