第5話 暴食の天使

 

「ねぇ先生? クララを助けるには、どうしたらいいの?」


 友人を助けたいと言う天使の純粋な眼差しに、俺は脳みそを振り絞る。


「一番いい方法は、パンの屋台をひっくり返した犯人を捕まえて彼女の身の潔白を証明することだと思う。でも、もしグリゼルダの言う通り町の住人全員がクララの敵なのだとしたら。それは全くの逆効果だ」


「どうして? 悪いのは真犯人に決まっているでしょう? それでどうしてクララがまたイジメられるの?」


「残念だけど……町の住人が『クララをイジメる』という一点において団結することで、町の平和が保たれている可能性があるからだ。グリゼルダには理解できないかもしれないけど、人間の狭い集団においてはそういうことが行われることがあるんだ」


 実際、人間の特定集団は団結力を高めるために『共通の敵』を作りだすことがあると聞いたことがある。戦時中に敵国や特定の民族をターゲットして掲げるのもその側面があると、以前に歴史の授業で聞いたこともあるような。


「だから、もし俺達が真犯人を見つけて突き出したところで誰にも信じてもらえない可能性もあるし、そのせいで余計にクララが矢面に立たされてしまうこともあるんだ。その際に万が一にもグリゼルダが魔族であるとバレてしまったら……もう取り返しがつかない。俺は、それだけは避けないといけないと思う」


「それは確かに……もし私が魔族だってバレたら、クララが侵入を手引きしたとか言われちゃう……」


「その通りだ」


「じゃあ、どうしたらいいの?」


(もし本当にクララが村八分の標的なのだとしたら……)


 悲しいけれど、今の俺ではグリゼルダに苦渋の決断を迫ることしかできない。


「俺が提案できる方法はふたつだ。まず一つ目に、もしグリゼルダが『クララを助けること』だけを目的とするのなら、彼女をこの町から連れ去ってしまえばいい。この町の人間の誰の手も届かないところへ」


「それって……」


「彼女を魔王城へ迎え入れる。グリゼルダの大切な友人として。幸いにして魔王様は俺みたいな『人間』でも教師として雇うような方だ。種族による偏見なんて無いだろうし、クララにはパン作りの確かな腕があるから仕事にも事欠かない」


「クララを、魔王城ウチに……?」


 真剣な面差しで考え込むグリゼルダ。その表情から、魔王様が娘の進言であればこの提案を聞き入れてくれるだろうことは想像ができる。


「けど、その場合……クララは二度と人間の社会に戻ることはできない。俺にはクララが今この町でどういう風に扱われているかがわからないけれど、クララだってこの町で育ったんだ。思い出のひとつや大切な人のひとりでも居ないとも限らない。だからその場合は、クララにもよく相談しないといけないな」


「うん……」


「そして、もう一つの方法は……」


      ◇


 町の全体を見下ろすことができる丘の上で、俺はグリゼルダと共に作戦内容を反芻していた。


「グリゼルダ……本当にいいのか?」


「うん。それでクララを助けられるなら、私は構わない」


「もしそれで、二度とクララのパンを食べられなくなるとしても?」


「…………」


 その問いに一瞬表情を曇らせた天使はふるふると首を横に振ると、俯いていた顔をあげる。


「前にクララに聞いたことがあるの。『どうして手に豆ができるまで、毎日毎日パンを作り続けるの?』って。そうしたら、彼女は笑ったわ。『私が小さな頃、毎日パンを作ってくれた優しいお婆ちゃんがいたの』って。クララは、その人みたいになるのが夢なんだって」


「優しいお婆さん……?」


「そのお婆さんは、今のパン屋のおかみさんのお母さんだったんだって。クララの両親はクララが幼い頃に亡くなっていて、クララは本当なら毎日パンを食べられる立場にいなかった。でも、お婆さんはいつもこっそり焼き立てのパンを分けてくれたみたいなの。クララの夢は、あの町で美味しいパンを作り続けること……そして、お婆さんの宝物だったあのパン屋を守ること。だから、その為なら私は……やるよ。先生」


 決意に満ちた蒼い瞳。俺は最終確認するように本日の作戦を告げた。


「わかった。だったら、後は思いっきりやるだけだ」


「うん……」


「……襲撃しよう。この町に住む全ての『人間』の目に、魔王の娘の底力を見せつけてやるんだ」


「はい……! 先生……!!」



      ◇


 グリゼルダは俺を抱き上げるとマントからはみ出すのも気にせずに大きな翼を広げた。そして、俺を町の片隅の安全な場所――パン屋の裏手に降ろすと、翼を翻して天高く飛翔した。そして――


「天よ、風よ。我が翼よ。巻き起こせ――【天貫く花嵐ウィンド・ディザスター】!!」


 詠唱と共に発生する巨大な竜巻。膨大な質量を纏った渦は周囲の木々や花々を巻き込んで更に大きくなりながら町の市場を、集会場を、倉庫を、噴水広場を。一飲みで粉砕していった。


「きゃぁあああ……!」


「きゅ、急になんだ!? この竜巻は!?」


「こっちに来るぞ! 逃げろ! 逃げろぉおおお!!」


「わぁあああ!!」


 一瞬にして阿鼻叫喚の渦に陥る人間たち。我先にと逃げ惑う人々の影から、ひとりの少女が飛び出した。作り直した焼き立てのパンを両手いっぱいの籠に抱えたクララだ。


「え!? なに!? 嵐!?」


「……!?!?」


 住人の誰にも声をかけられないまま、ただひとり逃げ遅れたイジメられっ子の少女。その目に、嵐を巻き起こす天使の姿が映る。


「うそ……!? グリゼルダ!?」


「クララ……」



 ――『ごめんね』



 天使はそう呟くと、逃げ惑う人々に追い打ちをかけるようにもう一つの竜巻を発生させた。巻き起こる突風に煽られて籠の中から零れ落ちるパン。グリゼルダは地面に落ちたソレを拾い上げると、砂を払って思いきりかぶりついた。


「……!?」


「ああ、美味しい……! なんて美味しいの? やっぱりあなたの作るパンは世界一ね!」


「や、やめてグリゼルダ! 地面に落ちたやつなんて、汚いよ!」


「そんなことはない。あなたのパンはどんな姿になっても『想い』の込もった素晴らしいパンよ? あなたは気高く、素直な優しい子。どれだけイジメられても、決して町の人に売るパンに毒を入れたりしなかった。やろうと思えば、いくらでもできたはずなのに」


「それは……」


「そんな優しい『想い』の込もったパンに、私がどれだけ救われたことか。あたたかい気持ちになれたことか。その証拠が、コレよ」


 グリゼルダはそう言って背に生えた大きな純白の翼を広げてみせる。

 遠くからでも人目を引くその浮世離れした姿に、一様にざわめく町人たち。


「おお、あれは……!」


「天使様だ!」


「この大災害に、天使様が降臨なさったぞ!」


「救いの天使だ! どうか我々をお救いください、天使様!!」


 逃げ惑うばかりで竜巻の発生源を知らない住人は口々にグリゼルダを褒めちぎり、救いを求めるように両手を合わせる。その様子に、震える唇を開くクララ。


「うそ、グリゼルダ……?」


「クララ、今まで黙っていてごめんね。私は、『暴食の天使』グリゼルダ。人の『想い』を食べて生きるモノ。ふふ、綺麗でしょ? 私の翼がこんなに白くて綺麗なのは、今まで、あなたの優しい『想い』をたくさん食べたから……」


「あ……」


「でも、この翼とも今日でお別れね。だって、この町には今、酷く醜い『想い』が充満しているもの」


 ため息を零すように俯くグリゼルダ。その翼は町人の醜い『想い』を吸収し、みるみるうちに漆黒に染まっていった。

 ひとつ羽ばたく度に嵐を呼び起こさんとする、禍々しいその姿は――


「だ、堕天使だ……!!」


 町の人々が騒ぎ出す。


「天使なんかじゃなかった! あいつは……あいつが! あの嵐を巻き起こしたんだ!!」


「魔王の使いが現われたぞ!」


「戦える奴は武器を取れ! 悪魔を町から追い出すんだ!!」


 町中が混乱する中、呆然と見つめることしかできないでいたクララに、グリゼルダは小さく合図する。


「あの場所で、待ってる」


「……!」


 小さく呟いた言葉がクララに届いたのを確認して、グリゼルダは羽ばたいた。

 町中に漆黒の羽を撒き散らしながら。

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異世界かてきょ ~魔王の城の家庭教師~ 南川 佐久 @saku-higashinimori

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