141 初恋かもしれない

 今日みさぎたち四人の寝室にと割り当てられたのは、茶道部の部室だ。

 学校創立から数年あったという幻の部活動で、次第に部員が減り数年前に廃部となったらしい。

 がらんどうとした二〇畳ほどの和室に、中條なかじょうがどこかで調達してきた布団を男子二人で運び込んでいる。


 まさかの男女同室に一番騒いだのは咲だった。


「みさぎの寝込みを襲ったやつは、ハロンにズタボロにされる呪いが掛かるからな?」


 唖然あぜんとするみなとと笑い出すともにそんなことを言って、咲は布団の位置を勝手に決めていく。

 最初は湊とみさぎの間に咲が入るという並びだったが、「やっぱり嫌だ」と咲が湊の横を拒絶した結果、みさぎは湊の横になることができた。


 学校に泊まるという事に最初は不安もあったが、家庭科室で調理をしたり、体育館のシャワーを使ったりと特別不自由な事はなかった。


「布団で寝れるなんて今日だけなのかな?」


 家庭科室で夕飯の準備をしながら、みさぎがふわあっと欠伸あくびする。会議中うたた寝した効果もすっかり消えて、まだ少し眠い。


 今日はこの寒い中、校庭でバーベキューをするという。準備は楽だけれど、窓の向こうにはまた雪がちらついている。

 咲は出刃でば包丁でザクザクとキャベツを刻みながら、人参を切るみさぎをチェックした。


「もう少し薄く切って。そうだな、ハロンが出たらここに戻って寝る訳にはいかないよな」

「だよねぇ。ちゃんと回復できるかなぁ」


 リーナの頃は何度も外で寝た記憶があるし、あまり苦にもならなかった。

 けれどそれは向こうが温暖な気候であるということが前提の話だ。残念ながら今度の戦場は、一瞬の眠りが命取りになるような真冬だ。


「外で寝たら凍死しそう」

「凍死するほど寝てるひまなんてあるのか? だから休める時は休まないとって話なんだよ。さっきの会議、みさぎほとんど寝てただろ」

「ずっとじゃないもん。大体は頭に入ってるよ……多分」


 みさぎはくちびるとがらせて、言われた通りに人参を輪切りにしていった。咲の手際が良すぎるせいで、スピードが大分遅く感じる。

 確かに会議中は夢心地だったが、記憶のとんだ後半は前半の確認だったと湊がこっそり教えてくれた。


 咲はまな板の玉ねぎとキャベツをバットに移して、今度はカボチャを切り始める。

 タンッ、タンッ、とまな板を打ちつける音が響いた。


「だったら聞くけどさ、今度のハロンの急所が背中だってのは間違いないんだな?」

「えっ?」


 そんな話していただろうか。『あれ?』と思いつつ、みさぎはリーナの記憶を引きずり出した。

 この間出た黒い球体のハロンは、身体全体が核であり急所だったけれど、今度のハロンは四肢ししのある怪獣型だ。


「多分背中だろうって話でしょ? ターメイヤで戦った時、とどめを刺せたわけじゃないから百パーセントそうだとは言えないけど、そこへの攻撃が一番ハロンの動きを鈍らせたからそうじゃないかってこと」


 ハロンには羽がある。身体全体の表皮は固く、剣も入りにくい。

 このハロン戦で苦戦するのは、きっと攻撃をかわす事より、相手にどれだけダメージを与えられるかという事だ。


「羽さえ取れれば攻撃しやすそうなんだけど……」

「羽があるってことは、飛ぶって事だろ? それは厄介だよな」

「うん……」

「けど、ルーシャは元々湊一人でも戦えるって見込んでたんだ。結局は剣でぶった切るのが一番なんじゃないか?」

「そうだね」


 止めを刺すのは自分でありたいと思いつつ、みさぎは「ちょっと休憩」と言ってハロンの話を遮った。


「あんまり考えるとパンクしそう」

「わかった。なら次はピーマンな」


 咲は切り終えた人参を移動させ、みさぎの前にピーマンを転がした。


「咲ちゃんって本当に料理慣れてるね」

「食べるのも好きだからな」


 ピーマン以外の準備が終わって、咲は横で洗い物を始めた。


「ねぇ咲ちゃん。咲ちゃんの初恋って、うちのお兄ちゃん?」

「はぁ? 突然なんだよ。戦いの前だってのに緊張感がないな」

「ちょっと気になったの」


 湊の家に行った時、弟の斗真とうまに湊の初恋は自分なんじゃないかと言われた。そのせいで、最近【初恋】という言葉がいつも頭の片隅にあって、ふと咲の事が気になった。


「みさぎはどうなんだよ。そういうのは自分が先に言うもんだろ?」

「私? 私は……小学校の時の先生かな」


 昔から落ち着いている人が好きだ。多分それは、無意識に兄たちと正反対の人を選んでいるのだと思う。

 「ありがちだな」と咲は笑った。


「で、咲ちゃんは? お兄ちゃんじゃないならどんな人を好きになったの?」

「僕はこの身体に生まれて十五年も生きてるんだぞ? 蓮が初めてのわけないだろ。けど……リーナ以外でいたかなぁ」

「えぇ……ずっと私なの?」


 兄妹で「好き」なんて言わないで欲しいし、女に転生してまでそれはどうなんだと反抗したい気分だ。


「その嫌そうな顔は何だよ。僕は小学一年の時には自分の事を思い出していたし、ずっとリーナに会いたいって思ってたんだ──そうだ、いたぞ。初恋っぽい奴」

「ぽいやつ? なにそれ。男の子? 女の子?」

「男だ」

「えぇ? 咲ちゃんがお兄ちゃん以外の男の人を? お兄ちゃんと付き合い出した頃だって、自分は男だって言い張ってたじゃない」

「それはそうなんだけどさ。昔、リーナを捜しにこっちから広井町に行ったことがあって、駅で偶然話した男の人が優しかったんだよな」

「男の人って、おじさんってこと?」

「失礼な。そんなに年上じゃなかったぞ」


 何だか返事が曖昧あいまいだ。咲はずっと記憶をひねり出すように首を左右に振っている。

 無理矢理こじつけた様なその相手への想いを、本当に初恋と呼んでいいのだろうか。


「まぁ昔の事だしそれきりだから、大好きとか憧れてるって訳でもないんだよな」

「ちょっと微妙だけど、記憶に残ってるってことはやっぱりそう言う事なのかな。貴重な話だね」

「あの後も何度かそっちに行ったけど、結局お前を見つけられなくて、僕はもうリーナと二度と会えない運命なんじゃないかって落ち込んでたんだ」

大袈裟おおげさだよ」

「けど、その事はれんには言うなよ?」

「分かった。大事に胸にしまっとく。それより咲ちゃんの着てる服って、お兄ちゃんのだよね?」


 咲が会議の時から羽織っている、少し大きめのグレーのパーカーに既視感きしかんを覚えてずっと気になっていたが、蓮の話を聞いて思い出した。前に彼が良く着ていたもので、そでに少しほつれがある。


「あぁ、うん。この間借りたんだ。ちょうどいいと思って着てみたんだけど、変かな?」


 気まずい顔をする咲に、みさぎは「そんなことないよ」と首を振った。


「お兄ちゃんが着古きふるしたやつだし、作業用にはぴったりじゃない?」

「いや、そういう訳じゃ……」


 言葉をにごした咲の真意に、みさぎは気付くことができなかった。







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