『愛が重いから』、いけないんだよ
ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬)
『授業を始める』
「いや!離して!離してよ!?」
縛り上げられ打ち上げられた魚のように身をバタバタと震わせて叫ぶあの子の姿にわたしは、沸き立つ怒りと憎しみ、そして君への変わらない愛情に満たされていた。
君からわたしを奪ったあの子を目の前にすると、イライラしてくる。
どうして?
なんで、こんな子が?
君がわたしを捨てるなんてあり得ない。なのになんで・・・。
まぁいいよ。君にだって一時の迷いくらいあるよね、だからもう絶対にそんな迷いを起こさせないようにしてあげなくちゃ。
君には一切手出しはしない。でも君のこころを掴むには、そのこころに刃を向けないといけないんだ。わたしのたっぷりの愛情を塗り込んだとっておきのやつで。
「あなた誰!?こんなことするっておかしいわよ!異常よ!ねぇ?何とか言ってよ!?」
「あ~あ、せっかくの可愛いお顔も、カワイイその性格もぜんぶ台無しだよ?そんなとこ
わたしのことなんて全然知らないんでしょ?
せっかく正俊くんが褒めてくれた、好きだって言ってたわたしの声を聞いてもあの子は全然気づいてない。
「え?なに!?あなた女性なの?じゃあ、これは一体なんのイタズラよ?いい加減にして!警察に突き出すわよ」
正俊くんって昔の恋人の話とかしたがらないからさ、きっとわたしのことも聞いてないんでしょ?
でもわたしは知ってるよ、あんたのこと。寝ている間にスリーサイズだって計った。正俊くんの好みとしてはちょっと期待外れじゃないかな、って思ったんだよ。
なのに・・・
それなのに、どうしてわたしじゃダメなの?
どうして・・・?正俊くん・・・・・・
答えの出ないわたしの頭のなかは、いつも悩んでいるときに寄り添ってくれた正俊くんの笑顔で埋め尽くされていくよ。だけど、もうわたしのものじゃないって思うとそんな思い出の一つひとつが上書きされちゃうの。
写真のインクが溶かされて
そんな思い出、ぜんぶいらない。
だからまた一緒になろう?
じゃなきゃ、この子との思い出は悪夢になっちゃうよ。
わたしが向き直ると、あの子は荒い息を落ち着かせてわたしの目を見据えて言い放った。
「あなた、こんなこと本気でしていいと思ってるの?」
「わたしから正俊くんを奪っておいてそんなこと言っちゃうの?ひっど~~い、そんなの言い掛かりだよ」
わたしは最高にカワイイ歩き方であの子へ近づいていく。
「ま、正俊・・・?あなたもしかして!?」
あ、気が付いちゃった?
「だったら、なぁ~に!」
わたしの履いた厚底ブーツがあの子の顎先をとらえる。
余計なお肉なんて無いとっても魅力的で非力なわたしのステキな脚。わたしに色目を使うクソ野郎は少なくない。そういう奴はか弱い女の子を手中に入れたいだけ、だから教えてあげないと。
「ミツバチだって針で刺す♡」ってこと。
おもり入りの靴先で蹴られたあの子ったら、股の間からお漏らししちゃってる。
か弱いだけの女の子なんて可愛いくないよ?
わたしがもっときれいにしてあげる。正俊くんの記憶から消えないくらいにね。
Side:
クソッ!なんだよこれ!?
握ったスマホが汗で滑り落ちそうになるのを止めながら、俺は訳もわからないまま走り続けていた。
これは一体なんの冗談だよ!?
どうして
どうしてさらわれたりなんかするんだよ!?
クソ!ふざけやがって。
なにが、授業だ!狂ったサイコ野郎が!!
Side:正俊くん 30分前
「ただいま三久、いま帰ったぞ」
俺は夕飯と明日から続く1週間分の食材を袋いっぱいに詰め込んで、三久の待つ部屋の扉を開いた。
いつもなら両手がふさがっている俺の代わりにその扉を開けて『おかえり』と最高の笑顔を見せてくれるのに、今日は何度読んでも扉を開けてはくれなかった。買い物に行くときには特におかしな様子はなかった。いつも通り二人で冷蔵庫の中身を確認して買い物リストを作り、俺が買い物に出ている間に三久は夕飯の準備をしてくれる。今日は南蛮揚げに挑戦してみると言って張り切っていた三久の様子からは、拗ねる要素などひとかけらも感じなかった。
もしかしたら揚げ物に苦戦してふさぎ込んでいるのかもしれない。料理が上手い三久にはいつも美味しいと素直な感想を伝えていたが、それが逆に三久にとって重責となっていたのかもしれない。あの子は真面目で誰かのために動ける子だから、あり得るな。
俺はそんな吞気な想像をしながら玄関の扉を開いた。でもそこにあったのは、料理に集中する三久でも、失敗して落ち込む三久でも、そのどちらでもなかった。
一言でいえば、静寂。
しかし、そこでもう半年は暮らしている俺には違和感でしかなかった。
空き部屋に俺たちの荷物を移動させたみたいにこの部屋には、まるで人間の空気というものがなかった。
玄関を抜けてすぐにあるキッチンとコンロには盛り付けられた野菜や三枚におろされた魚、そしてもくもくと湯気をあげる味噌汁があった。その匂いは確かに三久がいつも作る味噌汁の匂いだ。しかし、肝心の三久の姿がどこにもない。姿どころか呼吸すら感じ得ない。コンロの火は消してあるし、なにより靴がそのままに残されているから外には出ていないんだろう。
俺は廃墟に忍び込んだ猫みたいに足の指先からかかとへと静かに体重をかけ、キッチンを抜けトイレやリビングのほうを探した。それでも三久の姿はどこにも無かった。誰もいないことに半ば安堵しつつ辺りを見回した。狭いアパートの部屋の中には小さな子供だって隠れる隙間は存在しない。
俺はいよいよ何か予想外のことが起きたのではないかと考え、スマホで三久に電話をかけた。
最初のコールがなったとき、俺はそれを聞き間違いだと思った。焦って不安になっているから、耳元のスマホの通知音と勘違いしたんだと言い聞かせた。
次のコール音がなったとき、スマホの出す電子音とはまったく異なる、金属を振動させるような不気味な音が俺の耳をかすめた。俺は右手に持ったスマホを遠ざけ次のコールを待つ。
ズズズズズズズズズ
やっぱり聞こえる。玄関の方だ。
俺は自分の足音でその小さな音を消してしまわないよう、足を小刻みに動かして先へ急いだ。なにか嫌な予感がする。
玄関にそのまま放置した買い物ぶくろが崩れて中身があらわになっている。その二つの山の向こう、扉にくっついた郵便ポストの中から音がする。
恐る恐るその中身を確認すると、ピンク色の背面のスマホが小刻みに振動していた。その色は三久の使っているスマホとよく似ていた。
それでも俺はまだそれが三久のスマホじゃないと信じていた。こんな偶然、いやどう見ても異常な出来事がただの偶然であるはずがない。そうはわかっていても俺はどうしても目の前の非日常と化した現実を受け入れたくなかった。
スマホを手にしてゆっくりとひっくり返す。
画面には電話の通知を知らせる文字が並び、その下に出た番号は俺のものだった。
その瞬間、すべてが現実だと思い知らされた。
しかし、あまりに多くの事実と憶測が頭へと押し寄せ、俺は両手で交互に震えるスマホとともに頭を抱えることしかできなかった。
一体どれほどの時間を無駄にしていたか分からない。だがようやく事の重大さに気づいた俺は立ち上がり、その場で三久のスマホを開いた。三久にはあまり隠し事をつくる習慣がなく、俺がスマホを除くことにも抵抗がなかった。そのことが今の俺を、そして三久を救うことにつながるのかどうかはもはや賭けだった。
はじめ俺はその賭けに負けた。
せっかく開いた三久のスマホにはなにもない。あるのは俺との思い出や日常をつづるメールやSNSのつぶやきだけ。SNS上でもあまり付き合いの深いやつはいなくて、内気で人見知りな三久の性格がよく表れていた。ただそれだけだった。
俺はまた両手にスマホを抱えたまま
この異常な出来事を仕組んだ人間がいるのかどうかすら分からない。
俺は虚空に向かってつぶやいた。
「絶対に見つける、三久も、お前も。そしてお前に教えてやる、俺の大事なもんに手を出したらどうなるのかをな!」
いつのまにかがなり声になっていた俺のつぶやきに答えるように、左手に短い振動が伝わった。俺が左手を開くと、そこには三久のスマホが、一件のメールを受け取ったという通知が来ていた。
「こいつか」
獰猛な獣の唸り声のようだ。
俺は敵の姿を拝もうと、メールを開く。
頭の中にはどんな野郎だろうと引き裂いてやるという怒りしかなかった。
そして俺はまんまとその罠に引っかかった。
Side:三久 ???
い、痛い。
両腕が活火山にでもなったかのように熱くて痛い。
私はあまりの痛さにまた意識が飛んでしまいそうだった。でも、痛みとは別の違和感に意識が向けられると、私はこれから起きる恐ろしい未来の片鱗を想像して叫んだ。
「助けて!誰か!?お願い、たすけて!!」
私の精一杯の声はどこまでも広がっているかのような闇に溶かされていずれ静まり返った。
まるで神への貢ぎ物として生贄にされてるみたいだ。
なぜなら私は両腕をロープかなにかで縛られたまま宙づりにされているから。
そして私の命をつなぐはずの腕は、どちらも骨を折られて動かすことはできない。
私は痛みの波の間を狙って声を張り上げる。誰かに助けてもらうために。
でもそれは、私の命を奪う神を呼ぶ行為とおなじだった。
暗闇の中でなにかがきらりと光ったが、私がその光に気が付くことは決してなかった。
Side:正俊くん 現在
俺は受け取ったメールに記されたこの廃工場のような場所を目の前に、血走った目で辺りを見回した。
あたりに人影はほとんどない。当たり前だが、俺を出迎えて授業とやらにじきじきに参加させようとする野郎もいない。いたらその場で殺してやる。
左手に振動。メールだ。
俺は瞬時にそのメールを開いた。やつからだ、それ以外あり得ない。
メールのタイトルは『授業をはじめる』
さて、どうやらわたしの授業を受ける気になったようだね。
よろしい、それでは授業をはじめよう。
内容は、愛の重さについてだ。
きみにはこれから愛の重さについて、その身をもって学んでもらう。
この授業を通してきみがなにを学び、なにを得るのか。
そして失うのか。
すべてはきみの、愛の重さにかかっている。
さぁ、進むがいい。
扉はもう、君を迎え入れる準備ができている。
どこまでもふざけた野郎だ。
自分をなにかのスプラッタ映画の殺人鬼と勘違いしてやがる。
いいだろう、俺の三久にかける想いの強さを見せつけてやる。
俺は勇んでその鉄扉を開いた。
Side:三久 ???
もう力がつきそうだ。
痛みよりも絶望感を伴う疲労で脳みそがとろけそうだ。きっとこのまま身を任せたら、死んじゃうんだろうな。でも、もうそれでいいかもしれない。
薄れゆく意識の中で私は一番好きな人のことを思い浮かべた。
正俊さん・・・
またいつもみたいに抱きしめて欲しかった。
私が腕の中でつぶされちゃうくらい力強く、抱きしめてほしかった・・な・・・
諦めかけたそのとき、遠くのほうで巨大で重たいものを引きづるような音がして、耳障りな金属のこすれる音の合間に私がなによりも待ち望んだ声がした。
『・・・く・・・、み・・く・・・・。・・・・三久!いるのか、三久!』
私はいつの間にか流れ出ていた涙をぼたぼたと落としながら、また叫んだ。
「正俊さん!ここよ、こっち!お願い!たすけて!!」
その裏で歯車がカチカチと回転し、ある時ガチリとはまるような音がするのにも気が付かず。
Side:正俊くん
「三久!どこだ三久!」
まわりを照らす光のない工場の中で唯一、不自然に照明で照らされた曲がり角を次々と進んでいく。まるで花嫁へと続くバージンロードみたいだ。愛の重さがまさに試されようとしている。
いくつか目の角を曲がったとき、目の前が開けて壁に面した扉に行き着いた。
オレンジ色の照明に照らされたその扉はどうやらエレベーターの厚い扉のようで、左右にスライドする鉄板の隙間からはコンクリートから這い出る雑草の根のような何本ものコードが飛び出していた。
そのとき、再び左手に握ったスマホにメールが届けられた。
ここが授業を受ける場所、ということか。俺を観察する目がないか周りを見回したが、どこも壁に囲まれて覗き窓などは一つもなかった。
舌打ちをして奴からのメールに目を通す。ここではそうすることでしか前に進めない。
メールのタイトルは『問題』
分数は覚えているか?
ここでは君の大切な人を分子としよう。
君の大切な人は一人だけ、そうだろう?
なら分子はおのずと1になる。
ここで問題だ。
『この分数の計算をしたとき、分子が分母よりも小さい値になるよう行動しなさい』
この問題が正しくとければ、君の大切な人に再び触れることも可能になるだろう。
俺は怒りでスマホを投げつけ、何度も、何度も踏みつけた。
頭が張り裂けそうだ。もうこれ以上付き合っていられない。
エレベーターの扉の手前には長さが60cmを超えていそうな大きめのバールが転がっていた。手を伸ばしバールを持ち上げる。ガリガリとバールの先がコンクリートを削る音が響く。
俺は持ち上がったバールの先端をそのまま後ろに一回転させ、力いっぱいエレベーターから這い出るコードに打ち付けた。束になったコードはそれこそ巨木の根のように切りにくい。何度か打ち付けたとき、何本か切れて左右にはじけ飛ぶ音がした。
それと同時に甲高い女性の叫び声が響いた。
三久だ!三久の声だ。
俺は希望を信じてさらにコードを切り続けた。時々響き渡る三久の叫び声はまだ彼女が苦しめられているという事実であり、まだ生きているというなによりもの証拠だった。
待ってろよ、三久。いま助け出してやるからな。
俺は最後に残ったコードに終止符を打ってやった。
Side:???
正俊くんならきっとそうすると思った。
だってわたしは正俊くんのことならなんだって知っているから。
大切な人のためになりふり構わないところなんて今見ても素敵だな。
でも、今回はそれがいけなかったんだよ。
わたしに向けられない正俊くんの愛情なんてあっちゃいけないの。
気づいていないでしょ?
あの子のあげた悲鳴が、正俊くんがエレベーターにたどり着くまでに一度も響いていないこと。
あの子の悲鳴に込められた恐怖と苦痛を。
それもこれもぜんぶ、正俊くん
あなたの『愛が重いから』、いけないんだよ?
Side:正俊くん
バールの先端を扉の隙間に差し込んでこじ開ける。
さび付いた扉は俺が力をこめるたび、メシメシと氷にひび割れが広がるような嫌な音がする。額に浮き出た汗が目に入り、腕に込めた力が緩みかける。右腕で拭って再び全身でバールを引っ張る。少しずつだが扉は開きつつある。
そして微かにだが血の匂いとうめき声も聞こえる。
ここだ、ここに三久がいるんだ。
そう思うと俄然力がみなぎる。
全体重をかけて引っ張ったとき、突っ張りが切れたようにガクンと扉が開き、俺は体勢を崩してコンクリートの床に尻餅をついた。
コンクリートの破片が食い込んで離れないのも気にせず、俺は半分に開いた扉の向こうへ体を滑り込ませた。
その瞬間あまりに多くのことが起きたので俺は、床に転がったバールを拾い上げる人影があることに気が付かなかった。
Side:???
正俊くんの汗と匂いと温もりの残ったこのバールはわたしにとって最高の思い出になる。
正俊くんがエレベーターの扉の向こうに消えた瞬間、二つのことがほぼ同時に起こった。
まずあの子の悲鳴が鳴り響いた。ずっとその響きを漏らさずに押しとどめていた扉は開かれた。だからわたしにもあの子の悲鳴がよく聞こえた。やっぱりあの子はか弱いだけ。擦れた声はまるで死にかけの獣、可愛いさなんて微塵も感じない。
それから正俊くんを乗せた小さなカゴが下に急降下した。
カゴを吊るすワイヤーには正俊くんを乗せれるだけの強度がなかったみたい。
でも引きちぎられたのはワイヤーだけじゃない。
だから言ったでしょ?
愛が『重いから』、いけないんだよ。
Side:正俊くん
なにが起きたんだ?
俺はどうなったんだ?
あの時、扉の向こうには誰もいなくて・・・
落ちる瞬間、誰かの悲鳴が聞こえたような・・・・
あれは・・・三久だ!
飛び起きると体じゅうがズキズキと痛む。エレベーターの床に手を触れると指先がすり抜ける感覚がある。よく見るとひし形を組むようにいくつもの金属が交差するようにして床を形成している。工業団地なんかで目にしそうなタイプのものだ。おかげで密室に閉じ込められる心配はないが、決して寝心地のいいところではない。
俺は体勢を変えようともう一方の手を床についたとき、手の甲にべっとりとなにか生温かいものがつく感覚に思わず腰を浮かした。
真上のほうからほんのりと届く明かりをたよりに手を顔に近づけて、その得体の知れないなにかを観察する。はじめはペンキかエレベーターのようのオイルのようなものかと思った。しかし、もっとよく観察しようと近づけたときに感じた鼻を突くような鉄臭さで理解した。
これは人の血だ。
俺は恐ろしい想像を頭の隅に追いやりながら、ゆっくりと、抵抗する意思を捻じ曲げるようにゆっくりと顔を真上に上げた。おそらくそこには床と同じような天井と、その隙間になにかが見えるはずだから。
なにかが視界を覆っている。なにかの塊が黒い影となって俺の視界を遮る。
俺はその遮蔽物に隠されたなにかを見るために、左へ一歩移動する。光が見えた。壁の隙間から真下に向かってではなく、真横にさす光が。あれは俺がエレベーターの扉をこじ開けようとした空間にあった照明の光だ。
じゃあ、その光の向こうに見える影はなんだ?
おれはさらに一歩左へ移動する。
そして後悔した。恐怖した。吐き気がした。
抑えきれない感情に任せて、俺は叫んでいた。
その声に反応を見せない三久の上半身が、光の向こう側に吊るされていた。
下半身があるはずの場所は引き裂かれ、服の繊維や内臓の切れ端などが血で真っ赤に染め上げられて垂れている。それはまるで十字架にかけられたキリストの絵を半分に引き裂いたかのようだった。
ぽたりと三久の血が頬に垂れた。
Side:???
正俊くんが投げ捨てたあの子のスマホ。
画面も保護カバーもひび割れだらけ。でもまだ足りない。
これくらいしないと、ね!
わたしは振り上げたバールでスマホを一刀両断する。文字通り真っ二つになったスマホを片方ずつ手にして、わたしは正俊くんが落ちた穴の入り口に立つ。
スマホの片割れを投げ入れると驚いた正俊くんがこちらに視線を向けた。
それは取っておくといいよ。きっと忘れられなくなるから。
壁を反射して奥底まで届いた光が正俊くんの表情を照らし出している。その手前にある黒い塊は・・・あぁ、あとで正俊くんにも見せてあげる。
「久しぶりだね、正俊くん♡覚えてるよね?わたしだよ」
わたしの声を聞いて正俊くんの表情に一層濃い影が浮かんだ。
「お、お前は・・・お前だったのか!?ぜんぶお前がやったのか・・・」
ううん、違うよ正俊くん。
「おまえ、おまえってひっど~い正俊くん。せっかく久々に会ったのに名前も呼んでくれないなんて」
「はぁ?何言ってんだよ!俺の質問に答えろ、
「あ!?やっと名前で呼んでくれた~♡嬉しいなぁ、わたし正俊くんに名前呼ばれるの好きだったんだ」
「もうわかった、どうせお前がやったんだろ。ならなんでこんなことした!?なんで三久を殺したんだ!?」
はぁ、どうしてもその子のことが気になるの?
せっかくわたしとまた会えたのに。もうあの子とはデートすることもエッチすることもできないのに、それなのにわたしよりその子なの?
ふぅん、そんなに教えてほしいのならなんだって教えてあげるよ。
「どうしてその子を殺したかって?正俊くん、それはちょっと違うよ。わたしが殺したんじゃないの、殺したのは正俊くんだよ?」
正俊くんの表情が怒りでさらに赤くなるのがここからでもよく分かった。滅多に怒ったりしないけど、怒るときには結構感情的になるところも好きだったよ、正俊くん。
「いい加減にしろ!こんな仕掛けしといて殺したのはのほうだと!?どう見たってお前が殺したんじゃねぇか!」
「正俊くん、落ち着いて。わたしははじめからその子を殺すつもりなんて無かったんだよ。言ったでしょ?授業だって。わたしはね正俊くんにもわかってほしかったの、好きな人を想う気持ちが暴走しちゃうってことを」
「おまえ、いいかげん・・・
「正俊くんこそ、ここまでの自分の行動を振り返ってみてよ。わたしはちゃんと問題とその答えを用意した。正俊くんがしっかり答えを導き出せていたらその子だって死なずに済んだんだよ?それって正俊くんが殺したようなものじゃないの?」
「答えってなんだよ、こうして三久の死体を目の前にするのがお前のいう答えだっていうのか?」
「ううん、わたしの用意した答えにはちゃんとその子が助かる道だってあった。正俊くんが早まったりしなかったらきっとその子も助かってたよ」
「早まるってどういうことだよ。苦しめられて叫んでるのを知っててなにもしないでいることが正解だったっていうのかよ!?」
ガシャン!と金属のカゴが蹴られる音がこだまする。
わたしは黒板の前で分からないと騒ぎ立てる生徒を見つめる先生にでもなったみたいに正解と、そこへいたる道を示す。
「正俊くんに出した問題はこう、その子を分子として1よりも小さい数字ができるように“行動しろ”。ね?わかる、行動しろって言ったの。あの扉を開くことは計算することじゃなくて解答することに等しい行為。正俊くんは碌に計算もしないで適当な数字をはめ込んだだけなんだよ。それじゃあ、丸はあげられないよ」
「計算・・?分数、1よりも・・・?」
正俊くんが見せる思案顔も素敵。
答えを導き出した生徒が先生の表情に答えを見いだそうとするみたいに、わたしの顔を見つめる正俊くん。
「つまり・・こういうことか?俺を含め二人以上の人間で助け出そうとすれば、三久は助かったと?」
わたしはちゃんと自力で答えを導いた生徒をかわいがるみたいにぱちぱちと手を叩いた。
「すごいすごい!正俊くん、だ・い・正解!」
わたしが言い終わらないうちに正俊くんはカゴを揺らして反論する。
「噓つくんじゃねぇ!そんな一人か二人かなんかでどうして結果が違ってくるってんだ!」
「人数は関係ないんだよ、正俊くんともう一人でもいいし、なんなら100人集めたっていい。それだけ集まるころにはもう時間は過ぎてるだろうから」
「時間・・・?」
あっ、気づくかな。
わたしはもったいぶって考える時間をあげたけど、正俊くんがどうしてもその答えには気が付かないようだからネタ晴らしとした。
「問題が始まってから1時間の間、ただなにもしなければよかったの。ちょうどここまで人を連れて往復するのにそれくらいかな、その頃には正俊くんが切ったコードにも電気は流れてないから切っても何も起こらなかったんだよ」
絶望の表情を浮かべて後ずさりする。小声で噓だ、ってつぶやいている。
でも本当のことなんだよ。
正俊くんがバールを振るたび、特定のコードがじわじわとそぎ落とされていく。ついにかせが外されたとき、猛獣を射止めるための鋭いもりがその子の腹部めがけて飛び出す仕組み。用意したもりは全部で4本。対角線を描くように、そしてちゃんとお腹を貫通するように微調整を重ねた。
はじめの1本が突き刺さったとき、その子の悲鳴が轟いた。
エレベーターの扉越しに聞いた正俊くんにはただの悲鳴に聞こえたかもしれない。でもあれはただの悲鳴じゃなかった。まるですりつぶされる虫があげる奇声みたいなおぞましい叫びだった。
結局、わたしがその子を拷問でもしていると勘違いした正俊くんは次々とコードを切っていった。その一つひとつにその子の命が掛かっているとも知らないで。
すべてのコードが切れた頃には、その子の腹は四方から突き出したもりで酷い有り様だった。左斜め後ろから突き刺さったもりの先には食いちぎられた腸が絡まっていた。
肺には刺さっていないから、まだ辛うじて息はあったみたいだけどそれが最後の運の尽きだった。突き刺さったもりの終わりは正俊くんが飛び込んだエレベーターのカゴの四隅と繋げられていて、カゴが落ちればもりも一緒に引っ張られるようになっていた。
正俊くんがエレベーターに乗った瞬間聞いたのは、その子の最後の悲鳴であり、正俊くんがとどめをさした証拠でもあるんだよ。
なんでこんなことしたのかずっと疑問に思ってたみたいだね。
わたしは授業だって言ったでしょ?これは正俊くんに愛の重さを知ってもらうためのもの。正俊くんにそこまでの愛がなかったら、冷静になれるくらい愛におぼれていなかったら、正俊くんはちゃんと答えを導き出せたはず。
でも正俊くんは愛に溺れた。自分の愛の重さゆえに沈んだの。
「・・・んで、・・・な・・・」
なんでって?
その疑問の答えはあなたにあるんだよ、正俊くん。
2年前、わたしと別れるときあなたはこういったんだよ。
『愛が重いから』って。
愛が重いから、いけないの?
でもそれなら正俊くんだって同じだよ。
正俊くんだってわたしと同じくらい『愛が重い』
だからこれはわたしたち二人の愛がなしたこと。
わたしの正俊くんへの愛。
正俊くんのその子への愛。
二人の『愛が重い』から、その子は死んだの。
ほら、見せてあげる。その子の下半身。
わたしが奥に置いてあったライトを引っ張ってきて穴の底を照らすと、カゴに乗ったその子の裂けた半身が顔を見せた。
そしてその子の血で真っ赤に染め上げられた正俊くんの姿も。
それから正俊くんは叫び続けた。二つの死体とわたしを見ながら、いつまでも叫び続けた。
喉が枯れてガラガラ声になっても、わたしは正俊くんの素敵な声に耳を傾けながら、いつまでもいつまでも幸せを嚙みしめていた。
『愛が重いから』、いけないんだよ ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬) @Stupid_my_Life
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