第24話

 早朝にアパートを出て、最寄り駅から新幹線で東京駅まで約一時間。そこから高速バスに乗り、千葉県の銚子市を目指す。


 車内は空いており、わたしのとなりは空席だった。まほろは悠々とそこに腰かけ、わたしにからだを寄せて車窓を眺めている。

 向こうは曇り空だったが、千葉県に入ってから徐々に雲は薄れ、目的地に着くころにはすっかり青空になっていた。


 バスを降りると、ようやく地に足のついた感覚になった。まほろは空に腕を浸そうとするかのように、大きく伸びをした。


「あたし、銚子に来たの……というか、千葉県に来たのはじめてです」

「わたしもはじめて」


 銚子駅から垂直に伸びる大通りを見やる。わたしたちの地元の駅の方が大きく都会的だが、行き交う人々の表情の穏やかさやゆったりとした雰囲気はこちらの方が勝っていた。

 住人とよそ者とを区別することなく、丸い空気が包みこんでくれるかのような、居心地のよさがあった。


 わたしたちは、漫画賞で手にした賞金を使ってこの街を訪れた。

 といっても、まほろはどこへ行っても無料だから、わたしひとり分しか旅費はかかっていない。まほろは「タダで乗る」というのが楽しいのか、新幹線ではふんぞり返っていた。


「で、先輩。これからどこに行くんですか?」

「旅程は考えてるから大丈夫」


 わたしはケータイのメモ機能を起動した。銚子電鉄の駅名と観光名所をメモしてあるのだ。まほろがのぞきこんでくる。


「ローカル鉄道ですか?」

「うん。片道十五分くらいの小さな鉄道みたい。でも、駅ごとに名所があって、これに乗れば一日で銚子を巡れるって、ネットに書いてあった」


 今日の旅行は日帰りの予定だ。いや、日帰りと言っていいのだろうか。帰りは夜行バスを乗り継いで、明日の日の昇らないうちにアパートに帰り着く予定なのだ。

 まほろはふぅん、とくちびるを突き出すようにしてうなずいた。


「でも、先輩って鉄道とか好きでしたっけ? 何で旅行先がここだったんですか?」

「地球が丸いのを見たいから」

「え? 何ですか、それ」


 地球が丸く見えるのはわたしの手柄でもないのに、ふふんと笑ってみせた。銚子駅の駅舎を指さす。


「それは最後のお楽しみだから、まず電車に乗っちゃおう。車内で一日乗車券を買えるから、ひと駅ずつ見て回るの」


 ちょうど、列車が駅に到着したみたいだった。JRの電車も重なったのか、連絡通路は人で溢れている。わたしたちは人の流れに逆行して進んでいく。


 銚子電鉄の乗り場は、ホームの片隅にあった。クリーム色の二両編成の列車が、ドアを開けて待っていた。

 人波に流されることなく先に辿り着いたまほろが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて手招きしている。


 レモン色のタンクトップに、ロング丈のレースカーディガン、ハイウエストのショートパンツという、動きやすさと女の子らしさを兼ね備えたファッションに、毛先を軽く巻いたポニーテール。

 まほろは周りのだれよりも輝いて見えた。そのおしゃれが、わたしの目に映るためだけのものだから、特別な気持ちになるだけだろうか。


 わたしはまほろほどガーリーな格好はできず、ミントグリーンの薄手のブラウスに紺色のスキニー、足もとは歩きやすさ重視のスニーカー。まるでいつもと変わらない服装だ。

 だけど、まほろと並んだとき、レモン色とミントグリーンの組み合わせは初夏そのものの色あいのようで、悪くないかなと思える。


 わたしはまほろに駆け寄り、ポニーテールのうなじをちらっと見た。柔らかい産毛のような後れ毛が愛らしい。


「乗りましょう、先輩」

「うん」


 わたしたちは並んで、小さな車両に乗りこんだ。




 途中で下車した駅で、醤油工場の街並みを眺めたり、観音寺にお参りしたり、海を眺めるタワーに上ったり、わたしたちは鉄道の旅を楽しんだ。

 カーブが多い線路を、電車はゆっくりと進んでいく。その速度は歩くほどのスピードになることもあり、ほほえましく、こっそりまほろと顔を見あわせて目を細めてしまう。


 乗客はまばらだが、生活にはかかせない交通手段なのだろう。乗客には高齢者が多く、座席に座ったおじいさんおばあさんは、海が垣間見える度に「わあ」と吐息を漏らすわたしたちとは違って、ぼんやりと車窓を眺めるか、目を閉じて電車の揺れに身を任せている。

 わたしたちも、地元の電車に乗っているとき、同じような顔をしているのだろう。どこにでもだれかの生活があるものだと、少し身体が小さくなるような思いがした。


 終点の『外川』で降り、坂の多い海辺の町を散歩してから駅へと戻り、折り返しの電車に乗りこむ。

 いちばんの目的地は、終点のひとつ前の駅だ。さっきと同じ町並みを巻き戻しで眺めながら、二分ほどで目的の「犬吠」に停車する。


 犬吠駅は異国の雰囲気のある駅舎だった。煉瓦造りの壁に、アーチ状の出入口。花壇やプランターには原色の花々が咲き揃っている。

 しかし、通り道も兼ねている土産売り場に並ぶのは、銚子電鉄名物のぬれせんべいや、豆菓子など、和風のものばかりで、そのギャップがまた楽しい。


「先輩、あたしおせんべい大好きなんです。買いましょう……じゃないか、先輩、買ってください」

「今から灯台とか展望台に行くんだよ。結構歩くから、荷物になっちゃう。帰りに買ってあげるから」


 歩いて十分ほどして、犬吠埼灯台が見えてきた。

 砂浜から見上げると、崖の上に突き刺さっているかのように見える。裸の岩肌に見えるが、階段が整備されており、灯台まで登れるらしい。

 わたしは灯台を指さし、少し遅れがちについてくるまほろを振り返った。


 振り返った先に、まほろはいなかった。


 慌てて辺りを見回す。砂浜には小さな子どもを遊ばせている親子と、犬の散歩をしている人が、それぞれひと組いるだけだ。

 砂浜に照りつける陽光が少し翳り、海の青が微妙に彩度を落とす。反射する光も同時に弱まり……波打ち際にまほろの姿が現れた。


 いや、ずっとそこにいたのだろう。陽光が眩しすぎて、まほろの透明度が上がって見えたことは今までも何度かあった。


 わたしはまほろに駆け寄った。しかし、横に並ぶことはむずかしい。サンダルを履いたまほろの足は、波が押し寄せるたびに足首まで水に浸かっていた。

 波が引き、足が現れる。サンダルの赤いデニム生地に濡れた形跡などなく、まほろの足の下の砂が少し削られていくだけだった。


「まほろ? どうしたの?」


 まほろのひざ下まであるカーディガンの裾が、吹いているそよ風に見あわず、強くはためいている。ポニーテールは、ゆるく巻いた毛先が伸びきるほどだ。

 このままじゃまほろがからだごと吹き飛ばされてしまいそうに思えて、濡れた砂の上に足を踏み出した。

 砂を踏みしめる音に気づいたのか、まほろは振り向いた。まほろの周りにだけ吹き荒れていた風が止まったかのように、カーディガンの裾はゆっくりと静かになった。


「……大丈夫? 何か、風でばらばらになっちゃいそうだったよ」

「さすがにそこまで儚い存在じゃないですよ。ちょっと考えごとしてただけです」


 まほろはわたしが立ちすくんでいる訳に気づいたのか、三歩ほどうしろに下がってとなりに並んだ。


「何考えてたの?」

「うーん……あたしの、身体のこと?」

「身体って……」

「病院に入院してる方の身体です。ごめんなさい、何か紛らわしくて」


 まほろは自分のからだをぺたぺた触りながら、苦笑いしている。海の日差しはやはりどこか内陸とは違っているのか、普段は血色のいいまほろの肌が、白く色が飛んでいる。


「ま、気にしないでください。普段海なんて見慣れてないから、らしくないこと考えちゃいました。地元は海あり県とはいえ、あんな内陸じゃ海なし県といっしょですもんね」


 まほろは軽い口調で笑い飛ばすと、スキップのようでスキップじゃない足取りで砂浜を歩き出した。わたしは早足でそれを追う。

 ときどきからだを反転させてうしろ向きで進むまほろが、顔をのぞきこんでくる。まほろはわたしのすべてを見抜いているような、そのくせわたしには何も見せないような強い眼差しをしていた。


 わたしはどこからならまほろの本心が見えるのか、うしろ姿をじっと見つめながら後を追うことしかできなかった。

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