最後のダニエル

 成長という時間制限を前にして、僕はもう一度、かつて彼女のダニエルだった老人に会いに行った。


 老人は僕の話を聞いて、老人は彼女にまつわる伝承や記録をまとめた紙束を渡してくれた。


「ココに旅の終わりについて尋ねたことがある。ココは後継者が見つかるまで、と答えた。どのダニエルも後継者にはなり得なかったが、近い方法はあるかも知れない」

「どうして、ここまでしてくれるんですか」


 多くの資料を並べられた机を挟んで、僕は思わず問いかけた。

 これだけの情報があれば彼女を追いかけて、老人自身が最後のダニエルになり得たのではないか。


「これを集めたのは私じゃない。ずっと一人で旅を続けて、これだけを抱えて死んだダニエルがいた。きっと彼もココのダニエルだった。私は人づてに噂を聞いて、手に入れただけだ」


 薄茶けた紙と薄れた文字を撫でて、老人は言った。


「それに、私も彼女の旅の終わりが安寧であることを祈っている」


 そこで初めて、僕はダニエルがなんなのか、わかったような気がした。


 僕は彼女と旅を続けながら、彼女に隠れて老人と手紙を交わすようになった。


 少なくとも、彼女は不死者とは全く別の生き物だ。後継者もきっと普通の人間では満たせない条件を持っている。

 そして、王が戴冠式で王冠を被るような継承のための儀式がある可能性がある。継承ために必要な王冠を旅に暮らす彼女が手放すはずはないだろう。


 仮説に仮説を重ねたそれが正しいか確かめる機会がないまま、僕はすっかり手足が伸びて、彼女の身長を超えてしまった。

 彼女が僕に渡すための銀貨の袋はもう少しで満杯になりそうだった。


 焦りが募っていた頃に手紙が届いた。差出人は老人ではなく、老人の孫娘からだった。

 内容は、老人が亡くなり、孫娘が代わりに最後の手紙を出したということだった。


 それが最後のピースだった。


 僕はその手紙を持って、彼女に話しに行った。僕らが手紙を交わしていたことよりも老人の死を知って、彼女は目に見えて動揺していた。


「彼の安寧を、彼が愛したあなたの十字架で祈らせてくれませんか」


 僕の頼みに彼女は少し悩んだ後、吊っていた十字架を外して僕に差し出した。


「次の鐘が鳴る頃に取りに戻るわ」


 それだけ言って、彼女は外に出た。


 足音が遠ざかったのを確認して、僕は手の中にある十字架を調べた。繊細な装飾も、白銀に輝く肌も確かに素晴らしいが、何より中心にはまった青い石が目を引く。


 爪で外そうとするが、しっかり固定されているようで外れない。


 鞄の中から、このためだけに用意した石外しを引っ張り出す。

 指が震えてうまく外せない。呼吸もどんどん荒くなる。

 そして、外し終わった頃にはココが言っていた鐘が鳴る頃はもうすぐだ。


 考える暇もなく、僕は石を飲み込んだ。

 それはどろりと溶け出し、甘く、苦く、冷たく、臓腑に落ちた。


 指先から血の一滴まで、針で刺されたような痛みを覚えた。何もかもが別の何かに塗り替えられていく。


 王位を不正に簒奪しようとすれば、死を免れないのかも知れない。しかし、ここで僕が死んだら、余計に彼女を悲しませてしまう。

 その一心で耐えて、声も出せずにのたうち回っていると不意に痛みが全て消えた。


 僕は体を起こして、何も考えずに手に持ったままの石外しを手の甲に突き刺した。


 動脈を傷つけたらしく、鮮やかな血が噴き出す。しかし、数秒と待たず、そこには最初から傷などなかったような手があった。


 鐘が鳴る。


 彼女の足音が聞こえる。


 扉が開いた。


「何をしたの、ダニエル」


  部屋の有様を見て、彼女は顔を真っ白にしてひどくうろたえていた。


「石を飲みました。多分、もう老いることも死ぬこともできない」

「なんのために、そんなことを?」

「あなたに永遠を誓うためにです。ココ」


 力が抜けたように彼女は膝をついた。


「こんなことをさせるために、あなたを育てたんじゃない」


 悲鳴とも怒声ともつかない声で彼女はかぶりをふって嘆く。


「ココ、ココ、こっちを見て」


 僕がいつもの決まり文句を言えば、彼女はぼさぼさに乱れた髪の隙間から僕を見た。


「ほら、平気ですよ」


僕は手を伸ばして、何度もそうされたように彼女の髪に初めて触れた。すべて、初めて見る彼女だった。


「違う! 身代わりだったの! 私がダニエルに育てられたから。前の王がダニエルだったから、私がダニエルを殺したから、私はダニエルを育てたの!」


 彼女が僕の手を振り払う。彼女は自分の胸を抱いて、震えながらわめいた。


「いいえ。一人だってココは身代わりになんてしなかったでしょう。だからこそ、僕はずっとあなたのそばにいることにした」

「でも、見捨てたもの。私が死ぬのを見たくなくて逃げ出した」

「その孤独を癒やすためにこうしたんです。僕は、ダニエルは、ココ、あなたが孤独に終わることを許さない。僕じゃなくても、いつかこうなったに決まってます」


 ゆっくりと諭すように言うと、ココはそれでも首を振った。


「あなたはどうなるの、ダニエル。後継者が見つかれば、生きたまま心臓を裂くしかない」

「その時はどうぞ裂いてください。どのダニエルよりもあなたのそばにいられるなら、それくらい安いものです。それに後継者が王を継げば、ココは死ぬんでしょう。なら、僕が死ぬ時がココの死ぬ時です」


 彼女が何を言い募っても、僕は反論するつもりだった。僕には少なくとも、二人分のダニエルの覚悟が乗っている。


「ココ、僕はずっとあなたのそばにいます。約束します」


 問答の末、彼女がとうとう黙りこんだ瞬間、僕は彼女の腕を引いて彼女を抱きしめた。見上げていたはずの彼女は、小さくて、細くて、頼りなかった。


 麗しい乙女の面影はひとつもなく、彼女は子供のように泣きじゃくりながら、告白した。


「どうしよう。ダニエル。私、辛くて、悲しくて、嬉しい」


 泣き止み方を知らない彼女が泣き止んだら、僕と彼女の旅は続く。


 その時、彼女がどんな表情を見せてくるれるか僕は楽しみだった。

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最後のダニエル あいさ @aisakatagiri

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