140 舟を漕ぐ

 朝降っていた雪も昼前にはやんで、放課後になる頃には地面がすっかり土の色に戻っていた。

 今日はみさぎたち『運動する部』以外は一斉下校になっていて、生徒たちはあっという間にいなくなった。

 冬合宿中の寝泊りは、基本的に校舎を使う予定になっている。ハロンの気配が少ないせいか、まだまだ戦闘気分にはならず、『合宿』の空気感が強かった。


 今日はいつもの体力作りではなく、理科室に閉じこもって作戦会議をしている。

 教壇で淡々たんたんと話す中條の低音ボイスが眠りへといざなう魔法の文言もんごんに聞こえる。温い室温にまぶたがどんどん重量を増して、みさぎは大振りに舟をいだ。

 午前中の授業は平気だったのに、お昼ご飯を食べた辺りから目を開けているのがやっとの状態だ。

 ハッと目覚めて気合を入れても、またすぐに右へ左へと繰り返してしまう。


「少し空気入れ替えようぜ」


 智がニコニコと笑いながら窓を開けてくれたが、入り込んでくる外の空気は予想以上に冷たかった。

 まだ全然眠気は抜けないけれど、これ以上開けておくと風邪を引きそうな気がして、五分くらいで席を立つ。山を染める雪に白い息を吐き出して、みさぎは窓を閉めて席へ戻った。


 再び教室が温い温度になって、みさぎは大きく欠伸あくびする。


「寝てないのか?」


 教室の後ろでお茶をすすっていたハリオスこと耕造こうぞうが、「緊張してるな」と声を掛ける。

 みさぎが「あんまり」と答えると、すかさずあやが「えぇ?」と眉をひそめた。


「昨日眠ってないの? 緊張するのは仕方ないけど、ここで寝てちゃ意味ないじゃない」

「だって」


 ムッスリと腹を立てる絢に反抗する言葉も出ない。みなとが横で「寝ててもいいよ」と言ってくれるが、みさぎは強がって「頑張る」と首を振った。


 そういえば昔ルーシャに、『食べれる時は食べて、眠れる時はどこでも寝れるようにしときなさい』と良く言われていた。兵学校で使われる格言のようなもので、ヒルスも良く言っていた。

 まさに今が『眠れる時』に当てはまるような気がしたけれど、冷たい中條の視線を感じて「すみません」と目をこじ開ける。


「貴女は昔から感覚やら勢いで戦おうとしすぎなのよ。今の話もいらないことだと思ってるでしょ。いい? 今回は全員でやるって決めたんだから、ちゃんと聞いていなさい」

「はい」


 ルーシャの言葉が耳に痛い。

 こうやって話し合う事が大切なのは分かっているつもりだけれど、色々話した所で実戦はまた別だと思っているのは本当だ。

 みさぎはぐにゃりと自分のほおをつねりながら、再び説明を始めた中條に顔を向けた。


 黒板に貼られた大きな地図は、この辺り一帯を彼が手書きしたものだ。

 町一帯を取り囲むようにまんべんなく散らされた十個の星印が、空間隔離くうかんかくりの為の魔法陣が沈められた位置だ。その星々を繋ぐ赤色の線が、戦場から外への被害を防ぐ壁になる。

 学校は線の中だが、駅や住宅地はその外側にあった。


「ここで全てを終わらせるのよ? この中だけならいくらでも壊して良いし、一般人を守ることができるから。ただ敵がやる気になれば、次元隔離は破られるかもしれない。それだけは絶対に阻止してね」


 絢は白衣から超ミニのタイトスカートを覗かせて、中條から奪った差し棒で赤枠をなぞった。


「同じ場所で戦ってもどうせ抜けられるでしょうから、最初はこことここに別れて」


 絢が示すのは、地図に散らばった四つの黒い丸の地点だ。


「わかった。それで拠点は学校とあの広場ってことだな? 僕たちがバラバラになって戦うなら、大人たちはどこに居るんだ?」


 絢たち大人組はあくまで補助的な仕事をする。それは彼等がこの世界の人間ではなく、よそから来た転生者だからだ。転生者がよその国に影響を与えるのはタブーらしい。


「私とメラーレはここに居て、ギャロップやハリオス様は必要に応じて動いてもらうつもりよ。あと、ここにも補給物資を埋めてあるから使って。分かるようにはしてあるわ」

「神社のところだな」

「そう、そこが西の端よ。おやしろはギリギリで隔離の範囲外にしてあるわ」


 咲の言う神社とは、九月の最終日に秋祭りが行われた場所だ。当日ハロンが出たせいで、みさぎはまだその辺りに行ったことが無い。

 学校とは反対にある神社の位置を、みさぎは頭にインプットする。


 それからまた中條が戦略的な話を始めて、気付くとみさぎは湊の肩で目を覚ました。

 「あっ」とらした困惑に振り向いた咲が、あきれ顔を飛ばしてくる。


「寝てただろ」

「ちょっとだけだよ」

「いいかみさぎ、兵士がどこでも寝れるようにしなきゃならないってのは、こういう時に寝ていいって事じゃないんだぞ?」

「分かってます」


 自分は兵士ではないと反抗したかったが、大人たちの視線を感じて言葉を飲み込んだ。

 申し訳ないと思ったけれど、十五分程度のうたた寝で頭はスッキリしている。


 そのまま作戦会議はお開きとなって、メラーレが全員に小さな布の袋を配った。

 みさぎは彼女が横に来ただけで、その中身が何なのか分かった。フワリと漂った異臭に顔をしかめると、湊が「あぁ」と納得して中を覗く。


 確かめるまでもなく、これは補給用の丸薬だ。袋の外から触ると、ゴロゴロと丸い感触が三つある。空腹をしのぐことのできる、ターメイヤの兵士にとってはポピュラーな薬だが、濃いシナモンのような味がリーナは苦手だった。

 ただ、この匂いを嗅いだ途端、いよいよ戦いが始まるのだと実感したのも事実だ。


「もう少しあるけど、あとは私が預かっておくわ。欲しい時は宰相さいしょうに届けてもらうし、その他にも色々連絡が取れるように戦闘中もスマホは持っていてね」


 そんな事態にはならなければいいと思いながら、みさぎは袋をポケットにしまう。

 手に残る臭いは、ハロンの臭気以上なんじゃないかと思った。






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