#43 友達思いのプレゼント

 どれくらい眠っていたのだろう。


 のろのろと目を開けると、強烈な夕陽が射し込んできた。その次にはっきりしてくる、身体を包み込む感覚。お腹の上には温かい布団がかけられ、背中や腰は頑丈な、でも程良く柔らかいマットレスに支えられていた。

 耳を澄ませば、規則的に聞こえてくる、ピッ、ピッという僅かな音。頭を右に傾けてみると、僕の腕には点滴の針が刺さっていた。身体に何かが注入されていることに驚いて、思わず飛び起きようとしたが、胸とお腹の間辺りに激痛が走った。


「うっ……はぁ、はぁ」


 あまりの激痛に耐えかねて、僕が再び頭を枕に戻したのと、看護師さんが病室のドアを開けたタイミングはほぼ同時だった。彼女は僕と目が合った途端、「目覚めたんですね!」と言って駆け寄ってきた。


「お名前、分かりますか」

「え。……荒木俊介」

「そうですね。では荒木さん、今日は何月何日か、分かりますか」

「7月23日」

「そうです、そうです。じゃあ最後に荒木さん、ご自身のお誕生日、分かりますか」

「昨日でしたね」

「うん。記憶は問題ないみたいですね」

「あの、僕……なんでここに」

「え、それは覚えてないんですか? えっと……」


 なぜか看護師さんは、とても話しにくそうにしていた。患者の前ではネガティブな反応をしないようにしているはずだが、それでもなお、バツの悪そうな顔が隠し切れていなかった。僕は何をやらかしたのだろう。本格的に頭を悩ませ始めた頃、「俊介、大丈夫かっ」と新たな声が聞こえた。

 翼だ。彼の顔を見た瞬間、何が起こったか大体思い出すことができた。


 昨日、僕の誕生日をお祝いしようと、翼が飲みに誘ってくれた。そしていつも通り飲んでいたのだが、僕はめちゃくちゃ酒に強く、翼は弱い。弱いといってもある程度は飲めるのだが、顔がすぐに赤くなり、ビール2本開けた頃には吐きそうになるくらいだ。それでも彼は、酒が好きな僕を思って、飲みに誘ってくれた。しかし救急車で運ばれたのは僕。

 なぜ運ばれたんだろう。なぜお腹のあたりが非常に痛いのだろう。


「俊介、お前、本当……大丈夫か」

「翼。なんかごめんな。あのさ、なんで運ばれたんだっけ」


 本当に分からないから素直に聞いてみたものの、翼は固まった。「え……」と言ったまま、しばらくすると「ほ、本当に覚えてないのか?」と、少し怯えとも取れるような声音で聞いてきた。そして看護師さんと顔を見合わせている。


「うん、翼の顔見て、昨日飲みに行った所までは思い出したんだけど、その後が」

「う、う……っ、うああああああああああああああああ」


 何が起こったのか、翼は突然叫び出した。僕と同じ病室だった人もびっくりしたらしく、僅かに体を起こす。看護師さんは、叫びながら病室を出て行った翼に気を取られ、そのまま彼を追いかけて行った。

 一体、僕は何をしたと言うんだ。翼が叫ぶほどのことを、僕はしたんだろうか。



 その夜、例の看護師さんが「消灯ですよ」と見回りにやってきた。「翼は?」と聞くと、「あぁ……少ししたら落ち着かれて、帰られました」と言った。その目には患者に対する優しさはなくて、僕に見られるのを拒否しているような、僕と関わりを持ちたくないような、そんな感じがした。

 そんな状況では、消灯だと言われても寝つくことなどできない。僕はぱっちりと目を開き、覚醒した頭でぐるぐると考えていた。


 ——思い出した。全部、思い出した。


 でも思い出してみてもやっぱり、あれは翼が叫ぶようなことではない。むしろ、翼には感謝されるべきなのだ。僕は、翼が僕にとって大事な友人だと思っているからああしたのに。

 翼はまだ、僕のを待っているはずだ。僕なら、翼の悩みを解消してあげられる。

 僕はふと思い立って、激痛をうまく避けながら起き上がり、点滴の針をそっと抜く。そしてその針を、あの場所に向けて——。



 どれくらい眠っていたのだろう。


 のろのろと目を開けると、真っ白な光が射し込んできた。人工的で、無機質な蛍光灯の光。その次にはっきりしてくる、身体の奇妙な感覚。背中や腰は程良い硬さのマットレスによって支えられているが、四肢を動かせずにいた。

 頭を右に傾けてみると、手首と足首が拘束されているのが見える。それを外そうともがけば、胸とお腹の間辺りに激痛が走った。


 誰もやって来ない。看護師さんも、翼もやって来ない。

 視線の先にあるドアには、取手がついていない。

 僕は今、拘束されている。何かが危険だと判断されて、拘束されている。


 翼と飲みに行った日、彼は言ったんだ。「俺も俊介くらい、酒が強かったら良かったのに」って。飲めない奴は大変らしい。飲み放題で結局損をするし、多くの種類のお酒を楽しむことができないし、と愚痴をこぼしていた。だから、僕くらいに頑丈な肝臓が欲しいな、と言ったのだ。

 親友が大変な思いをしている。それは僕にとっても一大事だ。彼は僕よりも社交的で、皆に人気があるから、飲み会の頻度だって多い。ならば、僕が彼を助けてあげればいいじゃないか。

 だから僕は、なのだ。少々血塗れになるのは仕方ないだろう。


 でも彼はこの世の終わりみたいに叫んで、血塗れの僕は救急車で運ばれた。彼は僕を見舞いに来たものの、きっとその光景を思い出して、また叫んでしまった。……ったく、

 それなら、翼のいない所でやればいいのか。

 そう思った僕は、夜も深まった病室で、心臓と肝臓をあげる準備を進めようとしたのだけど——。


 その後から記憶がないということは、直後に見つかってここに運ばれたのだろう。血の臭いも思い出せないということは、僕は結局、翼に何もあげられなかったんだ。

 手足を拘束されてしまうなんて、弱ったな。


 でも僕は諦めないよ。


 翼、今度僕は、君にをあげられるだろうか?

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