メイキング

没文

 思わず足を止める。彼の年齢は一体いくつなのだろうか。見たところ30代、もしかしたら30代後半かもしれない。そんな彼は何を思って、其処で歌う?一体何をゴールに定めているのか?わからない。ただ分かるのは、彼がであることだけだ。

 ひたむきという語から思い出されるのは、一週間前に消えた彼女のこと。

 歌がそれほど上手くなくて、そんなに伸びてなくて、でもひたむきに最後まで突っ走った海浜ウミナというVtuberの存在を。

 彼女が引退してしまってから3日後。ふとロスの中で、何故彼女を推していたのかを考えたことがある。彼女のひたむきさに惹かれたのは確か。だが、そもそもの理由として、何故そのひたむきさに胸を打たれたのだろう。

 答えは明白だった。俺の世界を波立たせたかったから。ひたむきさに心を打たれたのは、きっと何かを成し遂げたいから。俺にだってかつてはあったのだ。熱意を持って、何かを成し遂げようとしたころが。今みたいに心を凪にして生きるのではなく、自らを鼓舞し、荒波のように生きようと思っていた時代が確かに。そして、その時代の残滓が俺の心の奥底で今なお生き、彼女のひたむきさに共感したのだろう。

 だから、俺は無言のままに左右分離型のBluetoothイヤホンを外す。

 世界の音を聞いた。耳で感じ取った世界の情報は雑然とし、やはり暴力的だった。けれども、それが刺激的で心を震わせる。久しぶりにそう思えた。

 凪のような心が僅かに波立った。懐かしい熱意が心を煮立てる音が聞こえた。それに恐れでも倦怠感でもなく感動を覚えたのは、さて、いつぶりだったか。

 Vtuber




帰り道に左右分離型のBluetoothイヤホンを着けて、音楽を聴きながら帰るのが俺の習慣だった。もちろん、音量は漏れ出ない程度の音量で。つけている理由は単純だ。イヤホンをつけていれば、嫌な世界の音を聞かずに済むから。ただそれだけの理由だった。世界はあまりにも雑然としている。おまけに暴力的だ。だから俺は音をシャットダウンして、自分の殻に閉じこもる。俺は凪のようにいたいのだ。世界のせいで俺を俺の心を波立たせたくはない。

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推しのVが引退した。俺はまずイヤホンを置いた。 御都米ライハ @raiha8325

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