70 口実

   ☆

 学校に戻ると、校門の所で校長の田中が二人を迎えた。辺りは真っ暗だが、いつもの登校風景と変わりなく感じてしまう。

 去年の夏に広井ひろい町の図書館で出会い、この学校をみさぎに勧めてくれた彼は、ターメイヤの賢者ハリオスだという。


「全然気付かなかったよ、おじいちゃん」


 腕を広げた校長に駆け寄って、みさぎはその胸に飛び込んだ。みなととは違って、少し弾力のある感触を懐かしく感じる。

 親代わりとして何年も一緒に暮らした彼との、十七年ぶりの再会だった。



   ☆

 保健室のベッドで横になる智は、ずっと目を閉じたままだ。

 咲は彼の口元にそっと耳を寄せて、小さく聞こえる寝息に安堵あんどする。


「生きてて、良かったな」


 一度でも彼を殺そうとした自分を責めて、咲は唇を噛んだ。

 智に謝って許してもらえるかは分からないけれど、きちんと話す機会は必要だと思う。自分がヒルスだとバレていたのに、ずっと運命など知らないフリをした。


 結果、ハロンを倒して智を救えたことは嬉しいけれど、まだ目に見える災いが起きていないせいで、迷う事なんてなかったじゃないかという後悔が募る。

 空しいような寂しい気持ちさえ、ずっと心につかえたままだ。


 この後に別のハロン戦を控えて、自分には何ができるのだろうと不安が沸く。

 この世界に来て自分には何もできないだろう事は、ヒルスの頃から自覚していた。とってつけたように、みさぎの力と記憶を戻す役目を告げられたけれど、もうそれもやり遂げてしまった。


 ガラリと扉が開いて、養護教諭の一華いちかことメラーレが入って来る。


「彼のおうちに電話してきました。お祭りで怪我しちゃったから今日はここで預かりますって。驚いてたけど何とか納得していただけましたよ」

「そりゃ良かった。まさか死にかけたとは言えないしな」


 湊の怪我も大したこと無かったと言って、一華は手にしていた消毒液の瓶を棚に戻した。


「みさぎたちはハリオス様の所?」

「はい。校長室で楽しそうに話してますよ」


 一華は智を挟んだ反対側の椅子に腰を下ろした。


「メラーレ、これで良かったんだよね?」

「私は、お兄さんに感謝してます」

「好きだったんでしょ? コイツのこと」


 一華は泣き出しそうに顔をゆがめて、そっとあごを引いた。


「先生がメラーレだって知ったら、智は驚くだろうね」

「どうなのかしら。こっちの世界じゃ向こうより成長の進みが一年遅いみたいなんです。それでも大分歳が離れちゃったから、相手になんてされないかも」

「そうだったんだ。メラーレはルーシャたちみたいに魔法でいじってないの? 顔はちょっと違う気がするけど……」

「年齢的にはこのままです。顔は、髪の色と目を少し。視力はそのままだから眼鏡で気付かれるかもって思ってたけど、全然そんなことありませんでした」


 確かに一華もメラーレも眼鏡をかけているけれど、目の印象が違っているから別人に見えても仕方ないと思う。第一、来るはずもないと思っている彼女の事など想像すらできないだろう。


「でもそのくらいなら問題ないんじゃいかな。今でも十分に可愛いと思うよ。ほら、先生って男子にも人気あるし。アイツはメラーレに会えたら喜ぶと思うよ。きっと面白い顔見れるんじゃないかな」

「お兄さん褒めてくれるんですか? 彼もそう思ってくれるなら良いんですけどね」


 一華は智を振り返って、クスリと音を立てて笑った。


「じゃあ僕、ちょっと外の空気吸って来るから」


 咲はそう言って保健室を出ると、暗い昇降口から外へ出た。

 ぽっかりと月が浮かぶ夜は、さっきまでハロンが居たとは思えない程に穏やかだった。祭もとうに終わっていて、もうすっかりいつもの田舎風景に戻っている。


 れんの声が聞きたいと思ってスマホを取り出すと、校門の前に一台の車が停まった。

 中條かと思って目を凝らすが、車影が違う。

 ここは、九時を過ぎて通る車なんて滅多にないような田舎だ。

 他に可能性があるのはあやだと思ったが、彼女が免許を持っているなんて聞いたことが無い。


 誰だ……と咲が首を傾げると、車のライトが消えてエンジン音がやんだ。

 バタリと開いたドアに緊張を走らせると、運転席から予想外の人物が下りてくる。


「えっ……」


 暗がりに浮かんだシルエットは、咲の会いたい人に良く似ていた。

 智の腹で大泣きして涙なんてれてしまった筈なのに、まぶたがヒリと痛んで、また涙がこぼれてしまう。


「蓮……?」


 暗がりから現れた彼が、「咲」と手を振ってくる。

 嬉しい気持ちと驚愕きょうがくが混ざり合って、咲はその場に立ちすくんでしまった。


「何で……」


 急ぎ足で近付いた蓮が泣き顔の咲にホッと表情を緩めて、涙を肩で受け止める。


「何があった?」


 外の空気に冷えた肌に、彼の体温が温かい。

 今日の事は何も話していないのにこんなタイミングで現れるなんて、彼はみさぎから何かを聞いたのだろうか。

 心配する蓮に申し訳ないと思うのに、彼の登場に戸惑って返事ができない。

 蓮はうつむいたままの咲をでて、「いいよ」と抱きしめる手に力を込めた。


「咲もみさぎも、みんな無事ならそれでいいから」


 咲は「うん」とうなずいて彼の背中をつかむ。


「車で来るなんて、反則だ」

「俺は大人だって言っただろ? 車はオヤジのだけどね。この間咲が来た時は使えなかったけど、今日はいてたから」

「そうだったんだ。けど何でここに? みさぎが何か言ったのか?」

「そう言う事。不良娘が突然外泊したいだなんて言い出したら、何かあったんだと思うだろ? 兄としては迎えに来なきゃってわけだよ。咲にメールしても全然既読にならないし」

「あ、ごめん」


 振動なんて気付かなかったし、スマホを気にする余裕さえなかった。


「いいよ、無事でいてくれたから。妹のお迎えってのは口実で、本当は咲に会いに来たんだ。もう少しで十月だから、ちょっと早いのは許して」


 十月になったら会おうと約束していた。

 第一のハロンとの戦いが終わったらと我慢していたが、まさかこんな直後に会えるとは思っていなかった。


 蓮と居る時の自分は、いつもの半分も強くなれない。

 「いいのかな」と呟くと、「いいんじゃない?」と返ってくる。


「蓮……会いたかった」

「俺もだよ」


 ここでこんなことをしていたら誰かが校舎から出てくるかもしれない。

 まだこの関係は誰にも話したくないというスリルを味わいながら、咲は安堵あんどの涙を蓮にうずめた。

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