『歌う女』(うたひめ)
結城恵
『歌う女』(うたひめ)
私は歌が好き。歌を歌うことが大好き。ただそれだけなの。
私は働いていたの。お昼には歌うことが出来なかった。
夜には煩いから歌うことが出来なかった。
朝は忙しいから歌う暇なんて無かった。
また次のお昼も歌えない。
夜は煩いし、疲れてるから歌えない。
次の朝も、昼も、夜も。
私は歌が好き。歌を歌うことが大好き。
けれど、私は歌を歌うことが出来なかったの。
私は歌を歌うことが好きな私を誇りに思っていた。歌で満たされる心を、宝物のように思っていた。
みんなはそんなわたしのことを知っていた。私は歌が好きな娘で、とてもとても、歌うのが大好きな娘なんだよ、と。
しかしみんなは、私のことを疑い始めた。
「君が歌っているのを聞いたことが無い」
「是非歌ってくれよ、君の歌を聞いてみたい」
「無理して好きなんて言わなくても良いんだよ、嫌いなら嫌いと、今のうちにはっきりと言った方がいい」
「本当は歌が嫌いなんじゃないのか」
「音痴なのを知られたくないだけかもしれない」
「何を考えている。結局お前は、何がしたいんだ」
煩わしかった。
私は本当に疲れていた。好きなものを好きなままで有り続けることに。
私は疲れていたから歌いたくなかったの。
私を疲れさせるような人たちのために歌いたくなんて無かったの。
みんながわたしを疑うようになるまえに、わたしはみんなを諦めていた。
いい加減自分たちが煩わしいと言うことに気がつけばいいのに。愚かで滑稽。そう思う私さえも、ね。
飽きた。
私は自分の喉に長い針を突き刺した。
ついつい悲鳴が上がる。
この音は嫌い。
もう一度刺した。
まだ悲鳴が上がる。
もう一度刺す。喉を刺そうとする手は、防衛本能で震えている。
血が吹き出て手を濡らす。面倒なので首に包帯を巻いた。
もう一度刺す。包帯の上から。
何度も刺す。包帯が効かなくなればさらに巻き足す。
私の声は、おばあさんのようなしわがれた音になり、やがて音がしなくなった。
私の喉は、ただ呼吸をするためだけの器官に成り果てた。
それから数日たった。私は歌いたかった。自ら喉を潰したことを後悔した。
だから私は歌った。初めて歌った。職も捨てた。食事も捨てた。生活も捨てた。睡眠も捨てた。
人間であるということを、捨てて歌った。
私の潰れた喉が出す歌声は、我ながらとても美しいものだった。私の歌は、神さえも魅了することが出来る。そう思った。
私は歌った。広場に出て、迷惑も顧みず、昼も夜も朝もなく歌って歌って歌って歌った。
辺りは私の歌で満たされていた。
辺りは私の血(ウタ)で満たされていた。
歌う歌う。
声が出ないので、音は空気。
声が出ないので、歌詞は血液。
歌う歌う。
魂を割き、心を崩し、体を溶かして歌い続けた。
そうしてようやく。みんなは私のことを、私の歌を認めてくれた。
あるものは瞳から赤い涙を零して倒れるほどに。
あるものは激しく踊って、踊り狂って死ぬほどに。
あるものは連ねて歌い、呼吸も出来なくなるほどに歌い続けて逝くほどに。
みんなが私の歌に夢中になってくれた。
辺りは私の歌で満たされていく。
すべてを飲み込んで、それでも私の歌は、止まる事無く続いていく。
歌う。
歌う。
あぁ、私は、私はなんて、幸せなんだろう。
めでたしめでたし。
『歌う女』(うたひめ) 結城恵 @yuki_megumi
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