#50 僕達の交差点
大学の講義が教授の都合で休講になったので、突然休日がやってきた。
やることもないので最寄り駅の周りを散歩していたら、改札から出てきた女子高生達の楽しそうな声が聞こえてきた。午後4時をまわったこのタイミングはちょうど、学生の帰宅時間である。
「ねえ、お腹空いたからさ、ナック行こうよナック」
「え? それどこ?」
「やだ、ナックって言ったら世界一有名なハンバーガーチェーンでしょうよ」
「ナクドじゃなくて?」
「何それ初めて聞いた! ナックだってば」
「ナクドだよ普通は!」
こっちではナックが普通だもーん! と騒ぐロングヘアの女子高生。ナックと呼ばれることが多いこの地域で、セミロングの彼女はナクドと言った。ナクド以外の言葉のイントネーションも、この地域とは少し異なっていた。転校生なのだろうか。
しばらく彼女達のいた場所を見つめながら歩いていたら、今度はナックの呼び方争いを繰り広げる女子高生達を見ていた別の女子高生達が、何やら不満そうに喋っている。
「あの学校いいよね〜、校則緩いから髪下ろしててもいいんだって」
「羨ましい。うちらなんか、セーラー服の白い線に髪がついたら結ぶって、どういう決まりよほんと」
「しかもハーフアップ禁止、スカートは膝下5センチ、抜き打ちの頭髪検査に、マフラーは良いけどスヌード禁止って、何それ。根拠あんの? って感じだよね」
「それなぁ。女子高生って言ったら普通はあの子達みたいなの指すはずなんだけどね。入る学校間違えたかもしんない」
「それなぁ」
彼女達にとっての“普通”は、ハーフアップOKでスカートは膝上のミニ丈で、髪染めもスヌードも自由にどうぞ、という女子高生像なのだろう。だから可愛らしいセーラー服と膝下5センチのスカートに身を包み、厳格な校則のもとに生きる姿は“異端”なのだ。
女子高生達から見たら、僕も異端だろう。——若い男が、月曜の早い時間から私服でフラフラと散歩している姿を捕らえれば、「あの人仕事ないのかな」なんて囁かれるのかもしれない。
駅周辺を1周しようと決めて、僕は赤信号に変わった横断歩道の手前で立ち止まった。
僕は時々、自分で自分がよく分からなくなる。
容姿も性格も学歴も、全部普通だと言われて生きてきた。僕が話すのは標準語で、厳しすぎず緩すぎない校則の学校で学生時代を過ごしてきた。自分の特徴は、ないこともないけど、あるとも断言できない。
当たり障りなく、波風立てずにこの社会を生き抜いていくには、“普通”でいることが肝要だ。生まれ落ちた瞬間から、このスキルは必要不可欠になる。
なぜか? って……
ちょっとでも身体に異常があったり、発育が遅かったりすれば、親を猛烈に不安にさせてしまうから。「うちの子に限って、なぜ?」と、頭を悩ませてしまうから。保育園や幼稚園に入って、あまりに突飛な行動をしたり、逆に全く人と関わろうとしなかったりすれば、先生達の悩みの種になってしまうから。小学校、中学校、高校でも、少しでも周囲と異なっていれば——それが「目立ちすぎる」であれ、「暗すぎる」であれ——れっきとした“問題児”として扱われてしまうから。そうして「こいつには何を言っても何をやってもダメなんだ」と匙を投げられて、結局その後何十年もの人生の間、社会の隅に追いやられていく。もっと酷い時は、そこからこぼれ落ちていく。さらに酷ければ、こぼれ落ちたことに誰にも気づかれないまま(あるいは気づいても無視されて)、1番下まで堕ちて、ゆっくりと輝きを失っていく。
中には「目立ちすぎる」特徴を生かして、輝かしい人生を送る人もいるかもしれない。でもそんな人生は、本当に一握りだ。
だから、目立ちすぎず、埋もれすぎず。明るすぎず、暗すぎず。意地悪になりすぎず、お人好しにもなりすぎず。
そうやって、自分のことも周りのこともうまく騙しながら、僕達は生きている。
でもその“普通”って、一体なんなんだろう?
僕にとっての普通は、家でも外でも食後にガムを食べること。でもそれは、シンガポールじゃ許されない行為。
僕にとっての普通は、シチューをご飯にかけること。でもそれは、多くの人から「気持ち悪い」と敬遠される。
さっきの女子高生にしたってそうだ。セミロングの彼女的にはナックではなくナクドなのだ。セーラー服の彼女的にはスカート丈は膝下ではなくミニなのだ。
僕にとってはナックだし、スカート丈はどっちでもいい。そもそも呼び方やスカートの長さに決まりを作ることがナンセンスだと感じている。
それでもみんなは頑なに、“普通”という概念を拠り所にして、生きている。
まるでそれがないと死んでしまうかのように。世界が壊れてしまうかのように。自分の全てが否定されてしまうかのように。
——僕達から“普通”がなくなったら、どうなるんだろう?
多分、“普通”というのは信号機みたいなもので。
なくなったら悲惨な事故が起きるのかもしれない。
Aさんにとっての青信号と、Bさんにとっての青信号は違って、でもそうすると青信号のタイミングや条件を決められなくて、結局どちらとも決めきれずに真っ暗な信号機は意味をなさないまま、衝突だけを増やしていく。
だから、最も多くの人々が「これは青信号でいいよ」と判断するものを“普通”という概念に当てはめていくのだ。それが多分、ベンサムの言う「最大多数の最大幸福」に相当するんじゃないだろうか。多くの人にとって苦しみを伴うものは“普通”にはなり得ない。支障なく生きていける程度のものが“普通”になって、それが青信号になって、世界は動いている。
でもこの“普通”は、普通じゃない。
なぜなら、この論理だと「この世界は一方通行で、しかもずっと青信号のまま」というおかしな事象が成立してしまうからだ。
真の現実世界はそうもいかない。
どこかが青信号なら、きっとどこかは赤信号でなければおかしい。そして急に赤信号に切り替わるのではなく、黄信号の時間を挟まないと、ドライバーはブレーキをかけるタイミングを失ってしまう。
なのに僕達が夢見るこの世界では、赤信号の道なんて存在していない。赤信号になる必要性がないから、黄信号だって不要になっている。
だからずっと、場合によっては途方に暮れるほど長い間、「私の中では黄信号」「僕にとっては赤信号」の人達は、目先の青信号にアクセル全開で突進していく“普通”で“最大多数”のドライバーの運転に巻き込まれ続けてきた。
ある人は「クラクションを鳴らされたら嫌だ」という理由で渋々青信号に切り替えて進んでいたんだろうし、ある人は「それでもアクセルを踏みたくない」と路駐していたんだろう。
しかし最近、自分なりの黄信号や赤信号を持っている人達が、ついに声を上げ始めた。
これには彼らが自発的に動き出した面もあるだろうし、あまりに路駐が増えて通行の妨げになり、青信号で進むドライバー達が注意を向ける必要が生まれた面もあるだろう。
そうして、物事は少しずつ変化していった。
方言が「可愛い」と言われ始めたり、融通の利かない校則を「ブラック校則」と呼んで非難し始めたり、新たなトレンドを作ったり、同性婚を認める条例ができたり。
青信号の人達が一時停止して、その間にこうした人達が走行できる道が増えていった。色んな方角へつながる、新たな道ができた。
今の僕達にとって“普通”とは、もはや信号機のことではないのかもしれない。
“普通”とはいわば、幹線道路みたいなものだろう。
“普通”の概念を全て放棄して良いかと言えば、決してそうではないと思う。
ナックとナクドが共通のファストフード店を指すことを僕達は共有する必要があるし、高校生には義務教育を終え、社会人になる一歩手前であることを認識できるような普遍的な理念を持ってもらいたい。
そして“普通”が存在するからこそ、そこから少し離れている人へ、手を差し伸べることが可能になる。ちゃんと目を向けたり、支えたり、理解しようと努めたりする意欲さえあれば、“普通”は“異端”を苦しめない。無視と無理解が、“異端”を冷酷に殺していく。
時には“異端”が“普通”を作ることだってあるのだ。
色んな細い道が複雑に繋がりながら、新たな幹線道路ができれば、それはニューノーマルになる。そうやって、僕達の世界は少しずつ、少しずつ広くなっていく。
“異端”のラベルを貼り付けて、排除するのは僕達だ。
“異端”への見方を柔軟にして、世界を広げていくのも僕達だ。
事故を起こすのも、事故を防げるのも、全部僕達。
社会的動物として与えられた思考力や想像力をどう生かすかは、全て僕達にかかっている。
この世界をさらに拡張させるのは、ナクドと言い続けるあの子かもしれないし、セーラー服を着て文句を垂らすあの子かもしれない。全休の日に1人で近所をぶらつく、シチューをご飯にかけるのが好きな僕かもしれない。
そう考えていくと不思議なことに、もう少し前向きに生きてみてもいいんじゃないかな、という気持ちになってくる。別にネガティブになっていたわけではないけれど。
多分僕達の多くは、知らぬ間に猫背になっているから。信号を見ないまま、ずっと青なのだと信じ続けて、左右の確認もせずに走っているから。
僕の考え通りに足を動かして、この道を踏み慣らしていけば、いつかは他の人もやってくるかもしれない。そして道幅が広くなって、信号機ができて……。世界を広くできる?
“普通”に生きることに縛られるんじゃなくて、あくまで“普通”を交差点として活用していけばいいんだ、きっと。“普通”から逸れていくことは、怖くない。
——だって、全てが“普通”の人なんて、どこにもいないのだから。“普通”だったものがそうじゃなくなることなんて、いつの時代にもあるのだから。“普通”の概念は、とても変わりやすいものなのだから。
ぐるりと最寄り駅の周囲を歩いて、さっきの信号に戻ってきた。しばらくすると歩行者用の信号は青に変わって、少ししてから歩き出す。
大丈夫。車は歩き終わる僕を待ってくれる。僕という人間が横断歩道を渡ろうとしていることを、無視せずちゃんと認識してくれる。
僕は自分の命と理念を大事に抱えて、向こう側まで慎重に渡り終える。猫背をやめて、背筋を伸ばして。
さて、小腹も空いたし、ナック……もとい、ナクドへでも行こうか。
ポケットに入った食後用のガムを握りしめて、僕は夕陽の方へと歩いて行った。
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