第11話 夜語り④


 アリーシャは悲鳴を上げなかった。

 恩人への無残な仕打ちに動揺がないわけがない。

 それ以上の焦燥が、今のアリーシャに悲しませる余地を与えていないだけだ。

 アリーシャは祭壇の奥の一室を見据みすえる。

 かつては宝物庫として使われていたそこは、現在では孤児たちの生活空間となっていた。

 普段は本堂で遊んでいることも多い子供たちが皆いないのであれば、彼らがいる場所として考えられるのはそこしかない。


(いて欲しくない。どうかいないで欲しい)


 そんな願いを抱えながらも、アリーシャは半ば確信めいた思いで導かれるようにして足を運ぶ。

 唇の震えを噛み締めて止めて、ひどく喉が渇くのを自覚しつつ、アリーシャは閉じそうになる目を己の意思ではっきりと見開いて進んでいく。


「どうしてこんなことを……こんなことができる人だと知っていたら、私は」


 後ろでタリアが何かを言っているのは聞こえていたが、彼女に気を回せるだけの余裕がアリーシャにはなかった。

 早足から駆け足になり、そうして転がり込むように入った部屋の中は、アリーシャの願いを打ち砕くようにより濃厚なびた鉄のような臭いで充満していた。


「――リリィ、ヤック!」


 真っ先に目に入ったのは、いつもアリーシャを出迎えてくれた{少女リリィだが倒れ伏す姿だった。

 そんな彼女を庇うように折り重なっていて、最年長のヤックが倒れており、彼の背には服の上から大きく斬られたあとが見て取れた。

 アリーシャはすぐさま二人に駆け寄ると、彼らの生死を確かめることもせずに、自身に許された魔導の力を最大限に行使する。


「お願い、生きて!」


 二人を包み込む緑色の光。

 同時に身体の中から大きな何かが抜けていく感覚がアリーシャを襲ったが、それは彼らが生きようとしているあかしに思えた。

 死んだ者に対して、アリーシャの回復魔法は意味を成さないからだ。

 そのことにわずかに安堵しつつも、魔力は無限ではないことをしっかりと己の意識に刻み込む。

 癒す相手の傷が深ければ深いほど、アリーシャの消耗は激しくなる。

 それが致命傷であれば、一人でも多くの魔力を失ってしまう。

 そうして自分が倒れてしまえば助けられる者も助けられなくなることを、アリーシャは理解していた。

 最悪の中から選び取れる最善を求めて、アリーシャは周囲を見渡す。


「ルゥ、レン!」


 アリーシャの目は、すでに手をつなぐようにしてうつぶせに倒れている二人の少女をとらえていた。

 その奥には、巫女と残りの子供たちの姿もある。


(助けられる。わたくしがお母様から引き継いだのは、そのための力であるはずよ。たとえ今にも消え去りそうな命のともしびであったとしても、生きてさえいてくれるのなら!)


 精神を集中して身体を次の魔導の力の行使に備えさせ、対象との距離が遠ければ遠いほど負担が大きくなる特性からリリィとヤックを癒すためにかがんでいた身体を起こそうとする。

 だから、気づけなかったのだ。

 自身の背後にも、数多あまたの血を生み出す凶刃が迫っていたことに。


「これ以上の悲劇を望まぬのなら、振り向かずそのままの態勢で大人しく従って頂きましょうか。――アリーシャ姫」


 冷たい刃の感触にびくりと背が震え、アリーシャの口からはその恐怖をかき消すような強い怒りがにじんだ声が放たれる。

 

「……貴方がこのようなことを?」

「これはこれは、気に入って頂けたようですな。このようなやり口はそれがしの趣味ではないのですが、なかなかどうして狂気じみていて、聖女ともてはやされてきた貴女あなた様がどのように感じられたかは興味がありますな」

「お前はッ!」


 激情に任せて自身の忠告を無視して振り返ろうとしたアリーシャに、男は身体のしんから底冷えする声でささやくように言った。


「動けばこちらで抑えさせて頂いている貴女様のメイドも同じ目に遭いますよ?」


 途端とたん、アリーシャの動きは止まる。

 アリーシャの脳裏に馬車で物別ものわかれしたままになっている彼女の顔が浮かび、焦燥しょうそうで声を荒げる。


「タリアのこと? 彼女は無事なの!?」

「タリアというお名前でしたか。ただのメイドを随分と気に掛けているそうですが、それでもよろしければお好きになさればよろしいかと」

「……目的は何?」

「アリーシャ姫の御身を求めているさる高貴なお方がおります。その方のもとにお連れするのがそれがしの役目でありますれば」


 らぬやり取りだとアリーシャは思う。

 仮にも一国の姫である自分をさらおうとする男だ。

 実力で黙らせる方法などいくらでもあるはず。

 この脅しもただ楽しんでいるだけかもしれないが、タリアを抑えているのであれば単独の犯行ではないのだろう。

 彼女が状況を知って外で待たせている護衛の騎士を連れて戻ってくれることをひそかに期待していたアリーシャだったが、出し抜くのは難しいと覚悟を決めた。


「わたくしが貴方に従えば、これ以上の狼藉ろうぜきは働かないと約束なさい」

「我らが国母神キュベェレの御名に誓って」

「その言葉を信じましょう」


 アリーシャはそれだけを言って、指を組ませて目をつぶって短く祈りを捧げ、今だけはと女神キュベェレの死と再生の加護にすがった。


「わたくしの持てるすべての魔力を捧げます。――奇跡を」


 たとえすでに命のともしびが完全に消え去っていたとしても、世のことわりを曲げて再び火をともさんとする絶対の覚悟。

 そうしてアリーシャの身から放たれた膨大ぼうだいな癒しの光は、彼女のいる部屋どころか神殿一帯をも包み込む。


「これが聖女の癒しの力……聞いてはいたが、まさか本当にメイドや孤児なんかのために犠牲になろうとする王女がいるとは」


 薄れゆく意識の中でそんな驚愕きょうがくの声を聞きながら、アリーシャは魔力のすべてを失ってその場で昏倒こんとうした。



 ※ ※ ※



「あとは気が付いたらレントという名の奴隷商人の馬車の上でした。護衛として同乗していた傭兵が自分を脅した相手であることは声を聞いて察しがついていましたが、このままではらちが明かないと思い、危険を承知で彼の誘いに乗って逃げることにしました」

「その結果があれですか……。無茶をなさいますね」

「ユナが来なければ危なかったわね。反省しているわ」


 アリーシャがガロをあおって自身を襲うように仕向けていた一件も大概たいがいだが、それよりもすべての魔力を捧げて癒しの魔法を使ったというのがユナには気にかかった。

 敵の前で意識を手放すのはもちろんだが、魔力を失うというのは場合によっては命にかかわる事態だ。

 ユナもまだ自身の力を制御しきれなかった頃に経験したことはあるが、三日はベッドから起き上がれなかった。

 個人差はあってユナの腕の中ですっかりだれているシアはすぐに回復するからそこまで大変ではないという話であったが、昏倒したということは少なくとも身体に何らかの異常は出ていたのだろう。

 同じ状況で自分であればそのようなことができるだろうか。

 そこまで考えて、意味のないことだとユナは思考を打ち切る。

 そもそもそのような状況にしないことが大事であり、アリーシャにそうさせないことが傭兵である自分の役目だ。


「ユナ、離して」

「ああ」


 シアに真剣さが見える目で言われたユナは、彼女を拘束していた両腕を離して彼女の横にずれる。

 冒険者パーティ【旅月りょげつ】では難しいことを考えるのはもっぱらシアの役目で、ユナは彼女の考えとそこからもたされる情報を特に大事にしていた。

 それにユナは当事者であるアリーシャのそばにこそいたが詳しい事情は今初めて耳にしていて、一方のシアはアリーシャが離れた後もことが起こった王都にいた。

 アリーシャを連れ戻すという依頼を受けてこの宿に泊まっていたのだし、彼女なりに調べてもいるだろう。

 シアの方がより大局的に物事を見ることができるのは明らかだった。


「本当に無茶をした。アリーシャは自身がさらわれたことによる顛末てんまつを知っている?」

「残念ながら。よろしければお聞かせくださいますか?」


 覚悟はしていたのだろう。

 アリーシャの真っ直ぐな眼差しに、シアは首肯しゅこうして口を開く。


「まずアリーシャの護衛についていた騎士は、護衛の任を果たせなかったことで王の怒りに触れて全員斬首。首は城壁の上に今もさらされている」

「そんな……彼らは何も――」

「――悪くない? それはないと思う。アリーシャが神殿内に連れて行っていなかったとしても近くにはいたはず。それで気づかず逃げられたのだから護衛についていた騎士の罪は重い」

「ですが!」

「むしろワタシはわざと逃がしたんじゃないかと疑ってた。アリーシャの話を聞いてよりその疑いは強くなったよ。大体七割くらい」

「王国騎士が……わたくしを、王家を裏切ったということですか?」


 想像していなかったのだろう。

 アリーシャは困惑の表情を浮かべている。

 だがユナは、アリーシャが考えているよりも現実はなお優しくないように思えていた。


「単純に裏切っていたとは言えないかもしれませんが」

「ユナもそう思うよね。もしそうならたぶん命令されてる」


 だとすれば、ますますこの一件の雲行くもゆきはあやしくなる。

 それができる者が関わっていて、王国騎士が口封じで殺されたのであれば、すでにユナの手には余る相手が黒幕にいるのだろう。

 そしてその黒幕は、第一王女であるアリーシャをかどわかせられるくらいなのだから、王国でも中心に近い人物であるはずだ。


「いくら当時は大雨が降っていて視界が悪かったとはいえ、出口を固めていた彼らがぞくを見逃すのはおかしい」

「見つからずに抜けられる道があったのかもしれません」


 信じられないのか、あるいは信じたくないのか、アリーシャはうつむきながらも言葉を返す。


「それはワタシも疑った。でも探したけど見つからなかった。建物が外とつながっているのは正面の入り口だけ」

「そう……ですよね」


 そうでなければ城の外で護衛の騎士と離れることなど、許されるはずがない。

 アリーシャが神殿内で自由に動けたのは、神殿をになう老神官への信頼は勿論《もちろん》として、神殿の構造的な部分が大きかったのだ。

 事件の日のように内部で待ち構えられでもしない限りは、入り口を守るだけで警備は事足りていた。

 それを理由としてアリーシャも自分の意を通していたのだから、内心では護衛の騎士が健在なまま賊の誘拐が成功した不自然さも理解していた。

 だが、アリーシャはそのことに思いを巡らすよりも先に、シアの発言で気にかかったところがあった。


「待ってください! ? シアさんは神殿に行かれたのでしょうか」


 顔を上げ、アリーシャは身を乗り出すようにしてたずねる。


「行った。ギルドの依頼を受けるべきか、判断する材料が欲したかったから」

「それでは、子供たちや巫女の姿は見かけましたか? 無事……なのでしょうか?」


 言いよどむアリーシャ。

 そこには三つの意味があるのだろうとユナは思う。

 アリーシャの治癒魔法は彼らに届いたのか。

 ガロは手を出さないという約束を守ったのか。

 そして約束が守られたとして、彼らは護衛の騎士同様に王の怒りには触れずに済んだのか。

 シアは思考をめぐらすように上を見て、それからアリーシャに視線を戻して言った。


「あまり気にしてなかったけど、巫女の人とは話したかな。子供の姿も何人か見たから、たぶん無事だと思う」

「よかった……本当に」


 アリーシャは表情をわずかに緩める。

 全員の無事を保証するものではないが、朗報には違いない。


「タリアは、メイドはどうなりましたか?」

「メイドは聞いていないから分からない。殺されたって話も聞いていないけど」

 

 アリーシャはあシアの返しに落胆したようだったが、それでも最悪の結末を聞かずに済んだことに安堵した部分もあったのか、すぐに木を持ち直して続きをうながす。


「アリーシャを守れなかった責任を取って、バルガス大公は王国騎士団長の職を辞して大公領内にて蟄居ちっきょ、後任は暫定で第二王子が継ぐことになった」

「叔父上が……シグルド兄様にもご迷惑を」

「王太子ユリウスは花嫁が婚姻前にさらわれたことをアカネイアに使者をつかわして陳謝。現国王カールの退位と、アカネイア王の子を自身の養子として成人後に王位を継がせることを条件に戦争を回避したという噂」

「ユリウス兄様が!? あり得ません、それではこの国はアカネイアの属国に成り下がってしまうではないですか!」


 さすがに受け入れられる話ではなかったのだろう。

 アリーシャは動揺を言葉にあらわすかのように語気を強めて否定する。


「あくまで噂。でも信憑性しんぴょうせいはある。次にアカネイアと戦争したら、ラグナ王国はおそらく滅びる。それが分かるから、アリーシャもアカネイアの国王との婚姻を受け入れたのではないの?」

「それは……そうですが」


 それでもアリーシャは納得ができないのか、金色の前髪で表情を隠すように下を向いて歯噛はがみする。

 シアはそんなアリーシャの様子に短く息を吐いて、軽口かるくちを叩く。


「まあユナがアカネイア軍を全員倒すのなら別だけど」

「そうだな。できたらいいな」


 ユナは投げやりに返しつつ、頭の中では早くも国を出る算段をつけ始めていた。

 命の値段がタダ同然だったあの頃とは違い、ユナは戦争に関わるくらいであれば迷わずに国を捨てるつもりだ。

 もともとこの国の生まれではないユナには愛国心はない。

 数年生きてきてそれなりの関係を結んだ相手はいるが、いざとなれば捨てられないほど情に生きているつもりもない。

 だからユナがもしこの国にこだわることがあるとすれば、それは現在の依頼人であるアリーシャがどうしたいかくらいのもので。

 そんなユナにできることは、いまだにユナに払う報酬さえ決められていないアリーシャに、正しいと思うことの判断ができるだけの情報を与えられるようにする程度だった。


「それで結局シアは、誰が今回の件を仕組んだんだと思う?」

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赤髪の傭兵ユナ Kisaragi @Filu

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