第4話 はらぺこ乙女と家庭教師
翌朝。『おはよ~!』と俺を起こしに来たのはリヴィアではなくグリゼルダだった。
窓の外からダァン!という無遠慮な音に叩き起こされた俺は眠い目をこすりながらカーテンと窓を開ける。
「先生、おはよう! ふふふっ! 可愛い寝ぐせがついてるわよ~?」
「おはようグリゼルダ。起こしてくれたのはありがたいんだけど、その……窓から来るの、やめてくれない? 普通にドアをノックしてくれよ」
「あらぁ? ごめんなさい! だって、こっちの方が早いんだもの!」
「そりゃあ、君は空を飛べるからそうなんだろうけど。フツーはびっくりするから」
「フツー? じゃあ、びっくりしないお兄ちゃんと妹はフツーじゃないのかしら?」
(そうだった……
「ごめん、言い方が悪かった。さっき言ったことは忘れて。けど、少なくとも俺はびっくりしちゃうから、やめてくれると嬉しいな」
そう言うと、グリゼルダはウェーブのかかった金髪を耳にかけながら『はぁ~い!』と笑ったのだった。
「ねぇ先生? 今日は私の日なんでしょう? どこに行きましょうか?」
「どこに……」
と言われても、この世界の地理なんて全くわからない。きょとんとしていると、グリゼルダは部屋から引きずり出そうと俺の手を引いた。
「そんなことだろうと思った! だって先生、この世界に来たばかりだものね? お姉ちゃんにも『明日は行きたいところを自分で決めていい』って言われたし。でも、知らないのなら私が沢山教えてあげる! さ、行きましょ?」
「行くって、どこに!?」
「私のお気に入りの場所!」
にこにこと微笑む天使に急かされて、俺は初めて魔王城の外へと足を踏み出したのだった。
◇
晴れ渡った青い空。ゆったりとした雲の流れが穏やかで、北方にしては比較的珍しい、暖かくていい天気だ。
視界いっぱいの広大な大地。もしこれがゲームなら、目の前に広がるこの景色はいわゆるオープンフィールドってやつなんだろう。だが、俺はその初めて見る異世界の大地に一歩として足を踏み出してはいなかった。
「ちょ! 降ろしてグリゼルダ! 歩ける! 自分で歩けるから!」
「だって、先生遅いんだもの。人間の脚で歩いていたら、目的地に着くのに半日かかっちゃうわよ? そんなの、行って帰ってくるだけで今日の授業が終わっちゃう!」
「だから、何処に行こうとしているの!?」
「それは、着いてからのお楽しみ~!」
白のワンピースを翻す上機嫌な天使に両脇を抱えられ、俺は今、なんとも情けない恰好で上空を飛行している。背後からふわふわと甘い香りと柔らかい感触が伝わってくるのは役得感が満載なのだが、ぶっちゃけそれどころじゃない。だって、細腕二本でぷかぷか浮かぶこの状況……落っことされたらお終いじゃないか!
(ひぃいい……! 早く着いてくれ……!)
腕の中で慌てふためく俺を見て、くすくすと楽しげに笑うグリゼルダ。しばしの飛行を思い思いに楽しんだ俺達は少ししてとある町に降り立った。
「着いたぁ!」
「ここは……?」
木でできた質素な門構えの中にレンガ造りの家々が立ち並ぶ、中世風の田舎町。八百屋や肉屋などの商店が立ち並ぶ通りを行き交うのは、獣人やゴブリンぽい魔族などではない。
「人間の街?」
「そうで~す!」
グリゼルダはにこっと笑うと人差し指を口元に当てながら、背中の翼を隠すように大きめのマントを羽織った。
「私が魔族なのは内緒よぉ? あと、この町に遊びに来てることはお父様達に秘密にしてね?」
「やっぱり、気安く人間に接触しちゃいけないってこと?」
「そうよ。お互いの為に、ね?」
「でも、そんな秘密……俺に教えてよかったのか?」
「だって、先生は人間だから。この町にいても違和感はないし、むしろ良いカモフラージュかなぁって! 先生は私達の『先生』で、味方なんでしょう? お買い物くらい付き合ってくれるわよねぇ? ふふふっ……!」
「ああ、そういう……」
まんまと利用されたわけか。
まぁでも、異世界で暮らす人々の文化について学ぶいい機会だ。俺は興味深々で街中を見渡す。するとグリゼルダは俺の手を引いて迷うことなくある商店の扉をくぐった。
店内に入るや否や、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。所狭しと並べられた多種多様な形の、見ているだけでよだれが出てしまいそうな……
「パン屋……!」
「えへへ~! 私、ここのパンが大好きなの! どれもウチには無いような美味しいパンばかりで、朝早いこの時間は焼き立てのあつあつ! 先生、一緒に
「ああ! ……あ、でも、お金……」
「ちゃんと人間の貨幣も持ってるから、そこは安心して?」
嬉しそうに金貨の入った麻袋を揺らすグリゼルダ。俺はお言葉に甘えて好みのパンをいくつか選び、パン屋の裏手にある丘の上に腰を下ろした。
「先生、早く食べましょ! 私もう待ちきれな~い!」
「そうだな。冷めないうちにいただこう。じゃあ、遠慮なく……」
「「いただきま~す!」」
焼き立てのクロワッサンのパリッとした食感と、口いっぱいに広がるバターの香り……!
「「美味しい~!」」
異世界の飯には先日絶望させられたばかりだが、焼き立てパンはどの世界でも美味しい!
「お、俺の知ってるクロワッサンだ……!」
「人間の作るパンってなんでこんなに美味しいのかしら~!!」
隣でパンを頬張るグリゼルダ。その脇には大きな紙袋いっぱいの焼き立てパンが。店内のパン全種を制覇したのではないかと思われる大量購入品だ。あの、レジに商品を持っていって金貨をドチャッと出したときの店員の驚いた顔が頭から離れない。
「グリゼルダ、それ全部食べるのか?」
「もちろん! だってパンは焼き立てが一番だもの!」
(すご……)
思わずグリゼルダの胃袋の方に視線を向けるが、大きな胸がばいんっと主張されるばかりで、その下は華奢な女の子の体型そのものだ。
だが、これも魔族、もとい天使の七不思議なのか。大量にあったパンは少し経つとキレイさっぱりその胃袋に吸い込まれていった。
「は~! 美味しかったぁ!」
満足そうなその笑顔に、不意に声が掛けられる。
「……グリゼルダ? また来てたの?」
小首を傾げながらこちらを見ているのは、煤と小麦粉のついたエプロンをした金髪でおさげの少女。どうやらパン屋の娘さんらしい。
「あ。クララ~! 今日のパンも美味しかったよぉ!」
グリゼルダはててて、と駆け足で少女に近寄る。
(知り合い……? まぁ、あれだけ大量のパンを購入していればイヤでも顔を覚えられるか)
「やっぱりクララが作るパンは世界一ね!」
「そ、そんなことないよ。王都にはウチのとは比べ物にならない程お洒落で美味しいパンが沢山あるの。私のなんか、まだまだあの味に追いつけてないよ……」
「そぉ? 今日は前に来たときより種類も多くなってたし、見た目もとってもキレイだったと思うけど。あのチェリーが乗ったパイとか、チョコレートが練り込まれた渦巻のやつなんて特に! 私、あれを見て『あ。クララ頑張って色んなの練習してるんだなぁ』って思ったよ?」
「ああ、今日は王都からの視察の方が来るって噂だから、特に沢山用意しているのよ。お役人様がいらっしゃるのは午後と聞いているから、それまでに用意した新しいやつも焼き立てでお出しする予定なの。ちょっとでも、王都の方の目に止まればいいのだけど……」
「へ~! 新作を用意したんだ? 凄いねぇ! きっとクララなら大丈夫! でも、私はクララのいつものパンも好きだけどな?」
「ふふっ、ありがとう。そう言ってくれるのはグリゼルダくらいよ?」
そんな可憐な少女ふたりのやり取りを、俺は邪魔しないようにそっと遠くから眺めていた。
(ああ、尊い……)
と、思っていたのも束の間。
グワッシャーン!という大きな物音に街中がざわめき出す。
「な、何っ!? お店の方から……!?」
「……!! ごめんグリゼルダ! また後でね!」
青ざめた表情で駆け出すクララ。その後姿を見送ったグリゼルダは俺のところに戻ってくると遠慮がちに袖を引っ張った。
「先生……ちょっと、一緒に来て欲しいんだけど……」
「……?」
言われるままにフードを目深に被ったグリゼルダについていくと、そこには目も当てられないような惨劇が広がっていた。
パン屋の店先の特設テーブルに広げられていたパンが、まるでちゃぶ台でも返されたかのように全て無残にひっくり返り、地面に転がっていたのだ。
「そんな……! どうして!?」
「店番も放り出して、一体どこをほっつき歩っていたんだい!? クララ!!」
「おばさま! でも、私……! ちゃんとテーブルが固定されているのは昨日確認済みで……! こんなの、人の手でひっくり返さない限りは……!」
「言い訳はいいから! 今は急いでパンを焼き直しな!!」
「……っ!」
身の潔白を訴えても信じてもらえず、涙を瞳に滲ませながらクララは奥へと引っ込んでいった。その様子に、グリゼルダは顔をしかめる。
「またなの……?」
「え……?」
「前にパンを買いに来たときも、こういうことがあったの。そのときはパン屋の裏手に綺麗なままのパンが大量に捨てられていて。まだいい香りがしていたし、多分焼き立てだったと思うのに……」
「それって、誰かが悪意を持ってわざと焼き立てのパンを捨てたってことか? でも、この町に他にライバルになるようなパン屋は無いように見えた。一体誰が……?」
その問いに、天使はらしからぬ苦々しい表情を浮かべる。
「多分クララは……イジメられているんだと思う。町の誰とは言わない。おそらく、不特定多数の人間に。もしくは、町の全員に……」
「……!」
言われてみれば、『おばさま』と呼ばれたパン屋のおかみもクララにやたらキツく当たっていたことを思い出す。
「そんな酷いことが……!」
狼狽えていると、グリゼルダは確認するように問いかけてきた。
「『人間』の先生から見ても、やっぱりこれは酷いことだと思う?」
「え? そりゃあ、人が一生懸命作ったパンを台無しにするなんて。しかも、今日のために準備してきたやつを……! 鬼畜の所業だろ……」
「じゃあ、これがおかしいと思うのは、間違ってないんだ。間違っているのは、町の人間の方なんだ……」
グリゼルダは思いつめたような表情をしたかと思うと、姿勢を改めて俺に向き直る。
「私、クララを助けたい……! でも、人間の社会のことなんて魔族の私にはわからないの。だから……お願い先生。力を……知恵を貸して!!」
友人を想うその真摯な眼差しに、俺は全力で頷いたのだった。
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