#30 エノキが怖くてたまらない
私の嫌いな食べ物はエノキです。
理由は、怖いからです。
別に、キノコ程度のものに怯えるほどの、異常なビビりだというわけではないですよ? だけど、エノキは怖い。
むしろ私は不思議なんです。
なぜ、みんながエノキを怖がらないのか。
真っ直ぐに伸びた、大量の白く細長い物体。
それがすき焼きや味噌汁、煮物に入っているだけで、私は寒気がします。くたくたになって、味を、色を吸い込んだその大量の物体を、私はまともに見ることができません。
いとも簡単に、何にでも染まってしまう。
か細いから、味がすぐに染み込んでしまう。
真っ白だから、どんな色にも変化してしまう。
大量にいるのに、一瞬で染まり果ててしまう。
みんながみんな真っ直ぐで、仲間と離れることなんてなくて、鍋の中だろうがフライパンの中だろうが、他の野菜がいようが肉に巻かれてようが、いつも隣の仲間と共にいる。
そのくせ、たった1本になってしまうとあっという間に存在感がなくなる。おたまや穴じゃくしにも拾ってもらえず、お箸やフォークの合間をすり抜けて、何度も何度も落ちていく。
結局、落ち続けた者は、あっさりと捨てられる。
私たちに似ていませんか?
大量の人間が行き交う渋谷のスクランブル交差点の真ん中で、あなたは1人で立ち止まり、大声で歌うことができますか? 「私は自由なのだ」と、ハチ公も振り返るくらいの存在感を伴って、叫ぶことができますか?
……「できる」と言えたのなら、あなたはとんでもない強心臓の持ち主か、とんでもない嘘つきのどちらかです。
進めと言われたら進み、止まれと言われたら止まる。
人の目から発せられるメッセージが怖いから、その他大勢に成り下がる。
1人で自立して生きていくなんて絶対に出来やしなくて、その場の空気にひっそりと染まっていく。場所が変われば空気も変わる。その場その場で染み込んでいく。どんな場所でも、とりあえず染まっておく。
スクランブル交差点を見下ろす時、思うんです。
あんなに大量の人間が生きているのなら、それだけの選択肢があるはずです。
でもどうでしょう。実際の選択肢は、人間の数より遥かに少ないのです。
何か補正器具でも入っているみたいに、みんな真っ直ぐなんです。曲がっちゃいけない。歯だって真っ直ぐに直さないと、印象が良くないと言われます。
歯列矯正。縮毛矯正。骨盤矯正。
私たちは、真っ直ぐを盲信しています。
エノキは、生育の途中で真っ直ぐに矯正するそうです。食べ物ですら、曲がったものは許されないのです。
いつも誰かと共にいる。
社会的動物として、当然のことかもしれません。愛する家族や友人、恋人と共にいる。それは素晴らしいことなのかもしれません。
でも、共生と寄生は違います。
どこにいようがいつも一緒。相手がいなければ死んでしまう。自分がいなければ相手が死んでしまう。そういう思いに、縛られている人間もたくさんいます。
エノキを見ると、そんな彼らのことを考えざるを得ないのです。
自分は自立している。この足できちんと立っている。
そう豪語する人間も、いるでしょう。
でも本当に、1人で生きているのでしょうか?
誰のおかげでそこまで育ってきたのなんて、ウザい質問をするつもりはありません。でも社会的に成功している人だって、その成功を間近で見て評価した人がいなければ、成功などあり得ないのです。たった1人での成功は、それこそ寒気がするくらいの自己満足に他なりません。
誰かに見てもらえなければ、存在を認めてもらえなければ、私たちは箸の隙間からこぼれ落ちるエノキの如く、社会の底に
そうして、墜ち続ければ、誰の目にも止まらなくなります。この社会の下の下まで気を配って見るような物好きは、そうそういません。結果、墜ち続けた者は、あっさりと
墜ちなかった者も、最後にはくたくたになって、この世界に白旗を上げるのです。
エノキを見る度に、こんなことが頭に浮かびます。
エノキは私たちの在り方を、その姿を以て生々しく見せつけてくるのです。残酷なくらいに、ありありと。——恐怖を、感じませんか?
こんなことが毎回浮かぶのですから、冷静に食べられるわけがありません。
こういうことを考えてもなお、エノキを今までのように食べることができるというのなら、きっとあなたには心がないのかもしれません。
このままだと、ご批判を受けそうなので、1つだけ。
私には、エノキ生産者を責めるつもりも、エノキの消費量を落としてやろうという魂胆も毛頭ない、ということだけは付け加えておきます。
エノキが教えてくれる、人間の
私は今晩が憂鬱です。
……晩ご飯にエノキが入っているから?
そうです。大当たりです。今日はお祝いだからと言って、エノキの入ったすき焼きが出される予定なのです。お祝いの食卓にわざわざエノキを選び、それを何も考えずに笑顔で
ただ、食卓にエノキが出る現象には慣れました。それだけでは、ここまで憂鬱にはなりません。
今日から、母親の再婚相手との共同生活が始まるのです。
これから名字が“
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