57.5【番外編】 プロポーズ失敗

 物心ついた時にはもう、戦争が始まりそうな空気を感じていた。

 これはのちに二年続く世界大戦まであと半年という、メラーレがまだ八歳の頃の話だ。


 ターメイヤの城下はまだ平和だったが、刀鍛冶かたなかじ生業なりわいとする祖父が目に見えて忙しくなっていた。


「ねぇ、おじいちゃん。この世界は怖いことになってしまうの?」


 剣を叩く祖父・ダルニーの横で母の焼いたビスケットをかじりながら、メラーレはぼんやりと尋ねた。


 おじいちゃんとはいえ、ダルニーはまだ若い。

 いつも汗まみれになって剣を叩いているせいで腕の筋肉は隆々りゅうりゅうとしているし、眼鏡も老眼用ではなく若い頃から掛けているものだ。

 町でたまに見かける賢者ワイズマンのハリオスと同じ歳らしいが、ダルニーの方がずっと年下に見えた。


「今この国に城付きのパラディンは居るが、ウィザードは何年も不在じゃ。今開戦にでもなったら厳しいかもしれん。国王は戦力不足を懸念して武器や魔法使いの確保に尽力じんりょくを尽くしているが、どうじゃろうな」

「えぇ」

「じゃが心配するな。戦争が起きて城下ここが攻め入られるようなことになれば、潰れる前に敗北するじゃろ。わしが元気なうちは、食う事にも困らんよ」

「うぅん……良く分からないけど、ご飯が食べれるならいいのかしら」


 メラーレはくるくると巻かれた髪を空いた手でもてあそびながら、手を止めて大きく伸びをするダルニーを見上げた。


「アッシュも戦争に行くのかしら」


 アッシュは近所に住む一つ年上の男の子だ。彼はメラーレが初めて会った魔法使いだった。

 魔法を使える人間はまれで、よく二人で丘に遊びに行ってはその炎を見せてもらった。


「ヤマさんとこの子倅こせがれか。いやぁ、あれはまだ兵学校にも入っていない歳だろう? いくら魔法が使えるからと言って、即戦力にはならんよ」


 兵学校は魔法使いや兵士を育てる全寮制の大きな施設で、城に併設へいせつされている。

 女子禁制だと聞いて、メラーレはいつも側を通るたびに中から聞こえる剣や魔法の音に心をときめかせていた。


「そうなの……アッシュは凄いのよ? 彼が手を広げるとね、パアッと花火みたいに赤い炎が広がるの」


 小さな眼鏡の奥の瞳を輝かせるメラーレ。

 ダルニーは額の汗を腕でぬぐって立ち上がった。

 彼女の横にそっと立ち、なだめるように肩を叩く。


「戦争に行くという事は、死ぬかもしれないという事だ。行かなくてもいいもんを、わざわざ送り出すことはないんじゃよ」

「死んでなんて欲しくないわ。アッシュが死ぬだなんて……」

「お前はあの小さな魔法使いが好きなんじゃな」


 ニヤリと笑ったダルニーに、メラーレは「違うわ」と反発する。


「おじいちゃん、そういうのではないのよ。私はアッシュなんて好きじゃないわ。ただあの魔法が本当に凄くて、憧れているだけよ」


 彼はいつも町中の女の子に声を掛けている。だから自分なんてその中の一人でしかないと思っている。

 メラーレはほおを真っ赤にして「違うのよ」と繰り返した。


「いいんじゃよ。メラーレは可愛いのぉ。儂はいつかお前が好きな相手と一緒になれば、どこの馬の骨だって構わんと思っとる。儂の後もジーナスに継いでもらうしな」


 ジーナスはメラーレの弟だ。まだ六つで将来を決めては不憫ふびんだという人もいるが、メラーレは弟がうらやましかった。

 戦場に行かず、ずっとこの工房で戦っているダルニーをメラーレは尊敬していて、自分もいつか同じ仕事が出来たらいいなと思う。


「茶でもれようか。お前も飲んでいくか?」

「ありがとう、おじいちゃん。お砂糖もちゃんと入れてね」

「わかったよ」


 縦板の向こうが小さなキッチンになっていて、ダルニーは暖炉だんろに乗せていたやかんを手に行ってしまった。


 メラーレは丸太の椅子に座って足をぶらぶらさせながら、残りのビスケットを口に放り込む。

 口いっぱいに広がる幸せの余韻よいんに浸っていると、小窓から覗き込んできた顔と目が合った。


 道路に面した工房のドアが勢い良く開いて、金色の髪をした小さな少年が飛び込んで来る。

 メラーレは「きゃあ」と驚いて椅子を飛び降りた。

 話題のアッシュだ。さっきあんな話をダルニーとしたせいで、メラーレはゆるむ表情をムッと怒りでおさえつける。


「ここに居た。探したんだぞ?」


 ハァハァと肩を上下させる彼は、何故か一方的に怒っていた。


「何よ、びっくりしたじゃない」

「悪い、悪い。メラーレに話があって」

「私に?」

「あぁ。俺な、魔法が認められて兵学校の見習い実習生として城に通うことになったんだ」

「えぇ本当? それは凄いわ」


 パアッと笑顔を広げるメラーレ。子供にもそれが栄誉であることは十分に理解できた。

 戦争の準備ということなのだろうけど、メラーレはアッシュが凄い魔法使いだと思っている。だからダルニーが言うように戦死するなんて考えられなかった。


「だろ? それでさ……」


 へへっと胸を張ったアッシュはメラーレの顔にふと視線を止めて、右手を伸ばしてきた。口元についたビスケットのかすを指で払って、恥ずかしがるメラーレに笑い掛ける。


「メラーレ、大人になったら俺と結婚してくれ」

「ええっ?」


 突然の言葉に、メラーレは瞳をパチリと瞬かせる。

 いきなり何を言うんだと驚いたけれど、メラーレは素直に嬉しいと思った。


 けれど。


「も……」


 もちろんよと言い掛けたところで、部屋の奥でガタリと小さな音がした。

 ダルニーだ。アッシュは気付いていない。

 メラーレは急に我に返って彼を見上げた。


 自分は彼にとっての特別なのだろうか。

 彼はいつものように、他の女子にも同じことを言っているのかもしれない――そんな悪い予感ばかりが浮かんでしまう。

 それにダルニーがそこで聞き耳を立てていると思うと恥ずかしさが込み上げて、「はい」と答えることなんてできなかった。


「嫌よ、絶対に嫌!」


 ブルブルと首を震わせてけるように叫ぶと、メラーレは工房を走り去った。


 その日を境に、メラーレはアッシュと話が出来なくなってしまった。

 十年後、アッシュはメラーレに何も告げずに異世界へと旅立ってしまう。


 戦争もハロンの襲来からも生き延びた彼は、メラーレの知らない世界で命を落とすのだという。

 彼も親友のリーナもいなくなったターメイヤで、ふさぎ込んでいたメラーレに声を掛けたのは祖父のダルニーだった。


わしも向こうの世界に行くことになった。あの二人の為に打った武器を鍛える為じゃ。けど、儂は歳じゃから次元移動に身体が耐えられないかもしれん。だからもしもの為にお前を連れて行こうと思う。どうじゃ? あの子倅の最後を受け入れられるか?」

「もちろんよ、おじいちゃん」


 迷いはなかった。彼にまた会えたら、それだけでいいと思った。



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