エルガモンドの愛憎

 ユミーナの行方は国中挙げても見つからなかった。すぐに国政に影響が出ることはないものの、精神的には大きなショックだった。祝賀ムードから一転、国民は沈み込み、ザムリクフとリンドバーグも長年の仲間の失踪に心を痛めた。中でもファルナのショックは相当のものだった。二人は本当の親友だった。


「あぁ、どうしてなのでしょう? リン、ユミーナはまだ見つからないのですか?」

「ごめん。精一杯探しているのに」


 ファルナは枕に顔をうずめてさめざめと泣いた。彼女がここまで悲しむのは生まれて初めてのことだった。せっかくリンドバーグと結婚し、これから幸せな日々が待っていると信じて疑わなかったのに。寝ても覚めてもユミーナのことを考えた。

 そんな領主の心配も空しく、ユミーナに関しては一切の手がかりが無かった。披露宴の後、攫われたとする考えが城下には流れていた。物理的にはそれが合理的でも、果たしてそんなことをする国があるだろうか? 答えはそれから一月後、明らかになった。


 マルズィ帝国が宣戦布告をしてきたのだ。エルガモンドの領主は王子との縁談を断った上に、王子の人柄やマルズィ帝国のことを嘲り、侮辱したというのだ。その証人がユミーナだった。彼女は騎馬隊6千を任され、切り込み隊長としてエルガモンドに向かっていた。

 ファルナは議会を招集した。


「市中の混乱はポリズラッジの広報に任せてありますが、正直期待はできません。リンは兵を編成しています。まもなく迎撃準備が整うでしょう。あぁ、なんでこんなことに! ユミーナ!」


 全員が暗い顔をしていた。以前からマルズィ帝国がエルガモンドの職人、そして技術を欲していることは明らかだった。短時間でこれほどの発展を遂げたエルガモンドを手に入れるという名誉そのものも欲していたかもしれない。だからファルナとリンドバーグは関係がこじれないように細心の注意を払ってきたのだ。

 しかしユミーナの裏切りは全くの予想外だった。縁談の話は来ていないし、帝国を罵った事実もない。しかし地位のあるユミーナの証言であれば、それが事実として受け入れられてしまう。国民の中にすら、ユミーナの証言を信じて寝返ろうとする勢力があるのだ。


 それから三時間で交戦状態になった。リンドバーグ自らが陣頭指揮を執った軍団は帝国の予想は遥かに上回る立ち回りを見せた。リンドバーグは圧勝し、ユミーナの率いた騎馬隊は兵の8割を失っての敗走。それでも帝国側は続々と兵を送り込んできていた。


 一方、城ではファルナが一人、三階の大部屋で女神像に祈りを捧げていた。


「夫をお守りください。エルガモンドをお守りください。わたくしの……、大切なものをお守りください!」


 そのとき短い悲鳴が聞こえ、大部屋の扉が開いた。そこには扉を守っていたザムリクフの返り血を浴び、短剣を握ったユミーナが立っていた。


「ユミーナ!」


 彼女は混乱に乗じて早々に戦場を抜け出し、まんまとここまで来たのだ。十一年仕えた城のことはシミの場所まで理解している。


「あなたがここにいるということは、夫は! リンは!」

「そんな悲しい顔しないでよ、ファルナ。大丈夫、私の騎馬隊は多分全滅。リンドバーグはマルズィ帝国に勝つ想定で軍備をやってたのは知ってるでしょう?」


 地に濡れたことを除けば、ユミーナはいつも通りの穏やかな「エルガモンドの母」だった。恐怖と悲しみでファルナは立ってなかった。


「なぜ? なぜこんなことをしたのです?」

「私もファルナのことを愛していたからだよ。ファルナはいつも国の事を考えていた。本当は、私の事だけを考えてほしかった。でも我慢した。そうしたら、ファルナはリンドバーグと結婚してしまった。あなたはリンドバーグのことばかり考えて。でもこうすれば! ファルナは私のことだけを考えてくれる! 愛してくれる! それが敵でもいい! こうすれば私を見てくれる!」


 ユミーナはナイフを捨てて膝をつき、凍り付いたファルナの頬に触れた。べっとりと血が着いて、でもそんなことはお構いなしに接吻した。


「ずっとこうしたかったの。でも我慢していた。ファルナのために。でももう、時が来た。ね、覚えてる? 時が来るまで生きてもらうって、言ったでしょ。私の手で、私と一緒に死んでもらうね。冥界はきっと素晴らしいところだよ。だってファルナと一緒なんだもの」

「い、嫌……」


 ユミーナはナイフを拾ってファルナに胸に突き刺した。嫌な音がして、生暖かい血が流れた。しかしファルナの眼はまだ死んでいなかった。満身の力を込めてユミーナを突き飛ばし、ゆらりと気高く立ち上がった。


「あなたが……、欲望によって……、わたくしを殺すなら……、ッ……、わたくしは……、剣を取る!」


 ファルナは胸に刺さったナイフを引き抜いた。鮮血が三日月のように流れ、それを切り裂くように今度はユミーナの胸をナイフが貫いた。

 ユミーナはもう喋れなかった。薄れ行く意識の中でファルナに微笑みかけ、果てた。


 戦争初日はエルガモンドの完勝のはずだったが、帰投したリンドバーグを舞っていたのは瀕死の妻だった。妻と夫は涙を流しながら最期のときを過ごした。ユミーナの心中暗殺は結果としては成功したのだ。

 領主を失ったエルガモンドは直ちに投降すると思われたが、リンドバーグは狂気に落ちてしまった。かつて抱いた帝国蹂躙のシナリオを実行に移し、妻のエルガモンドを守るという名目で戦争に勝利し、帝国民を虐殺し、直後自害した。

 先導者は誰もいなくなった。悲しみに暮れるエルガモンドはまもなく崩壊し、人は散り散りになり、決してエルガモンドでの暮らしを話すことは無かった。


 エルガモンドとマルズィ帝国はいまや遺跡を残すのみである。多くの骸は土に還り、むしろ豊かな大地になったという。


 エルガモンドの名が歴史の彼方に消失して久しい。あらゆる記録もあらゆる記憶も、大きな感情によって絆され、自ら息を引き取った。

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忘却の国 仁藤 世音 @REHSF1

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