161 甘けりゃいいってもんじゃない

 一華いちか手際てぎわよく応急処置をされる間、さきは十回ほど激痛に叫んだ。効率重視で、患者へのいわたりはまるでない。

 注射をされる子供のように左腕から目をらして、咲は右手を握ってくれているれんに涙目を向けた。


「やめてもいいんですよ?」

「駄目だメラーレ、やめないでくれ。ひぃぃい……」


 嫌な汗をびっしょりかいた咲に、一華がようやく「終わりましたよ」と告げる。彼女はそのまま立ち上がって奥の部屋へ行ってしまった。


 自分の姿を見下ろして、咲は側に置かれた血だらけのパーカーを名残惜なごりおしくつかんだ。

 患部によく分からない薬を塗られて半袖のシャツに着替えた咲は、左腕に包帯ぐるぐるで添え木を当てられ、三角巾で固定されている。ここから外へは身軽に行きたい所だが、冬の夜風にパーカー一枚では心許こころもとない。


 自分のコートを着ようかと諦めたところで、蓮が着ていたジャンパーを脱いで咲の背中に掛けた。


「着て行きな」

「蓮……ありがとう」


 咲は「すまないな」と言って、ジャンパーにこもる彼の体温を抱きしめる。

 戦場におもむくには万全とは程遠い姿だけれど、右手と両足が無事なだけでどうにかなる気がした。

 咲は右手に剣を持ったつもりで腕を振る。行ける気がした。


「じゃあ、後はこれを飲んでください」


 奥の部屋に行っていた一華が、刺激臭と共に戻って来る。目の覚める様なツンとした臭いに、蓮も鼻を手で押さえる程だ。

 咲は口元を引きつられて、彼女の握り締めるマグカップに警戒する。


「飲むって、何それ。丸薬じゃないの?」


 彼女が持ってきた熊柄のマグカップは、彼女が保健室で使っているものと色違いのものだ。

 その可愛らしい見た目とは裏腹に、草のような薬のような微妙に甘いような、おかしな臭いを立ち上らせている。

 「どうぞ」と向けられた中身も毒にしか見えない。


 カップのふちギリギリまで注がれている混濁したこけのような緑色に、咲はゴクリと息を飲み込んだ。


「大丈夫なの? コレ……」

「身体に悪いものは入っていませんよ。丸薬を一度粉にして、傷に効く薬や痛み止めも一緒に混ぜてみたんです。健康促進剤みたいなものだと思って飲んで下さい」

「これ飲んで健康が促進されるとは思わないんだけど……」


 不安がる咲に、一華はパッと笑顔を広げた。


「飲まないなら、この部屋から出しませんよ?」

「ちょっ……」


 可愛らしい表情の向こうに悪魔の笑顔を垣間見て、咲はほんのりと温いカップを「分かりました」と受け取った。

 手渡しした時の揺れで、ゴボッと大きめの泡が表面に重い音を弾かせる。


 飲みたいなんてこれっぽっちも思わなかったけれど、外に出るには飲む以外の選択肢はなかった。

 咲は細い息を吐き出してカップに唇を押し当てると、一気に液体をのどへ流し込む。

 鼻をまみたい左手は動かない。だから息をしないようにこらえていたが、舌に触るドロリという感触に驚いて、思わず濃いめの臭気を吸い込んだ。


「うげぇ」


 のどが拒絶反応を起こし、手を口に押し当てる。慌てて手放したカップが、トレイの上に倒れて緑の汁を零した。


「吐いちゃ駄目ですよ。吐いたらもう一杯持ってきますからね?」

「ぐぐぐっ」


 甘党の彼女の調合のせいか、無理矢理つけられただろう甘さとぬるさが良くない。

 脳天を破壊する様な衝撃に、意識が飛んで行きそうだった。

 フラリと傾いた咲の身体を、蓮が横で支える。


「咲!」

「だ、だいじょうぶ……」


 目を見開いて現実へ留まる。口の中に残った甘ったるい薬の味は消えないけれど、とりあえず飲み干した自分をめたい。


「こ、これでいい?」

「はい、もちろんです」


 すぐの効果はよく分からなかった。

 咲は大きく何度も息を吐いて呼吸を整えると、ベッドから片足ずつ下ろして体重をかけた。痛みが響くこともなく、スムーズに立ち上がれたことにホッとする。


「良かった」


 咲は表情を緩めて、心配顔を向ける蓮を見上げた。


「行ってくるよ」

「俺はここに居なきゃ駄目?」

「うん──」


 もちろん駄目だと言わなければならなかった。けれど少しだけ甘えたくて、咲は一華を振り返る。

 彼女は勿論もちろん、駄目だと首を振った。


「じゃあ僕は今から屋上に行くから、そこまで一緒に行こうか」

「分かったよ」


 蓮は残念そうに呟いて、咲に手を差し伸べた。

 屋上まで自分の足で行けたのは、一華の薬のお陰だろうか。


 屋上の扉が見える踊り場に差し掛かった所で、咲は自分から蓮に抱き着いた。地下にあった中條のコートを借りた蓮の匂いがいつもと全然違うけれど、そんな不満を言っていられる状況ではない。


「心配かけてごめんな」

「この数日だって割り切っとくから」


 彼が色々な気持ちを抑えていることを感じて、申し訳ない気持ちがつのる。けれど、彼を連れてこの学校を出るわけにはいかない。

 咲は蓮に笑顔を向ける。


「やっぱり、誕生日にはパーカーが欲しいな」

「……そうなの?」


 彼が見せたのは、寂しさをこらえた笑顔だ。蓮のこんな顔は初めて見た気がする。


「うん。蓮のサイズで新品を買って、十日くらい寝る時も着て、洗わないままプレゼントしてくれたら、僕は嬉しいよ」

「やっぱりそこが大事なの?」


 今度はもう少しだけ明るい笑顔だ。蓮は咲の頭を抱きしめて、「わかったよ」と階上を促した。


 屋上に出たところでまた足元がグラリと揺れ、西の空に爆炎が上がる。

 もうすっかり空が暗くなっていて、緋色ひいろが闇に恐ろしくえた。


 屋上を照らすライトの灯りの中で二人を迎えたのは、あやだ。彼女もまたいつもの日本人顔ではなく、ターメイヤに居た頃の姿をしていた。






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