10 お兄ちゃん

 さきと同じ雨をあおいで、みさぎは憂鬱ゆううつな空に背を向けた。


 窓に沿ったベンチシートに、みなとと並んで座る。

 流石さすがに帰りは貸し切りと言う訳にもいかず、二人以外にも客がいたが、それでもトータルで五人しかいなかった。


「今日の海堂かいどう、ちょっと変だったな」

「湊くんも思ったよね? そう言えばこの間プールに行った後、咲ちゃん熱出したんだって。もう治った後に言われたから、お見舞いには行けなかったんだけど」

「へぇ。病気とは無縁そうなのに。そんな理由なら納得」


 朝からの咲の様子に湊も気付いていたようだ。理由が本当に熱のせいなのかどうかは分からないが、あの日はとても暑かった。


 ボディーガードという名目めいもくで咲が湊を誘い、三人で広井ひろい町のプールに行ったら、たまたま来ていたあやと養護教諭の佐野一華いちか遭遇そうぐうした。

 案の定、咲が他校の男子に声を掛けられたりとイベント的な事件はあったが、これと言って風邪をひくようなことをした覚えはない。

 いつも下ろしている髪をポニーテールにしたから……というわけではないだろう。


「もう雨は平気?」


 向かいの窓に広がる空をうかがって、みさぎは「うん」と答えた。

 暗い雲でおおわれた空はまだ晴れる気配を見せないが、今こうして電車の中にいるせいか自分が思う以上に落ち着いている。


「なら良かった。さっきは不安にさせてごめんな」

「十二月に現れるっていう怪獣の事? ううん、本当の事聞きたいって思ったのは私たちだし、ちゃんと話してくれただけなんだから、気にしないで」

荒助すさのさん……」

「それより、湊くんはそのハロンを倒したら元の世界に戻っちゃうの?」


 ふとそんなことが気になって尋ねると、湊は「いや」と首を振った。


「アッシュとラルは死んでからこっちに来てるから、もう向こうに戻る場所はないよ。ルーシャの力で、魂をこっちの身体に継がせたんだ。顔や体も今の親に貰ったものだよ」

「じゃあ、昔の記憶はあるけど、今の湊くんはずっとそのままってことなんだね」

「そういうこと」


 「へぇぇええ」とみさぎは目を丸くする。

 そういえば智が指摘していたが、湊は前の身体では眼鏡を掛けていなかったらしい。


「なら良かった。戦いが終わってお別れになんてことになったら寂しいって思ったから」

「そう思う?」


 少し照れた顔を隠すように、湊は口元に手を当てた。

 みさぎが「うん」と大きくうなずくと、彼は一瞬迷ったように視線を漂わせ「ありがとう」と目を細める。


「俺たちはリーナとの別れを選ばなかった。何も言わずに彼女を残して転生してきたんだ。言ったらきっとついてくるって言うと思ったし、そんな彼女をける自信がなかった。俺たちはリーナを戦場に戻したくなかったんだ。だからあの時はそれでいいと思ったけど、今になって本当に良かったのかなって悩む時があるよ」


 ハロンと戦ってボロボロになったリーナは、アッシュラルフォンの意思で魔法使いの力を失ったという。

 この世界に来て十五年以上も生きている湊が、いまだに彼女との別れを後悔して悩んでいるというなら、それはきっと……。


「ラルはリーナさんが好きだったんだね」

「え?」

「智くんもそう。二人の話聞いてると、ラルもアッシュもそうだったのかなって思うよ。そうだね……リーナさんは二人の事怒ってると思うよ。たとえ辛くても、さよならは言いたかったと思うもん」

「やっぱり、そうだよね」


 湊は苦笑して溜息ためいきをついた。


「けど、だからって二人をうらんだりはしないんじゃないかな。今もその世界に居るリーナさんは、二人の事がんばれって応援してると思う」


 そんなことを言ったら、彼は手段を探して元の世界へ帰って行ってしまいそうな気がした。

 どうせできないんだろうという気持ちと、できるのかもしれないという不安が入り混じって、みさぎは膝の上でスカートを握りしめる。

 ハロンを倒した後の彼を、この世界にとどめる理由なんて何もないけれど。


「私だって、湊くんや咲ちゃんや智くんが黙ったまま居なくなって、もう二度と会えないんだって分かったら怒るよ?」

「分かった。じゃあそういう時は、ちゃんとさよならって言ってから行くから」

「それはそれで、悲しいんだけど……」


 うつむくみさぎに、湊が緩い笑顔を広げる。

 同時に到着のメロディが流れて、電車は広井駅のホームに滑り込んだ。先二つの駅とは違って、ホームの数も人の数も多い。


「俺も下りるよ」

「でも湊くんは次の駅だし……ここからは一人でも帰れるよ」

「まだ雨降ってるから。定期もあるから気にしないで」


 降り続く雨を心配する湊は、開いた扉へとみさぎを促した。

 駅に人がたくさんいるお陰で、みさぎの気持ちは落ち着いている。けれど、彼の言葉に甘えてその横へ並んだ。


「ありがとう、湊くん」


 夕方にはまだ早い駅は雨の匂いに包まれていた。

 家まで彼に送ってもらうのは申し訳ないなと思いながら改札まで歩いて、みさぎはその奥に意外な人物を見つける。


「お兄ちゃん」


 彼をそう呼ぶと、隣で湊がギクリと肩を震わせて動揺どうようを広げた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る