57.5【番外編】 プロポーズ失敗
物心ついた時にはもう、戦争が始まりそうな空気を感じていた。
これは
ターメイヤの城下はまだ平和だったが、
「ねぇ、おじいちゃん。この世界は怖いことになってしまうの?」
剣を叩く祖父・ダルニーの横で母の焼いたビスケットをかじりながら、メラーレはぼんやりと尋ねた。
おじいちゃんとはいえ、ダルニーはまだ若い。
いつも汗まみれになって剣を叩いているせいで腕の筋肉は
町でたまに見かける
「今この国に城付きのパラディンは居るが、ウィザードは何年も不在じゃ。今開戦にでもなったら厳しいかもしれん。国王は戦力不足を懸念して武器や魔法使いの確保に
「えぇ」
「じゃが心配するな。戦争が起きて
「うぅん……良く分からないけど、ご飯が食べれるならいいのかしら」
メラーレはくるくると巻かれた髪を空いた手で
「アッシュも戦争に行くのかしら」
アッシュは近所に住む一つ年上の男の子だ。彼はメラーレが初めて会った魔法使いだった。
魔法を使える人間は
「ヤマさんとこの
兵学校は魔法使いや兵士を育てる全寮制の大きな施設で、城に
女子禁制だと聞いて、メラーレはいつも側を通るたびに中から聞こえる剣や魔法の音に心をときめかせていた。
「そうなの……アッシュは凄いのよ? 彼が手を広げるとね、パアッと花火みたいに赤い炎が広がるの」
小さな眼鏡の奥の瞳を輝かせるメラーレ。
ダルニーは額の汗を腕で
彼女の横にそっと立ち、
「戦争に行くという事は、死ぬかもしれないという事だ。行かなくてもいいもんを、わざわざ送り出すことはないんじゃよ」
「死んでなんて欲しくないわ。アッシュが死ぬだなんて……」
「お前はあの小さな魔法使いが好きなんじゃな」
ニヤリと笑ったダルニーに、メラーレは「違うわ」と反発する。
「おじいちゃん、そういうのではないのよ。私はアッシュなんて好きじゃないわ。ただあの魔法が本当に凄くて、憧れているだけよ」
彼はいつも町中の女の子に声を掛けている。だから自分なんてその中の一人でしかないと思っている。
メラーレは
「いいんじゃよ。メラーレは可愛いのぉ。儂はいつかお前が好きな相手と一緒になれば、どこの馬の骨だって構わんと思っとる。儂の後もジーナスに継いでもらうしな」
ジーナスはメラーレの弟だ。まだ六つで将来を決めては
戦場に行かず、ずっとこの工房で戦っているダルニーをメラーレは尊敬していて、自分もいつか同じ仕事が出来たらいいなと思う。
「茶でも
「ありがとう、おじいちゃん。お砂糖もちゃんと入れてね」
「わかったよ」
縦板の向こうが小さなキッチンになっていて、ダルニーは
メラーレは丸太の椅子に座って足をぶらぶらさせながら、残りのビスケットを口に放り込む。
口いっぱいに広がる幸せの
道路に面した工房のドアが勢い良く開いて、金色の髪をした小さな少年が飛び込んで来る。
メラーレは「きゃあ」と驚いて椅子を飛び降りた。
話題のアッシュだ。さっきあんな話をダルニーとしたせいで、メラーレは
「ここに居た。探したんだぞ?」
ハァハァと肩を上下させる彼は、何故か一方的に怒っていた。
「何よ、びっくりしたじゃない」
「悪い、悪い。メラーレに話があって」
「私に?」
「あぁ。俺な、魔法が認められて兵学校の見習い実習生として城に通うことになったんだ」
「えぇ本当? それは凄いわ」
パアッと笑顔を広げるメラーレ。子供にもそれが栄誉であることは十分に理解できた。
戦争の準備ということなのだろうけど、メラーレはアッシュが凄い魔法使いだと思っている。だからダルニーが言うように戦死するなんて考えられなかった。
「だろ? それでさ……」
へへっと胸を張ったアッシュはメラーレの顔にふと視線を止めて、右手を伸ばしてきた。口元についたビスケットのかすを指で払って、恥ずかしがるメラーレに笑い掛ける。
「メラーレ、大人になったら俺と結婚してくれ」
「ええっ?」
突然の言葉に、メラーレは瞳をパチリと瞬かせる。
いきなり何を言うんだと驚いたけれど、メラーレは素直に嬉しいと思った。
けれど。
「も……」
もちろんよと言い掛けたところで、部屋の奥でガタリと小さな音がした。
ダルニーだ。アッシュは気付いていない。
メラーレは急に我に返って彼を見上げた。
自分は彼にとっての特別なのだろうか。
彼はいつものように、他の女子にも同じことを言っているのかもしれない――そんな悪い予感ばかりが浮かんでしまう。
それにダルニーがそこで聞き耳を立てていると思うと恥ずかしさが込み上げて、「はい」と答えることなんてできなかった。
「嫌よ、絶対に嫌!」
ブルブルと首を震わせて
その日を境に、メラーレはアッシュと話が出来なくなってしまった。
十年後、アッシュはメラーレに何も告げずに異世界へと旅立ってしまう。
戦争もハロンの襲来からも生き延びた彼は、メラーレの知らない世界で命を落とすのだという。
彼も親友のリーナもいなくなったターメイヤで、
「
「もちろんよ、おじいちゃん」
迷いはなかった。彼にまた会えたら、それだけでいいと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます