57 9月30日

 やっぱり智も救いたいし、他の誰も死なせたくない。

 抱えた矛盾むじゅんに答えが出せないまま一週間が過ぎて、さきは九月三十日を迎えた。


 最初に訪れる運命の日十月一日のハロンを明日に控え、みさぎの記憶と力を戻す決断をまだ下すことができない。慎重になりすぎて自暴自棄じぼうじきになりそうな気持を抑え込むので精一杯だった。


 この一週間何か事態が動くのを恐れてあやの所にも行けなかったし、見守ると言ったターメイヤ大人組からの音沙汰おとさたもない。

 はたから見ればいつも通りの日常が過ぎた。


 このまま何も起きず十月に入って、また普通通りに学校に行けたら――壁に掛けた冬の制服を見上げて、そんな思いに逃避してしまう。なのにカレンダーの数字は『もう明日だよ』と現実を突き付けてきた。


 感情に圧し潰されそうになって、学校へ行く前にれんに電話した。

 このところ毎日声を聞いている。蓮との電話は、不安を緩和させる精神安定剤みたいなものだ。

 けれど今の電話は流石に向こうも変だと思ったようで「そっち行こうか?」と言ってくれたが、「来るな」と自分を突き放した。


「次に会うのは十月になったらって約束しただろ?」


 蓮に甘えるのも、泣きつくのも、十月に入ったら何でも許してやる。だから明日を死ぬ気で乗り切れよと自分を鼓舞こぶした。


「智だけじゃない、全員を救う方法を……」


 そんなことを考えていたら、二時間目の体育で意識が飛んだ。

 昨日ろくに眠らないでいた自分の失態だ。



   ☆

 ――『行くなよリーナ、僕を置いていかないでくれよ!』


 ほんのわずか意識を失っている間に見た夢は、あの日の嫌な思い出だ。


 アイツらの元へ行くために崖を飛び降りようとするリーナを止めたかった。けれど、リーナの意思を自分のエゴで繋ぎ止められない事くらい分かっていたし、結局彼女は「またね」と笑顔で行ってしまった。


 リーナとこの世界でまた会うことはできたけれど、あの時彼女が兄に託した願いを叶えてやることができないまま、咲はまだ踏みとどまっている。


「お兄さん」


 若い女の声にハッと目を覚ます。まさかリーナかと思ったけれど、「おはようございます」と咲の視界に入り込んできたのは、養護教諭の一華いちかだった。

 体育の途中で倒れた咲は、どうやら保健室で一時間ほど寝てしまったらしい。


「メラーレ」

「さっきまで、みさぎちゃんが居たんですけど。次の授業があるから戻ってもらいました」


 保健室には他に誰も居ない。


「そうか。誰がここまで運んでくれたんだ?」

中條なかじょう先生ですよ」


 言われた途端に頭痛を覚えて、咲は額を押さえながらゆっくりと起き上がった。


「そうか。みさぎは保健委員だもんな」

「お兄さんの事、心配してましたよ」


 その様子は見ていなくても、思い描くのは容易たやすかった。悪いと思いつつも、ホッと緩んだ気持ちに笑顔がこぼれる。ここ数日ずっと緊張の糸が張り詰めていて、ちゃんと笑っていない気がした。


「メラーレはどう思う? みさぎの記憶と魔法の事」


 一華はターメイヤ時代メラーレという名前で城下町に住んでいた。リーナと仲が良かった彼女の意見が聞きたいと咲は思う。


 「そうですね」と言った一華が、物思いにふけった表情で言葉を続けた。


「こんなこと私が言っちゃいけないのかもしれないけど、戻してもいいのかなって思っちゃいます。リーナが苦しまないようにって魔法を消したのは知ってるけど、今のままでアッシュの運命を知ったら、自分に力のない事を苦しむだろうから」


 力なく微笑ほほえんだ顔に寂しさが見えて、咲は逆に彼女を覗き込んだ。


「それは僕も思ってる。戻して……いいと思う?」

「はい。個人的には、ですけど。運命の行く末を見守るって決めてここに来てる私が、そんなこと言っちゃいけないんですけど」

「気にしないで、僕は意見が聞きたいんだ。メラーレもアッシュを助けたい?」


 彼の名前を出した時、一華が一瞬目を見開いた。そのうつろな表情はあっという間に元に戻ってしまったけれど。


「リーナにも言ったことなかったけど、私とアッシュは幼馴染でなんです。色々あって、あんまり仲は良くないし、向こうは私の事なんか近所の友達の一人くらいにしか覚えていないんだろうけど」

「そうなの? いや、それって立派な理由じゃないか?」


 衝動的に咲は叫んだ。一華の想いが飛んできた気がして、咲はそれをしっかりと受け止める。


「私の事は気にしないで下さい。お兄さんが思うようにすればいいんですよ」

「駄目だよメラーレ、僕がそう思ったんだから。メラーレは自分の気持ちを、ちゃんとアイツに伝えなきゃ駄目だ。だから智も他の誰も死なせない!」


 あんなに悩んでいた事なのに、ポンと背中を押されるきっかけは突然にやって来た。


「お兄さん……」


 一華はそっと微笑んで、それ以上智のことは言わなかった。

 智もその他も全部助けるなんて全然根拠のない話だけれど、これで迷いは吹き飛んだ。


 「よし」と意気込んで立ち上がると、咲の視界がぐらりと揺れた。足がもつれて、咲はそのままベッドに尻もちをつく。


「こんな時に何だよ、この身体は」

「軽い貧血ですね。悩んでばかりじゃもちませんよ」


 一華は薬棚から小さな茶色い瓶を持ってきた。


「これを」


 くるくると開けたふたを取って一華が咲のてのひらに乗せたのは、親指の先ほどある黒くて大きな丸い薬だった。プンと鼻につく臭いに、咲はそれが何であるか確信する。

 ターメイヤの兵士が戦の時に食べる栄養剤のようなものだ。


「向こうから来るとき、ちょっと仕込んできたんです。十二月分まで取っておかなきゃだから、少しだけですよ」


 咲は瓶を受け取って、中の一粒を口に放り込んだ。久しぶりに食べたその味は、似ていると思ったシナモンとは程遠い味だった。


「懐かしいけど、こんなに不味まずかったっけ。これじゃあ、リーナが嫌いになるわけだ」


 放課後、四人で祭に行くと約束している。

 祭を楽しみにしているみさぎには申し訳ないと思うけれど、明日ハロンはあの広場で智を殺す。

 ルーシャが十七年前に語った運命に全力であらがう為に、その時全てを話そうと思った。





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