69 ウィザードの覚悟

 刃を失った最強の剣のつかを両手で握りしめたまま、悄然しょうぜんとするみなと

 折れた刃を体内に残したまま黒い闇を吐き続けるハロンは、徐々に小さくなって潰れたビーチボールのように皺だらけの殻を地面に残した。

 

 支えを無くして地面に転がった刃を、湊は項垂うなだれた背を丸めてそっと取り上げる。

 刃と柄を両手に持って割れ目を合わせるが、物理的に折れた刃はカチリと音を鳴らすだけで元の姿には戻ってくれなかった。


「ど、どうしよう」


 対ハロン戦を想定した最強の武器を失った湊。

 普段はクールな彼の動揺どうように、みさぎは掛ける言葉が見つからない。

 月に照らされた藍色あいいろの闇は、お互いの表情を確認できる程に明るい。見慣れない裸眼の彼は、血の乾いた額に腕を当てて表情をゆがめた。


「剣の事はまた考えようよ。それよりハロンを倒したんだよ? 凄いよ湊くん」

「これでも凄いって言えるのかな。それに智を救ったことで災いが起きるかもしれないんだよね?」


 折れた剣を握りしめる湊の視線を追って、みさぎは闇を仰いだ。

 空中にぽっかりと開いた次元の穴は、干からびたしかばねを残して闇を全て吸い上げると、潰れるように入口をふさいで風景に溶けた。


「何も起きないけど、終わったんだよね?」

「その剣が折れたのは、運命に逆らった代償の一つだと思いますよ」


 中條が思案顔しあんがおで呟いた。


一概いちがいにそうだとは言い切れませんが、第二のハロンに向けて少しずつ影響が出てくるかもしれません」


 「くそぅ」と吐き出す湊の怒りに短い沈黙が起きて、背後に咲の声が響く。


「智っ! 智ぉ!」


 悲痛な声を張り上げる彼女を振り返って、みさぎと湊は智を囲んだ。

 しゃがみ込んだ咲の側で仰向けに横たわった智は、目を閉じたまま動かない。


「智くん……」


 生きている気配はあるが、さっき動いていた手はがっくりと地面に落ちている。

 みさぎは地面に膝をついて、そっと彼の手に触れた。温かいけれど、反応はない。


「智! 何でだよ智! 生きてるなら目を覚ませよ!」


 咲は今にも零れ落ちそうな涙を目にためて、必死に呼び掛ける。

 ターメイヤに居た頃、ヒルスは兵学校で一緒だったアッシュととても仲が良かった。


「智、返事してくれ」


 湊の呼びかけにも反応はない。

 咲は「死ぬなよぉ」と智の両腕につかみかかった。


「目を空けろよ。僕が何のためにリーナの記憶も力も戻したと思ってるんだよ。お前に生きてて欲しいからだろ? お前が死んだら僕は彼女に何て言えばいいんだ。メラーレはお前の事心配してるんだぞ!」

「えっ、メラーレ?」


 懐かしい響きに、みさぎは思わず声を上げる。

 ターメイヤに居た頃、リーナと一番仲の良かった少女の名前だ。彼女がこの世界に来ているというのか。


「咲ちゃん、メラーレが居るの?」

「そうだよ。メラーレは……うわぁああん」


 それ以上の言葉が、込み上げた涙に掻き消えてしまう。

 みさぎは「うん」と確信して湊を振り向いた。


「湊くんの剣、どうにかなるかもしれないよ」

「えっ? 何で?」

「だって、メラーレは――」


 その答えを言い掛けたところで、智の手がぴくりと動いた。


「智くん!」


 慌ててみさぎは彼の手を握り返す。

 智のまぶたが震えて、細く開いた彼の目が覗き込んだみさぎを捕らえた。


「みさぎちゃん……か」


 驚いた顔をした智に、みさぎは「そうだよ」とうなずいた。

 「智ぉ」と腹に泣き崩れる咲。


「オレ生きてるのか……?」

「うん、ちゃんと生きてるよ」


 智はホッと目を細める。


「湊がアレを倒したの?」

「そうだよ。魔法が効かないって、智くんが教えてくれたから」

「そっか。みさぎちゃんはリーナのこと思い出したんだね」


 「うん」とみさぎが涙をこらえると、智は「良かった」と目を閉じた。


「ごめん、少し眠らせて」


 そう言って智は再び意識を失った。



   ☆

 坂の入口に停めてあった中條の車で咲と智は先に学校へ向かった。

 智に目立った外傷はなく、今日一晩は一華いちかが診るという事だ。


「まさか一華先生がメラーレだったなんて」


 定員オーバーの為、みさぎと湊はのんびりと帰路を歩く。湊の怪我の具合が心配で、それも一華に診てもらおうという事だ。


 もう既に終電の時間は過ぎている。中條の提案でみさぎは湊と田中商店に泊まろうという話になったけれど、家に電話すると蓮が出て大目玉を食らってしまった。

 通話を切った瞬間に疲れがどっと降って来て、みさぎは溜息を零しつつメラーレとの懐かしい思い出を振り返る。


「ちゃんと聞けなかったけど、あの二人知り合いだったんだね」


 気を失った智に、咲が「メラーレが」と叫んでいた。リーナはターメイヤでどっちとも仲が良かったけれど、二人が一緒に居る所を見たこともなければ、話題にさえ上ったことがない気がする。


「あっ、もしかして――」


 先日、智が言っていたことを思い出して、みさぎはハッと顔を上げた。

 ――『大昔にもすっごい失恋して、ずっと引きずってるんだ』


「どうしたの?」


 けれどそれを湊には言ってはいけないような気がして、みさぎは「そうだ」と話題を変える。


「湊くんの剣、直るかもしれないよ」

「あぁ、さっき言ってたよね。どういう事?」

「メラーレはね、ダルニーお爺ちゃんの孫なの。跡継ぎじゃないけど、ちゃんと習ってたはずだから」


 湊と智の持つ最強の剣は、鍛冶師のダルニーが打ったものだ。

 「お爺ちゃんのようになりたい」と言って修行していたメラーレがこの世界にいるというのなら、きっとその役目もあるのだと思う。


「本当に? だったら――」

「うん。きっと直ると思うよ」


 「やった」と喜んだ湊の笑顔に、みさぎはホッとする。

 ハロンを倒したのは彼なのに、ずっと沈み込んでいたからだ。


 耳の奥で何かがパンと弾けて、みさぎは学校の方角を見やった。

 見た目には何も変わらない夜空に、みさぎはその変化を感じ取る。


「空間隔離が解けたみたい」

「そうなの? 俺にはさっぱり分からないけど」


 ハロン戦の間「祭客を守る」と言ったあやの魔法だ。剣士の湊が気付けないのは仕方ない。

 目には見えない強固なまくの生成は、どうやら杞憂きゆうに終わったようだ。


「ようやく一匹目を倒したんだね。大戦に出たハロンがアッシュを襲うって聞いてからずっと悩んでたのに、記憶がなかったせいであっという間だったな。リーナの頃を忘れてたなんて嘘みたい」


 リーナの自分も、みさぎの自分もすんなりと受け入れることができたし、湊や智のこともそうだ。ただ一つ咲には困惑してしまったが、それでも彼女がヒルスだと納得できる。


「みさぎがリーナで良かったよ」

「湊くん……」


 予告なしで突然下の名前を呼ばれるようになって、まだ耳が慣れてくれない。きっと咲の入れ知恵だろうとは思うけれど、嬉しいことに変わりはなかった。

 けれど、今朝までは普通に繋ぐことができた手に、ラルだと思うと急に躊躇ちゅうちょしてしまう。

 伸ばしかけた手を一度引くと、湊がそれを捕まえて笑顔をくれた。


「ラルとかリーナとか、あんまり気にしなくていいよ……って、仕えてる立場の俺が言うのも何だけどさ。俺はみさぎが好きだよ。リーナも好きだったんだけど……」

「なんか変な感じだね。リーナもね、ずっとラルが好きだったんだよ。みさぎはそんなの全然覚えてなかったけど、この世界でも私は湊くんを好きになれて良かったよ」


 繋いだ手を引かれて、みさぎは湊の腕に抱きしめられる。

 誰も居ない夜道に響いていた足音が途切れた。


「湊くん……」

「みさぎが前、勝手にいなくならないでって俺に言ったよね。だから俺にもちゃんと教えて。さっき心配したから。リーナは昔から一人で突っ走るところあるだろ?」


 そんな性格はみさぎも自覚している。

 自分がウィザードの称号をてから、危険をこうむるのは自分だけでいいという気持ちが、常に心のどこかでくすぶっている。

 だから向こうで二人が何も告げずに異世界に行ったと聞いて愕然がくぜんとした。


 あまりにも呆気あっけなかったハロンとの戦い。

 そんな考えは湊の実力を否定することになってしまうかもしれないし、ターメイヤでの戦いで命を落とした兵士に申し訳ないと思うけれど。


 こんな敵相手に何もできなかった自分が情けなくてたまらなかった。


「ごめんね、気を付けるよ」


 この返事の半分は嘘になってしまうかもしれないと思いながら、みさぎは彼の胸にそっとほおを当てた。



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