#29 新しいタイプ
チリンチリン、とベルが鳴る。
お客が来るなんて、珍しい。
ソファーで電子タバコを吸っていた女は、慌ててタバコをしまってテーブルを拭いた。
「こんにちは」
「こんにちは。……依頼があって、来たんですけど」
「そうですか。うちは新しいタイプの事務所なんで、ご希望に添えるかは分かりませんが。とりあえずおうかがいしましょう」
女はこげ茶のコートを着た男を招き入れた。ドアから一瞬入ってきた空気は、肌を突き刺すほどに冷たい。
「寒かったでしょう。紅茶かコーヒー、いかがですか?」
「あぁ、ありがとうございます。……じゃあ、コーヒーで」
女はカップを2つ用意し、インスタントコーヒーを注いだ。一気に香ばしい香りが部屋中に広がった。
淹れたてのコーヒーを、ソファーに腰掛けた男の前に置く。
「それで、ご依頼というのは?」
「来週中に、こいつをお願いしたいんです」
男は何枚かの写真を出した。長髪の男性を、色んな角度から撮った写真。
「まぁできたら海に沈めちゃう感じがいいんですけど、この時期だとやっぱ寒くて厳しいですかね、殺し屋さんも」
「ええ、厳しいですね、それでは」
「うーん。じゃあ、普通に消音機付けた拳銃でもいいですよ」
「それもあいにく、承っておりません」
男は目を見開いた。
「えっ、これも?!……ここ、殺し屋で合ってますよね? 名前は牛坂法律事務所だけど、実態は殺し屋だって、信頼できる筋から聞いたんですが」
「ええ。場所も合ってますよ。でも、言ったでしょう? 新しいタイプの殺し屋ですから」
「じゃあ、何ならいいんですか。ブロンズ像で殴る? 薬混入する?」
「どれも承るのは難しいですね。……ちゃんと話聞いてました? うちは新しいんですってば」
「新しいって何だよ……もしかして電気イスとか?!」
女は笑って首を横に振る。
「いいえ。まるで伝わっていないようですね」
男は苛立ちを隠そうとしなかった。この筋の人間は、大抵頭に血が上るのが早い。
「何の依頼なら受けるって言うんだ。言ってみろ」
女は少し冷めたコーヒーを一口飲み、ゆっくりと告げた。
「私を殺してくれる人を探してるんですよ」
「何だって?」
「だから、私が殺すんじゃなくて、私を殺すんです。でも私が気に入った方法でなければならない」
「……あんた、頭狂ってんのか」
「いいえ? 正気ですよ。望み通りの方法でやってくれれば報酬を用意するし、望まない方法で無理やりやられたのなら、仲間がお金を取りに行きます」
「かなり控えめに言って、すごく気味悪いぞ」
「でも、これが私のビジネスですから」
「怖くないのか、自分の身を危険に晒す仕事をして」
「全く? むしろ、皆さんがどんな方法を提案してくれるのか、楽しみなんです。……あなたの方こそ、もっと怖いお仕事されてるでしょう?」
「……おいおい。カタギじゃない俺を相手にそんなに堂々としやがって。……本気で気色悪い。帰る」
男は冷め切ったコーヒーを一気飲みして、「ごちそうさん」と言うと立ち上がり、こげ茶のコートを羽織りながらドアへと向かった。
女もすぐに立ち上がり、男の腕を掴む。
「おい、離せよ」
「待ちなさい。……10枚、置いてって」
「10枚?」
「10万」
「ふざけんな。何でお前に10万も」
「代金はお支払いいただかないと。この世界、契約ほど大事なものはないんだから」
代金? 男はしばし、考えた。何か代金が発生するようなやりとりをしただろうか。
「まさか、コンサル料とか言うんじゃないだろうな」
「あ、それも含めるなら20万で」
「待ってくれ。コーヒーだけで10万取るのか」
「あ、それも含めるなら20万5千円ね」
「最初の10万は何なんだ」
「ほんとに分からないの?」
「とにかく、今は手持ちがない。帰るぞ」
「帰さない。契約は命よ」
男は本気で分からなかった。
「何の契約だ」
「あなた、私のこと、気味悪いとか気色悪いと言ったわね。……私を精神的に攻撃して、私の心を殺した。これは私の望まない殺され方よ。だから10万円、いただくわ」
「精神的に殺した、って……そんな言い訳みたいなのが通用するのか」
「ええ。精神的なものは除外だなんて、誰が言いました?」
「と、とにかく手持ちがないんだ。この金は、また今度……」
そう言うや否や、男の意識は薄れていく。コーヒーに入れておいた薬の効果が出始めたようだ。
女はスマホを取り出し、通話ボタンを押した。電話はすぐにつながった。
「もしもし? 例のこげ茶コートの男、見事に引っかかりました。この後、本人の希望通りに海に沈めておきますね。……ええ。それにしてもあなた、よくこんなバカと一緒に仕事できてたわね」
「雇ってから使えないバカだと分かったんだ。仕方ないだろ」
「まぁ、とにかく処理しておきます。……それから」
「まだ何か?」
「ええ。……あなた、写真写り悪いわね」
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