第7話【邂逅】(3)

## 007


 コスカルメア村は、もとは呪術師たちによるひどく閉鎖的な集落であった。


 その興りは1200年前のとある戦乱。領地の奪い合い、食糧の強奪、そういったことから始まった争いはやがて、人の悪感情の増幅によって大きな戦乱へと成長する。長く続いた人間たちの争いに巻き込まれ、最初に滅んだのは短身短命のドワーフの一族であった。続いて単身長命のホビットが相次いで落命した。平和を愛する彼らにとって、戦乱の時代は耐え難かったのだ。


 次は自分達の番だ、と考えたのはエルフだった。


 そこでエルフたちは古くから伝わる術を研究し、終わりの見えない戦乱を終わらせるための方策を模索し始めた。


 かくして、コスカルメア村の前身となる呪術師たちの集落が出来る。


 しかし彼らに大きな力はない。


 呪術とは原始的な魔術――盲信と奇跡の記録に裏打ちされた非科学的な術だ。安易に使えば、思いもよらぬ代償によって死亡することもままあった。


 ゆえに、彼らは弱者であった。


 不確実な呪術に依存する弱者が唯一、確実にできることといえば祈りのみ。


 弱者は祈る。


 戦乱の終結を。


 救世主の到来を。


 果たして、二つのものが現れた。


 一つは圧倒的な力を持つ竜だった。架空の生物であったはずの、力の象徴たる生物が現実にかたちを成してその村に現れた。


 もう一つは、人だった。彼は呪術を体系だったものに改造し、信仰も祈りも必要としない論理に依った科学的な、再現性ある術――魔術に作り変えた。


 ――戦乱は、竜の圧倒的暴威と魔術という新奇なる術によって終結した。1000年前のことである。


 その畏れ巨き竜は「偉大なるものメイグラーヤ」と呼ばれ、今に至るまで敬われ続けている。


 その人は、エルフの呪術師らから師と呼び仰がれ尊敬の念を集めた。が、その消息を知る者は今、どこにもいない。


 ――ここまでは、よく知られた話だ。突如として現れた竜のことも、突如として現れた最初の魔術師の話も、どちらも1000年前の戦乱終結を語る上で欠かせないファクターであるがゆえに、誰もがその存在を知っている。竜の方はさておき、魔術師は実在が疑われるくらいにはよく知られた物語である。


 だが、しかし。戦乱が終結して以降、エルフたちがどうしたのかは知られていない。当のコスカルメア村の者たちですら、その大部分が忘れ去ってしまった密約がそこにはある。


 発端は、竜の正体の探求であった。


 祈りに応え現れた力の正体を探るべく、竜の従者コスカルメアを名乗るようになったエルフたちは様々な方策をとった。そうして分かったことは、竜が魔術的には一個の世界であるという事実だった。


 魔術による世界の定義は閉じた空間の内部に一定数以上の魂がある程度の煩雑さを持って存在していることである。つまり、竜の中には戦乱で死んでいった人々の魂が存在し続けていることが判明したのだ。


 そしてもう一つ、偶発的に判明した事柄がある。それは竜の発する気は、魂を歪曲させて周囲の生き物を別物に変えてしまう作用を持つということだ。竜の気に当てられた生き物は一部の例外を除いて、竜の気に呑まれてしまう。かたちを失い、魔力の塊となって竜の内部の世界に取り込まれるのだ。それゆえに、神竜の森には生き物がほとんどいない。


 だが唯一、ヒトだけは、人間やエルフといった知覚により世界を成立させる生き物だけはこの限りではなかった。死なぬ限り、ヒトの魂が竜に取り込まれることはない。


 竜の気を受けたヒトは竜とヒトの中間の存在となる。自分一人分の魂のみを内包する世界の所有者に。これを竜人りゅうじんと呼んだ。


 竜人は竜ほどではないがしかし、ヒトにしてはあまりに強大な力を持つ。


 コスカルメア村は元来、弱者の寄合である。強大な力を手に入れるすべがあると知って、黙っているはずがなかった。


 竜人の人工生産計画がはじまったのだ。


 なにものにも脅かされない力を手にするために。


 竜などという、由来の分からないものに依存しなくても済むように。


 彼らは同胞の無垢な子供を生贄として、竜人を得ようとした。


 その試行錯誤のすえに確立したシステムこそ、「神竜の巫女」である。


「先ほど、私を殺さんとした光線を諸君らは目撃したであろう」


 秘された歴史を語り、その上でユダは告げる。


「竜人は、今、あの光線の出所。カミスカラ島にいる」


 糾弾の意図があるかどうか、それは分からない。ただ厳然たる事実としてユダは断言し、そして宣言する。


「……欲と欺瞞に塗れたコスカルメア村の信仰、その成果を私は収穫する。神竜と竜人を揃え、奇跡を起こすのだ」


## 008


「ぁあああああああああああああああああああああああ――――――!!!!」


 気がつけば、叫んでいた。衝動がユマの身体を突き動かす。


 全身の細胞が叫ぶ。あれは敵だ。許してはならない、と。


 ユマの全てを否定した男めがけ、彼女は疾駆する。


 咆哮するユマの耳には誰の声も届かない。


 止めようとするシャルマの言葉も。


 跪く群集の中、絞り出すような声で制止するニールの言葉も。


 そして無論、標的たるユダの言葉も。


 全ての言葉を置き去りにして叩きつけんとするのは、怒りか憎しみか哀しみか、はたまた殺意か。


 そんなことは微塵も考えてはいない。ただ、口を封じることができればそれで良いのだ。知りたくもないことを厭になるくらいの説得力でまくしたてるその口を。


(ああ、そうだ)


 沸騰する血潮とは裏腹に、思考は凍てついていた。


(私はそれが事実だと)


 拳を振りかぶる。目標は既に目の前。


(きっと、魂で理解してしまった)


 全身全霊の魔力を込めて、殴る。


 ごうん


 手応えがなかった。


「…………、」


 息を呑む。眼前には暗黒があった。


 ユマの拳は、どこにも届くことなく、底知れぬ暗黒に吸い込まれていた。


(なに、これ――)


 衝撃は大きく、ゆえにユマは忘れてしまう。目の前に立つ男の言葉を聞くと、どうなってしまうのかを。


「動くな」


 特別大きな声というわけではなかった。むしろ囁きかけるように小さな声だった。きっと、ほかの誰にも聞こえないくらいに小さな。


 けれどそれで十分だった。


 そのたった一言だけで、ユマは固まってしまう。言葉を発することすらできない。だが、歌を思い出せばきっとこの状況を――という仄かな希望はすぐに打ち砕かれた。


「余計なことも、考えないほうがいい」


「………………っ」


 思考回路がその奥底まで恐怖に支配される。まともに何かを考えることもできない。


「この、娘は。ああ、そうか。未完成の神竜の巫女だな。…………不要だが、不穏分子は排除できるときに排除するに限る。ここでの宣戦布告も、概ね済んだ」


 ユダは顔を上げて、大きな声ではっきりと宣言する。


「次の満月の夜。我々はこの聖流院学園中心部、カミスカラ島を襲撃する。理由は語ったとおり。神を創造し、世界に安寧をもたらすためだ」


 ユダが右手を上げると、二人の足元に穴が開いた。同時、ユマの右手を飲み込んでいる方の穴が閉じる。ユマの右手が音もなく切断された。そうして、二人は穴の中に落ちてゆく。


「諸君」


 穴の中に落ち切る寸前、ユダは言った。


「また会おう」


 徹頭徹尾真顔だった男はそこではじめて、笑みを見せた。左右非対称の笑みが見るものにどのような感情を抱かせたかは、語るまでもない。


## 009


 石造りの建物の立ち並ぶ街。曇天の空の下で吹く風は冷気を孕んでいて少し肌寒い。


 色彩の欠けたモノクロームの街を歩くのは、白のスーツに身を包んだ険しい目つきの男だ。


 路地裏を少しゆくと、下水道への入口がある。その上には真っ白なインクが2滴垂らされて大小二つの丸ができていた。男はインクを靴でぐりぐりと踏んだ。インクが靴裏に移る。


 気に入ってた靴なのに、とため息つきながら男は裏路地を出た。


 瞬間、景色が変わる。


 その部屋はどこかの城の会議場なのだろう。部屋の四隅には騎士の鎧。壁際には質素ながらも品のある調度品が並んでいる。ドーム状になった天井にはガラスが埋め込まれており、そこが採光の役割を果たしているらしい。


 そして、部屋の中央。そこには巨大な円卓があった。


「よく来てくれた。済まないね。面倒な手順を踏ませてしまって」


 今、この時。円卓に唯一座っている金髪の青年が言った。爽やかな笑みの、上品な印象の青年である。彼は立ち上がって、歓迎の意を示した。


「ようこそ。我らが円卓の間へ。サカイ・リュウジ殿」


「いや。こちらこそ。我々のような胡乱な者に対してこのような話し合いの場を設けていただき感謝する」


「お行儀がいいね。本当はそんなこと微塵も思っていないだろうに……僕は、君の、君の所属する組織ではなく君自身の用件をまずは片付けたいと思ってるんだ」


「…………」


 酒井は押し黙る。相手が何者か、異能力者か、魔術師かも分からない状況で迂闊な真似はできない。値踏みするような視線を一瞬だけ向けて、酒井は口を開いた。


「その言葉、ありがたく受け取らせていただこう。それじゃあ個人的な質問だ。この靴に付いた雑多なインク、これは落としてもらえるのか?」


 言って、青年に靴裏を見せる。そこには最後に踏んだ白だけではない。赤、青、紫、黄、緑――様々な色のインクが付着していた。その様相はちょっとした現代アート作品のようですらある。


「ああ、申し訳ない。ちゃんと落とさせると約束しよう」


「ならいい。……じゃあ本題だ」


 酒井は青年の目を見てはっきりと告げる。


「おたくらのトコの神竜と竜人、ウチに寄越しちゃくれねえか?」


「……………………」


 青年は穏やかな笑みを崩さず、じっと酒井の顔を見ている。


「ウチの野望の成就には、どーしても神竜と竜人が必要でね。なあ、協力しちゃくれねぇかい?」


「いいよ」


「――っ」


 酒井は己の耳を疑った。驚愕する酒井の視界の中、青年は面白いものを見た、という風に笑っている。それも嘲るようなものではなく、純粋な笑みだ。見るものに好感さえ抱かせるほどの。


「……ああ、申し訳ない。あんまりにも分かりやすくびっくりしてくれるものだから、つい、ね」


「それは、なぜだ?」


 もし酒井がそこで言葉を切っていなかったらこう言っていただろう。


 ――俺たちは世界を支配しようとしてるようなモンなのに、と。


「単純さ。君たちの野望は成就しない。僕がどう動こうと関係なく、君たちは失敗する」


「…………だから、戯れに協力を宣言すると?」


 すると、青年はかぶりを振った。


「いいや。そうじゃない。」


 酒井は瞠目した。すんでのところで後退るのをこらえて、口の端を強く閉じる。握る拳には自然と力が籠もった。


 笑っていたのだ。


 それは、万人の友愛を一身に受ける偶像のような、爽やかなものでは決してない。だがある意味でひどく純粋――ゆえにおぞましい。


 ぱき、ぱき、と青年の肌がささくれのように立つ。


 鱗だ。


 赤の鱗が、顔の外縁部を覆いはじめる。


 細められた瞳の色は琥珀色。瞳孔は縦長に。金の髪を掻き分けて現れるのは黒曜石のような麗しい角。


 青年は、夥しい数の鱗に覆われた竜の手を差し出す。


「戦いたいんだ。僕は。他の竜人たちと」


「へぇ……そうかい」


 酒井はその手を取る。つるりとした冷たい手はそっと酒井の手を握り返した。


「なるほど。アンタが、あの【円卓の覇者】か」


「その仰々しい名は好きじゃないんだ。■■■■――ああ、人間の頃の名は認識できなくなるんだったね。うん、じゃあ『ラウンド』とでも呼んでくれ。君たちにとってはこうした方が覚えやすいだろ?」


「……ああ。よろしく頼むぜ。ラウンド」


 笑みを貼り付けて応える酒井はしかし、身体の奥底から来る震えをこらえていた。


 それは竜人という、圧倒的力を持つ存在に対する恐れゆえなのかもしれない。


 内容はどうあれ、話が想定以上に上手く進んだことに対する喜びゆえなのかもしれない。


 だが、酒井にとってそんなことは些細なものでしかない。


 唯一竜の鱗に覆われていない、ヒトのままのラウンドの顔。それがどうしようもなく、酒井の目には人間離れして見えた。


「――まずは極東の竜人だね。ああ、楽しみだ」

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神竜機関~異世界から異能持ちのロクでもない連中が来てるので戦います~ 砂塔ろうか @musmusbi

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