#44 この世界は紙一重

「どうか幸福を。ご加護を。安寧を」

「……どうか幸福を。ご加護を。安寧を」

「ちょっと、声が小さいわ。それじゃあ伝わらないわよ、カミサマに」


 毎日のルーティーン。

 カミサマが好きだとされる、季節の果物を用意して。

 ラベンダーのアロマを焚き、薄紫色の布で覆った祭壇にそれらをお供えする。

 そうしたら正座をして、土下座をするように頭を床につけ、決まった言葉を唱えるのだ。幸福、ご加護、安寧を下さいと。この世界を少しでも、生きやすいものにして下さいと。

 物心ついた時からこれが習慣で、神社やお寺も、決まった所にしか行ってはいけなくて。それが当たり前だと思っていた。だけど、小学校の時に「わたしの1日」というタイトルの作文を発表しなければならなくなり、その時に原稿を書いていたら、お祈りの部分は全て削除された。代わりに、母が適当に喋ったことをそのまま書かされた。その時、お祈りのことは人に言ってはならないのだと知った。


 中学に入り、いよいよ本格的に違和感を抱かざるを得なくなった。

 友人と、家族で一緒に初詣に行こうという話が持ち上がり、ワクワクして母に伝えたら、烈火の如く怒られた。せっかくあなたをお守りしてくれるカミサマが、逃げてしまうわと。そんな裏切りをしたら、カミサマは激怒する。私達を決して許してくれない。私達は、破滅に追いやられる。そう言って、しまいには泣きつかれた。父も、カミサマに背を向けてはいかん、とだけ言った。

 神社にいるのだって、カミサマでしょう? と問えば、間髪入れずに「「違う!!」」と返ってきた。私達のカミサマはカミサマだけであって、あんな世間に蔓延はびこっている紛い物の神社と一緒にするな、とまたしてもこっぴどく叱られる羽目になった。

 修学旅行で神社やお寺に行くことは、両親は渋々といった感じで了承した。ただ、二礼二拍手一礼なんて絶対に守るな、手水舎ちょうずやで手なんか清める必要はない、お寺でも煙を被るような真似は絶対にするな、と散々言われた。カミサマが機嫌を損ねてしまうから。


 両親のカミサマに対する態度には圧倒的違和感しか抱けなかったが、養育されている身である以上、今は従うしかない。

 父はカミサマの側近に近い立場にいて、羽振りが良い。だから不自由なく生活できているのもまた、事実なのである。

 やがて私は高校受験をして、ある高校に入学した。そこに入学すると、両親はカミサマのことをいくらでも喋って良いと急に言い出した。恐る恐るクラスメイトに話してみると、彼らはみんなカミサマのことをよく知っていて、私と全く同じルーティーンで日々を過ごしていた。この高校の創立者は、他でもないカミサマらしい。各学年は3クラスに分かれていて、1組の生徒は、皆親がカミサマの側近やそれに次ぐ役職の者だった。3組はカミサマの元で奉仕することをまだ許されていない、最下層の人間の子どもが集まっていた。2組はその中間層にあたる人間達の場所だった。私は1組で、使用する教室も教材も最も美しいものが与えられた。3組にはエアコンも扇風機もテレビもロッカーもなく、夏に多くの体調不良の生徒が出たが、保健室に行くことすら許されなかった。


 何もかも、カミサマへの奉仕の度合いが全てだからである。


 クラスメイトは、揃いも揃ってカミサマに心酔している様子だった。カミサマのお陰で生きられている、カミサマがいるからこの世界で人間が存在できると。朝礼でも終礼でも、幸福とご加護と安寧を祈り続ける日々。

 私はどうしても、馴染めなかった。クラスメイトとは何とかうまくやっていたが、よくもまぁ見たことのないカミサマにそこまでできるもんだ、と常に冷めていた。側近の父だって、その“ご尊顔”を拝謁したことはないのだ。ただシルエットは分かるらしく、大きな人で、麗しいお声の持ち主だと言っていた。


 するとここで、私の頭に1つの疑問が浮かぶ。 

 じゃあなぜ、そんなに素晴らしいカミサマがいるというのに、この世界で災いが絶えないのか。地震、台風、パンデミック、異常気象、戦争、テロ……安寧どころじゃない。

 それを母に聞けば、いつもこう返された。


「それらによって私達は、試されているのよ。そうした逆境の中で、私達がどれだけ強くあれるのか。どれだけ耐え忍ぶことができるのか」

「自然災害はまだ分かる。でもパンデミックとか戦争とかテロは、人為的じゃない。一体誰がこんなこと」

「カミサマが、試しているのよ。私達を」


 矛盾している。

 カミサマが私達を試すために災いをもたらす。私達はその災いから逃れ、安寧を求めてカミサマに祈りを捧げる。

 私達に幸福のための金言を捧げてくれるはずの主が、災いを起こしているなんて。それはおかしくないか?


「そんなのおかしい。だって、そうしたらカミサマのせいで苦しんでることになるじゃない。カミサマは、私達を救ってくれる人なんでしょう? それなら、災いを起こすカミサマのことは成敗しないといけないよね?」

「だから、それはカミサマが私達が強くなれるように願って——」

「おかしい。私達はカミサマにいいように振り回されてる。そうでしょう? 違う? 絶対振り回されてるって。おかしいよ。だから私、カミサマに直談判しに行く。災いを起こすのはやめてくださいって」

「そ、そんなことしたらカミサマが激怒して——」

「ねえ、前から思ってたんだけど……お父さんお母さんは、洗脳されてるの! 早く目を覚まして!」


 そんなはずない! 祟りに遭うぞ! 地獄に堕ちるわ! 不幸に見舞われて早死にしてしまう!

 そんな声を振り払って、私は父の奉仕先まで走った。側近である父の娘で、緊急の用があると言い、信者の証明書を見せれば、門番の人はすぐに私を中に通してくれた。

 そのまま、カミサマの部屋を目指す。部屋の前にいた護衛は私を止めようとしたが、「入りなさい」と声が聞こえて、私は拝謁を許された。


 薄紫色のヴェールの先にいたのは、カミサマ。

 ——いや、かみ 実古斗みこと様。だから、カミサマ。


 私は挨拶もそこそこに、疑問をそのままぶつけた。

 戦争やパンデミック、テロを引き起こしているのはカミサマなのかと。それで私達を試しているのかと。もしそうなら、私達を救うなんて建前に過ぎないじゃないかと。ただでさえ、私の高校でクラス間の差別が激しい。本来なら、それはカミサマが是正するべきじゃないかと。


 カミサマ——上 実古斗は黙って私の話を聞いた後、ヴェールを上げた。「こちらへ来なさい」と私を招き入れるその“ご尊顔”は、何を感じているのか分からない。

 彼は、「あなたは実に聡明だ」と言った。「私の側近が全員馬鹿に見えるくらい、あなたは聡明だ」と。


「あなたが仰ったことは、全て正解です。人為的な災いは、全て私が一枚噛んでいます。なぜそんなことをするの? という目をしていますね。あなたの目は、とても綺麗です。……私は、自分の手の上で、人間が右往左往するのを見たい。ただそれだけですよ。みんな私に心酔し、私の顔を“ご尊顔”と崇め奉り、好きでもないのに季節の果物を毎日捧げ、救いを求める。あなたの仰る通り、私が全ての元凶なのに。そんな可能性に気づきもせず、彼らは盲目的に私に祈る。求めてもいないのに、ある者は全財産を私に託し、ある者は命を捧げた。……そんな馬鹿極まりない者達を眺めるのが、どうしようもなく好きなのです。一度、この地位になれば分かりますよ。私のために全てを投げ出し、自らの人生を狂わせる様を見下ろすのは、本当に快感でしかない」


 そして彼は、舐め回すように私を見る。嫌悪感と冷や汗が背中を支配した所で、「あなたは、私をどうしたいですか?」と聞かれたので、「成敗したいです」と答えたら、途端に目を細めた。


「ふふっ」

「何が、面白いんですか」

「ふふふふっ。……すみません、笑い過ぎてしまいました。……やはり、あなたも馬鹿だった。あの父にして、この娘あり、でしょうね」


 まぁ確かに、父は愚かだ。側近として奉仕することに生きがいを感じている父は、馬鹿だ。でも私まで馬鹿だなんて、なぜ。聡明だと言ったばかりじゃないか。

 少しして真顔に戻り、彼は、あなたに与えられる選択肢は、これしかありませんよ、と“麗しいお声”で言う。


「この場で私に殺されるか、みんなの前で生贄になるかのどちらかです。……そんなに怯えることはないでしょう? 私の顔を見て、真理を知ってしまったのですから。でも生贄は、さすがに可哀想ですね。馬鹿な親御さんが泣いてしまう。私にも、“カミサマ”としての慈悲の心は多少あるのです。静かに死んだ方が、楽ですよ。最期に私と2人きりなんて、信者としては本望でしょうに」

「そっ、そんなの、嫌っ……!」


 彼はため息をついた。彼の隣に置かれていた、小さくて鋭利なものが彼の手に握られて、キラリと光って私に迫る。いつの間にか、私の体は彼の抗いようのない力で押さえつけられていた。


「正義がいつも通用するわけないでしょう? 真理を知って、私のヴェールを上げてしまったのだから。とんでもなく重罪なのですよ、あなたは。馬鹿みたいに私に祈り続けていれば良かったのです。……でも私は、感謝していますよ、あなたに」



 次の瞬間、薄紫色の世界が、赤く染まった。




「私に命を捧げてくれて、どうもありがとう」

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