#3 Wanna be A子さん?

 出会いは突然に、って多分こういうことを言うのかもしれない。


「だっ!」


 深夜にコンビニで買い物をして帰ろうとしたら、車の歯止めにつまずいた。車は止まっていなくて、そのまま前にコケて。袋の中身が派手に散らばってしまった。

 ……漫画かよ。夜でよかった。人も少ないし、失態は見られてないはずだ。さっさと中身をしまって帰ろう。

 そう思ってから中身を探そうとしたのに、散らばったはずの物がなくなっていた。……盗られた?


「どこで転んでんの」


 頭から低い声が降ってきて、見上げると超怪しい人がいた。深夜にマスクでメガネしてる男性に声かけられるのめっちゃ怖い。しかも私、コケたままだから無防備この上ない。……ヤバいじゃん。


「……っ!!!」


 運動音痴の自分には信じられない速さで起き上がって、そのまま家へとダッシュした。でも何せ足が遅い。家が遠くに感じられる。


「ねぇ、待ってよ! これ忘れてっから!」


 さっきの人はもう、私のすぐ後ろにいて。「ほい」と、私がさっき買った袋を手渡した。わすかな重みを感じて、あぁ、中身を集めて入れてくれたんだな、と悟る。

 なんだ、良い人だったのか。


「ありがとう、ございます……」

「今2時だよ? 女の子が1人で出歩くなんて、危ない危ない。家どこ?」


 えっと、家……家はですね……え、待って、家?!

 いくら良い人でも、この時間に出会った人だ。しかも顔全然見えないし。安易に教えたらまずい。私の油断に漬け込んで、家に上がり込まれて、そこできっと犯罪が……っていう想像が一瞬で頭を支配する。

 黙っていたら、その人はあっけなく質問を諦めて、スタスタと歩いて行った。ついて行きたいわけじゃないのに、足は追いかける形になってしまっている。


「え、なんでついてくんの」

「いや、あの、ここ……」


 まさか。マンションが一緒だったなんて。しかもその人が開けているポストを確認したら、私の真上に住んでいる人だった。


「なーんだ、住人さんだったんだ。俺、この前ここに越してきたばかりで。よろしくです」


 彼も私も互いに名乗ることはなく、お礼と挨拶だけをして別れた。




 私は職業柄、帰りがどうしても遅くなる。だからコンビニに行くのは、大抵2時になる。

 彼もそうだったみたいだ。出会った日から、私は彼と遭遇する機会が増えた。

 それから、歳の近い私たちが互いの家を行き来して仲良くなるのは、割とあっという間のことだった。


「璃子」

「ん?」

「あのさ……俺、璃子のこと好きだよ」

「え?」


 私の思考回路が一瞬フリーズする。違う絵が脳に映し出される。


「ねぇ璃子、今何か別のこと考えてたでしょ!」

「え……バレた?」

「何考えてたの?」

「考えてたっていうか……イメージが、浮かんでて」

「イメージ?」

「……電車の、中吊り広告…………」


 彼は1人でお腹を抱えて笑った。


「まじか! よりによってそこ?! もうほんと、意外なとこ突いてくるよね……まぁ、でも分かるよ、璃子の気持ちは。けど俺の気持ちは、変わらない。もう決まってんだ」


 目を伏せる私に、彼は囁いた。


「ねぇ璃子。俺のA子さんになってくんない?」




 ——若手のカメレオン俳優、檜山省吾が一般女性のA子さんと熱愛か。

 私は“A子さん”になった。璃子ではなく、“A子さん”に。

 私は週刊誌に、勝手に名前を付けられた。



 でもそれはもう、3年も前の話。


「俺のA子さんになってくんない?」


 今思えば、なんて陳腐な告白の言葉だったのだろう、と思う。そんな言葉に頷いて、彼の女になった自分を情けないとすら思う。

 元々テレビもネットも見ない私は、何も知らなかった。省吾の出演作品はもちろん、彼の噂についてだって、何も。

 彼が稀代のプレイボーイだなんて、知らなかった。

 多分私はアルファベットの最初のAではなくて、Jくらいの立ち位置だったのではないかと思う。きっと私はJ子さん。




 通勤電車の中吊り広告に、派手な見出しを見つけた。夏の特別号の、トップニュース。


『檜山省吾、一般女性A子さんと熱愛か?——1年半の極秘通い愛に迫る』


 “A子さん”なんて、世の中には腐るほどいる。アルファベットは使い回しの証。

 この「通い愛」の女は、私の後に使い回されているんだ。

 そんなことを思って、新たな“A子さん”を勝手に哀れむ。嫉妬と区別しがたい、うねるような感情を抱えて。


 なぜ、固有名詞を捨てなければならないのだろう。

 省吾にとって私は、一体何だったのだろう。




 「通い愛」の女に問いたい。


 あなたは本当に、“A子さん”になりたいの?

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