あとの祭り

糸井翼

あとの祭り

「今年も長雨か」「また、龍神様にお願いしないとだめだ」「龍神祭りの日には儀式を執り行わなければ」

集落の長老はじめ、役員などの肩書を持つ男たちはため息をつきつつ、難しい表情を作る。彼らはこの集落を守るため、この儀式が不可欠だと結論を得た。

「誰が龍神様のところに行くんだ」「年齢的にカズの家の娘がいいだろう。もう20歳だったな」「あそこの娘は美しいし、間違いなく儀式はうまくいきますよ」

あっという間に賛成意見が相次ぎ、男たちはカズの家に向かった。カズはそれを聞いて、膝から崩れ落ちた。儀式で龍神様のところに行くとは、すなわち、もう人の世には戻れないことを意味していた。

「なんで私の娘なのですか。長老様。娘は結婚を控えております」

「これは重大な役目だ。誇らしく思ってくれ、こんな役目をもらえる娘に育てたことをな」

「あなたのところの子ではだめなのですか」

涙であふれた、強い怒りのこもる目で役員の一人をにらんだ。彼も20歳の娘がいる。その役員は、実は自分の娘に目が向かないよう、慎重に議論を誘導していた。

「うちの娘では不十分なんだ。わかるだろ。それにこれは会議での決定事項だ」

長老の達筆な文字でその名前が書かれている書を示す。カズは反論の余地がないことを悟った。「わかりました」


カズの妻のモモはカズからその話を聞いて、大きなため息をついた。「そうですか。あなたはそれを了解したのですか」

「ありがたい話だ、笑顔で見送ろう」

「可能性はあると思っていましたよ。結婚を控える年齢ですから。自分の娘がこうなるというのに、あなたはこれまで何をしていたんですか」モモはがっかりした表情を浮かべてカズを見る。年頃の娘がいる家庭の父親は、龍神様のところに行かなくて済むように役員や長老に事前に話をしておいたり、恩を売ったりしておく者も少なくなかったが、カズはそうしたことはしてこなかったのだった。

「うるさい」カズは怒鳴った。

「それで、はい、わかりましたと言ってしまったのですか」

「長老様が決められたんだ。逆らったら家族全員集落に住めなくなるんだ、どちらにしろ終わりだ」ばんと床を叩いた。家の中が静かになる。

モモはカズに何を言っても無駄だと悟った。娘が人の世へ戻れなくなるかもしれないというのに、体を張らずに集落の世間体を気にしているのだから。

「明日、俺からあいつに話すよ」


二人の娘のモカは黙ってカズの言うことを聞いていた。自分の定めを聞かされて、呆然とした。次に、結婚するはずだったユーの顔が浮かんだ。ユーになんて言えばよいのだろう。

「これは光栄なことなんだ。受け入れて、集落のため、役目を果たしてくれ」

「はい」私はなんて言えばよいのか。心の中ではもやもやしたまま、自分の部屋に戻っていく。カズは一つ頷いて酒を口にした。

その姿を見て、モモはまたがっかりした。男たちは勝手だ。役員たちもそう。カズもそう。自分で仕方がないことと決めて、勝手に人の定めを決める。そして、自分は酒を飲んで現実から逃げてしまうのだ。現実を整えるのはいつだって私たち女性。

カズが寝た後、モモはモカをそっと呼んだ。

「ちょっと、外に出て、話があるの。お父さんには聞かせられない話」

「なに」泣いていたのか、モカの目が赤い。

「龍神祭りの儀式はどんなものか知っているよね」

「長雨で集落の農業がだめになってしまわないように、集落の娘が龍神様のところにお願いに行くんでしょ。そこは異界の地で、行くことはできても帰ることはできない、龍神様のところで働かないといけないのよね」モカの言葉にはなんでそんなことを聞くのか、怒りのようなものも混じっていた。モカの怒っている姿を見るのは初めてではないだろうか。

「そう集落では伝わっているわね」

「違うの」

モモは大きなため息をつく。「龍神様なんて本当にいると思うかい」

「だって、去年もサキ姉さんが帰ってこなかったじゃない。その前はリナさん。リナさんは結婚がもうすぐだったのに、その彼氏さんも後を追って…」

「いい、よく聞いて。実は、さっきモカが言っていた祭りの内容は、男性のもの。女性の祭りは別にあるの」

モモの話を最後まで聞いたモカは驚いたが、とにかく急いでユーのもとへ向かった。ユーはモカが選ばれたことを誰かからすでに聞かされていたらしく、魂が抜けたような状態だった。

「そんなに落ち込まないで、ユー」

「君は冷静だな、これから何が起こるかわかっているのか。一昨年のように、俺も龍神のもとに一緒に行くから」

「そのつもりでいてくれるなら、儀式が終わるまで待っていて。最後までしっかり見ていて」


祭りは厳かな雰囲気で始まった。小さい集落だ。ほとんどの人はモカの知り合いで、涙を流す者も多かった。男たちは、自分の家族が選ばれなかったことでどこか安心した気持ちもあった。

龍神を祀る神社では、長老が火のついた松明を持って扉の前に立っていた。扉を開けると、地下の洞窟の入り口となっている。扉の先を見るのはモカもはじめてだった。

「この先は異界へつながっておる。集落のため、龍神様にしっかりと伝えてきてくれ」

「はい」

モカは松明を手に一歩ずつ暗い洞窟を進んでいく。後ろで洞窟の入り口の扉が閉まる音がした。


ユーは神社の中にモカが入っていくのを見て、自身の覚悟を決めていた。龍神様に会うために化粧をしたモカは美しかった。

「ユー」モモの声がする。「モカのところに行く準備はよいですか」

「えっ、もちろんです」

モモに連れられてユーは神社の裏手にある山に入っていく。ここは神社の管理下にあって、一般の集落の住人は入ってはいけないことになっている。

「いいんですか」ユーはモモに尋ねた。禁を破れば、モモも今後集落にいられなくなるのではないか。

「大丈夫。あなたの覚悟こそ、大丈夫なのですか」モモはユーの覚悟が少し揺らいだと感じて厳しめに返した。

「大丈夫です、もちろん」

深い森を抜け、洞窟へとたどり着いた。「ここは…」

「神社につながる道があるのです。今までの龍神に捧げられた女の子たちも、ここから逃げて外の町に行ったんです」

「龍神様の伝説は嘘だったのですか。集落の大人たちは本気でずっと信じています。ぼくもそうでした」

「男たちはこの祭りを自分たちで行っていると思っています。でも、実は、集落の女は大抵ある程度大人になるとこの祭りの本当の姿を教わるんですよ。女性の祭りが、実はあったんです」

「このことは、カズさんや、大人には知らせなくてよいのでしょうか。そうすれば、カズさんみたいに悲しむ人がもう出てこないのに」

モモは首を振る。「冷静に考えれば、龍神なんていないこと、みんなわかるはずです。集落の男は祭りを正しくこれまで通り行うことしか考えていないから、悲劇は続くのです。いずれ、誰かがこの祭りの儀式はおかしいと言えば、それで終わることではないですか」

そんな話をしている間に、暗い洞窟の先から明かりが見えてきた。モカだ。

「私はここまで。モカをよろしくね。もう会うことはありませんから」

モモは集落へ戻っていく。ユーはモカの姿を確認して、泣きそうになるのを我慢した。二人は集落とは逆の、森の外へ歩き出す。小さい集落しか知らない、外の町など見たことがない。だが、この祭りは二人の巣立ちの儀式でもあったのだ。


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