#32 モグラとアナグマとムンク

 電車に乗った瞬間から、奇妙な感じはしていた。

 惰性でロックを解除したスマホからゲームアプリを呼び出し、揺られながらプレイボタンを押す。頭とバランス感覚を同時に鍛えるという意味では、結構ちゃんとしたエクササイズになるのかもしれない、なんてどうでもいいことを考える。


 隣にひょろりと立っていた男は、僕のスマホの画面をじぃっと見つめていた。

 男の様子を盗み見ると、耳と鼻にいくつも開いたピアス。白いTシャツの上に、ざっくりと大きな穴がたくさん開いた薄めのニット。これはファッションの一種なのだろうか。そして、これまた印象的な穴がいくつか開いたダメージジーンズ。極めつけに、足元はクロックスのサンダル。

 彼はボルドーのマニキュアが塗られた、細長くて骨ばった指をもじもじとさせながら、僕のスマホの画面を穴が開くように見つめていた。


 なんだこいつは。


 僕が胡乱うろんな目を向けると、彼は自分のスマホを取り出して、ちょっとしてからこちらに向けてきた。


——穴が、気になる


 彼のスマホには、ただこれだけの文章が記されていた。

 穴?

 ……もしかして、僕が今ハマってる、モグラ叩きゲームの穴のこと?


 彼は一旦スマホを引っ込めて、また何かを打ち込んで見せてきた。


——モグラが入ってく穴が、気になる


 予想通りだ。

 でも、本気でなんだこいつ。


 僕はゲームを閉じて、メモ画面を出した。電車の揺れに対応しながら、素早く打ち込む。


——なんで穴が?


 すると彼はまたスマホを引っ込めて、ちょっとしてからこちらに見せる。


——俺の人生は、穴だらけ

——次の駅で降りませんか


 意味が分からない。

 ただ、分からないからこそ妙に気になってしまった。

 今日は水曜日。仕事は休みだ。


 僕は頷き、電車が次の駅に着いて止まると、連れ立って外に出た。

 電車が再び動き出し、ホームを出るまで何となく佇む。


「すんません、勝手にスマホ覗き込んで」

「いや、別にいいですけど……穴?」


 僕は思わず、また彼の全身を見てしまった。……穴だらけ。大小様々な形に、ただただ開いただけの穴。穴、穴、穴。


「穴を、塞げなくて」

「どういうことですか?」

「彼女が、消えてから、俺は不完全なままだ」


 ちょっと聞けば、付き合っていた彼女が失踪したらしい。ただそれは、もう2年も前のこと。連絡はつかず、家族が捜索願を出しても進展はなく。

 それからというもの、彼は自分の心にぽっかり穴が開いたように感じて、気づけば体に穴を開け、服装も穴の開いたものばかりになったらしい。


 表現として“ぽっかり穴が開く”はよく使うが、物理的にぽっかり穴が開く人間は珍しいな、と思った。


「で、どうしたいんですか」

「あ……すんません、引き留めて。俺もどうしたいのか分かんないまま」

「なんじゃそれ」

「ほんと、すんません」


 僕にどうにかしてほしいということか?

 まぁ、きっとそういうことだろう。じゃなければ、初対面の人間に過去を晒し、共に電車を降りるなんてしないはずだ。

 なぜ僕だったのか。

 モグラ叩きゲームさえしていれば、僕でなくても良かったのかもしれない。

 でもタイミングやら運やら色んなものが重なったらしく、僕は選ばれてしまった。

 ……それなら、僕がやるべきことは1つなのだろう。


 じゃあさ、と僕は言った。


「たくさんの穴を、攻略してみませんか」

「攻略?」


 いいから、と言って僕はずんずん歩き出す。彼が小走りでついてくる気配を感じた。

 たまたま降りた駅は、食べ歩きができるお店が並んでいた。


 僕らはドーナツを買い、ベーグルを買った。レンコンの挟み揚げがあったから、それも買った。そして食べ、マンホールの上を歩き、少し買い物をして、小さな神社に5円玉のお賽銭を投げて、また電車に乗った。

 なるべく人のいない方へと向かう。今の僕らに、きっと都会は似合わない。


 田舎っぽそうな駅に降り立ち、森の中へと入っていく。道はある程度整備されていた。以前僕は2度、ここに来たことがある。

 人生に血迷った結果ここに来たら、不思議と心を落ち着かせることができた。街で皮を被って何とか生きている自分に別れを告げ、本来の自分になれる気がしたから、ここは少し特別な場所だ。


 僕は、さっきの買った袋の中からスコップを2つ、取り出した。1つを彼に渡す。彼は機械的にそれを手に取る。目の前には土が広がっていて、彼の穴だらけのサンダルは、少し汚れ始めていた。


「さぁ、掘りましょう」

「ほ、掘るって、どれくらいの、穴を掘れば」

「好きなだけ掘ってみたらいいんじゃないですか。……モグラが入れるくらいでも、人が入れるくらいでも」


 彼は最初こそ怪訝けげんな顔をしていたものの、少し掘ると、そこからは別人のように一心不乱に掘り始めた。

 アナグマみたいだ。

 僕も一緒に掘っていると、彼のスコップが変な音を立てた。

 ごん。

 彼の手が一瞬止まり、その後慎重に掘り始めた。すると、土だらけの箱が見えた。


「タイムカプセルかな」


 そっと開けると、手紙が出てきた。

 内容をざっと見る限り、遺書だった。彼は言った。


「音がした時、骨かと思いました」

「なんて物騒な」

「これだって物騒ですよ……誰のなんだろう。なんか丸っこい字だな」


 彼は宛名不明の遺書を指差す。

 書いた人間の名前も書いてない。

 彼は「気味悪いなぁ」と言って、僕の胸に箱を押し付けた。


「やっぱり、穴は攻略したって良くないですよ。こんな物騒なの掘り当てちゃったし」

「いや、そんなことはないはずだ」

「なんで言い切れるんですか」

「ついて来てください。実は僕、ここ少しだけ土地勘があるんです。ついて来たらきっと、穴の概念が変わりますよ」


 僕らは掘り返した所を埋め直し、さらに奥へと向かった。

 大きめの洞窟が、僕らの前に現れる。僕らはずんずんと奥まで歩いて行った。


「うわぁ」


 彼は思わず声を出した。

 真っ暗だった洞窟が、突如として明るくなったからだ。

 そう、ここは穴があることで完成する景色だ。

 穴があいていることは、決して悪いことばかりではない。それが伝われば良いと思った。


「穴から差し込む光が、この洞窟を美しくするんですよ」

「綺麗だ……よくご存知ですね」


 彼の穴だらけの服が、差し込む光でキラキラと輝く。

 しばし光をぼうっと見つめていた彼は、やがて口を開いた。


「俺、自分の心の穴を無理に埋めなくても、信じて待っていればいいような気がしてきました。彼女が戻ってきて、俺が完全体になるまで気長に待てばいい。真っ暗な洞窟にある穴は、道しるべにもなるんですね。穴は時に必要なんだと分かりました……気づかせてくれて、ありがとうございます」

「……彼女と一緒になれるなら、今は穴があいていても良い?」

「良いです」


 懐かしい台詞だ。あの時も同じ台詞を聞いた。

 でも僕に言わせれば、不足分を補い合わなければ生きていけないなんて、あまりに愚かだ。1人で生きていけないなんて、情けない。

 僕は彼に尋ねた。


「あの遺書、見覚えありませんか……さっきあなたが掘り当てたもの」

「え?」

「ないのか。きっとスマホとか、話し言葉だけで心を通わせていたんだな。……字体に気づかなくても、君は彼女を愛していると言えるのか?」


 彼の瞬きの回数が増えた。


「まさか、あ、あれって……?」

「彼女も言ってました。…………君と一緒になれるなら、今私の体に穴があっても良いと」


 僕は穴の真下に立ち、真っ暗になった彼に触れる。

 どうだい、君のマニキュアと同じ色に、染めてあげようか。

 それにしても僕と出会うなんて、奇妙な運命だな。


 彼の目が見開かれる。口もぽかんと開いている。

 その顔はまるで、ムンクの“叫び”のようで。


「な、ぜ……?」


 答える気はない。

 人生に嫌気が差しただけだ。

 その度にここへを連れて来て、本来の自分を解放していただけだ。


 僕の心こそ、ぽっかりと穴があいている。

 でもその埋め方を、僕はまだ知らない。


「最期に遺書を見られただけ、良いと思えよ」

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