#39 めでたい奴にはすき焼きを

「ママ、ただいまぁーっ!!!」


 ドアを開けるなり、隣の家にまで聞こえそうなくらい大きな声を出して、息子が帰ってきた。6時間目まで授業をしてきたのに、この元気は一体どこから出てくるのか。……まさか、午後の授業でたっぷり寝て、今エネルギーチャージが満タン、なんて状況じゃあないだろうね?


「お帰り大我。何よそんなバカでかい声出して、上機嫌ね」

「ママ、大事件なんだよ。大スクープ! これはもうすんごいことでさ」

「分かった分かった、ちゃんと聞くからまずは手洗いうがいしなさい」

「えーっ。……はーい」


 なんだかんだでまだ素直な息子はやっぱり可愛い。大スクープとは一体何なのか。

 まさか、じゃないよね? アレに気付いてたら色々びっくりだけど。


「ママ、手洗いうがいしてきたから話していいよね?」

「うん、いいよ。どうしたの?」

「あのねあのね」


 小学4年生の息子は、ランドセルから丁寧に紙を取り出した。いつもは原型をとどめないくらいにぐっちゃぐちゃで、保護者会の参加届など出す時にはこっちが恥ずかしい思いをするというのに。今取り出された紙はとても綺麗である。


「じゃーん!!! すっごいでしょ?」


 おお、良かった、アレではなかった…………って、それは置いといて。

 大我が取り出した紙には、“100”の赤い文字。隣には“よくできました”のスタンプも押されている。

 算数のテストで満点を取って帰ってきたのだ。

 普段も大体8〜9割取れるのだが、満点は久しぶりに見た。これはママとしてもニンマリしてしまう。


「すごいじゃん大我!! よく頑張ったね、すごいすごい。先生にもこんな立派なスタンプもらって」

「へへっ、僕天才でしょ」

「天才ではないけど、よく努力したと思うよ」


 僕超すごーい!とはしゃぐ彼に、「今日奮発しちゃおうか。すき焼き食べる?」と尋ねると、間髪入れずに「食べる!!!」と上機嫌な声が返ってきた。やっぱり可愛い。親バカではないけど、可愛い。あと何年、この可愛さをキープしてくれるだろうか。

 私はスマホで電話をかける。


『もしもし? どうしたのママ』

「今日部活ないよね? 悪いけど、スーパー寄ってもらえないかな」

『ママが買い忘れなんて珍しい』

急遽きゅうきょ、すき焼き用のお肉が欲しくなったのよ」

『す、すき焼き用のって高くない?!』

「すぐにお支払いしますから、今だけ立て替えてください唯香ちゃん」

『もう、そういう時だけ、ちゃん付けするんだから』


 頬をぷっくりと膨らませる様が容易に想像できるけれど、すき焼きは唯香の大好物でもある。「ただいまー」と帰ってきた彼女の両手には、お肉と豆腐、卵が携えられていた。「豆腐と卵は何個あっても良い」らしい。えげつないタンパク質量である。


「ねえママ、今日すき焼きなんてどうしたの? なんかの記念日だったっけ」

「今日は僕の記念日だよお姉ちゃん!」

「あんたの? 何をしでかしたの」

「しでかしてないってば! お姉ちゃんひどい!」

「ほら、ケンカしたらすき焼きなしよ」

「「それはやだーっ!!」」


 2人揃ってしまう所が、やっぱり可愛らしい。

 姉弟は応酬をやめ、晩ご飯の支度を始めた。

 するとしばらくして、「ただいまー」と別の声が。


「パパだ!」

「ただいま大我」

「あらお帰りなさい」

「今日はすき焼きか? いい匂いがするなぁ」


 仕事帰りの旦那も上機嫌だ。

 大我は漏れなくパパにも自分の満点答案を自慢げに見せ、どこにそのキャパがあるんだ、というくらいに肉を吸い込んだ。唯香は卵と豆腐を吸い込んだ。旦那は春菊を吸い込んでいた。家族全員、吸引力は抜群だ。



 それにしても、みんなには気づいていないんだろうか。


 子どもたちが寝てから、私は旦那と久々に晩酌をした。少し酔いが回った旦那は、本音をポロリと吐き出す。


「大我の満点は確かにすごかったけど、それですき焼きは甘やかしすぎじゃないか」

「そんなことない。今日はあなたのお祝いでもあったのよ。だからダブルお祝いにしてくれた大我に感謝ね」

「俺の?…………何かあったか? 思い出せねえや」


 ほぉ、は全くご存知ありませんか。めでたい脳みそしちゃって。

 こうなったらもう、ミッションを実行するしかない。

 私は自分のスマホを手にとり、カメラロールを捜索する。…………みっけた。


“今日で半年だね♡”

“そうだね、明日お祝いしよっか”

“やったぁ! 大ちゃんほんと好き♡”

“俺も大好き!”


「今日で1年だよね? 本当のお祝いは明日かな? 私が代わりにすき焼きで前祝いしてあげたよ」


 旦那が爆睡している時にこっそりスクショを取っておいた。指紋認証のために私に指を掴まれても起きないのだから、本当に馬鹿の極みだ。証拠までご丁寧に残して、馬鹿とクズの相乗効果である。

 彼はグラスを手にしたまま、彫像のように固まっていた。何と出来の悪い彫像。


「今日は、あなたと彼女の交際1年記念日。それから、私に気づかれず隠し通せてる、とあなたが信じ込んで1年記念日。おめでとう大ちゃん」


 私が彼の腕に自分の腕を絡めようとしたら、「やめてくれ」と引き剥がされた。


「ひどい。妻の求めには応じないのね」

「し、知ってて何も言わないのも卑怯だろ」

「何バカ言ってんの? バレてないと思い込んで、こっそり関係を続ける方が卑怯よ」


 必死で何とか言い返そうとするが、旦那の瞼は徐々に重く垂れ下がっていく。


「猛烈にね、眠い……ま、まさか、お前……」

「明日まで、生きていられるといいわね。大好きな彼女ちゃんと会えるように祈ってるよ」


 ◇


 翌朝、大我は上機嫌で起きてきた。


「おはようママ、今日の夕飯は何? すき焼き?」

「朝っぱらから夕飯の話って、もう……。まぁすき焼きでもいいかもね」

「え、なんで?! 今日も何かめでたい?!」


 朝から素っ頓狂な声をあげて唯香がダイニングにやってくる。

 中学生なら、意味も分かるだろう。

 私は彼女だけにそっと囁く。


「今日はね、パパが消えた記念日よ」

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